あれから四半世紀も経ったのか・・・25年前の今日、僕にとっては忘れられない日。
JRAの馬が、地方競馬のGⅠレースで優勝する事は多々あれど、地方競馬の馬がJRAのGⅠレースで優勝したのは1回しか無い。
この分厚い壁に穴を開けたのが、地方・岩手競馬所属の・・・
メイセイオペラ
(※画像はyahoo!画像より)
この馬については、2016年にオペラが亡くなった時に思いの丈を綴っているので、詳しくは下記を参照。
【追悼】メイセイオペラ、韓国で死す・・・ただただ号泣。。。(その1)(2016/07/08)
【追悼】メイセイオペラ、韓国で死す・・・思ひ出ぽろぽろ。。。(その2)(2016/07/09)
【追悼】メイセイオペラ、韓国で死す・・・夢と感動をありがとう。。。(その3)(2016/07/09)
【追悼】メイセイオペラ、韓国で死す・・・永遠のさよなら。。。(その4)(2016/07/10)
1999年1月31日(日)。JRA99年シーズン最初のGⅠレース、フェブラリーステークスに参戦したオペラを応援に東京競馬場へ。自宅が西葛西(当時)だから1時間強で着いたが、競馬場内では岩手から応援に駆け付けたと思われる人達や、水沢・盛岡競馬場で見掛ける地元メディアや岩手県競馬組合の関係者を多く見掛けた。皆、大きな期待とアツい思いを持っていたのだろう。
僕はいつもの馬仲間と観戦。レースはオペラの瞬発力が勝り、僕はエリートとは正反対の人間だからか、地方馬がJRA馬を従える姿は痛快そのもの。声が枯れる位応援していたが、ゴールでは声が出なかった。人って感極まるとマジで声が発せられないのね。。。
全然知らない人と、やった~!!と肩を抱き合った(誰だったんだろう?)。そして・・・競馬場内に響いた
イサオコール!!
感動のあまり涙が出たよ。岩手競馬ファンで良かった~と思った瞬間(笑)。コンビを組んだ菅原勲騎手(現・調教師)も騎手冥利に尽きるワンシーンだったのでは!?
それでは、オペラが優勝した感動のレースを見て頂こう。
(※発走ファンファーレは2:01頃から)
今や伝説となった99年フェブラリーステークスだが、25年経ってもオペラに続く地方所属のJRAGⅠ勝馬は現れていない。地方が中央を制すのは、そう簡単な事じゃないが、もう夢では無く、現実的な話だし、僕を含めた競馬ファンが実は待望している事なのだと思ふ。
でもでも・・・一番待っているのは、天国から後輩達を見守るメイセイオペラなのかもしれない。
