今日は3月11日
あれから13年、まだ13年
人によって感じ方は違うと思うのですが
大切な人や場所を失った方々の
心に少しでも明るい何かが増えていることを
願うばかりです。
さて先日の「嫌われる勇気」共著者、
アドラー心理学研究者でもある
哲学者の岸見一郎先生の講演会
のんびり書きすぎて2週間以上経って
しまいましたが今回でラスト
質疑応答編
と言っても質問は、参加者の方のプライベートが
含まれるので具体的内容は書けませんが
岸見先生の返答内容で、ご自身のことに
照らし合わせ、
心にヒットするかもしれないと
思ったものをピックアップしてみました。
黒太文字(もしくは赤太文字)は岸見先生
普通黒文字は私の考えの部分です。
自分で抱え込んでしまうタイプの人へ
いいかもしれない↓
全てを引き受けなければならない訳ではない。
これは出来る、これはできないと言っていい。
それを相手がどう思うかは相手の課題
人生には、するべきこと、
したいこと、できることの3つ。
出来ることはできることしかない。
助けて欲しいと言われて
したいし、してあげたいが
出来ないことは出来ないと伝える。
これを聞いた時、人が出来るのは
「すべき事、したいこと、出来ることの3つ!」
本当その通りだなと思いました。
そして出来ることはできることしかない。
それはその通り、当たり前なんだけど
頼まれたから、してあげたいと思って
無理してしまうこと。
私も少なからず経験があります。
でも、時間的、量的、タイミング的にも
出来ないことだってある。
それでも助けを求められた時
出来ないことを「出来ない」と
伝えるって意外に勇気が要ります。
相手の期待に応えたいと思う
優しい気持ちである反面、
自分の心や身体の声を無視してでも
無理をしてしまうことになり、
その上
相手の学びの邪魔をしてしまう
可能性もある
と聞いて、なるほどなぁと思いました。
先生が体験談として仰ってたこと
(先生のお母さんが倒れた時)
医師がきちんとこれから起こる事を告げた。
(回復の見込みが薄いことについて)
言われることで人生の課題から
逃げないで生きることを学んだ
きっとこの時の医師だって目の前の
命に対して
「したいし、してあげたいが、
出来ないことは出来ない」
を体験されたのだと思います。
出来ないことを出来ないと伝えることで、
相手が課題から逃げないで生きる手助けに
なるのかもしれない。
推測の元で生きる=地に足がついていない
今日が最後だと思って、大切に過ごす。
そう考えると他の人の声が気にならなくなる
「もしかしたら○○かもしれない」
そんな風に、起こった事実ではなく
推測で考えてしまうこと、あるある!
この話を聞いていて、
文章の最後に「。」があるかないかで
相手の心を読み取ろうとする若い人が
増えていると聞いたことを思い出しました。
文末に「。」があると冷たい印象に
なるのだとか。
自分が全くそんなつもりもなく書いた
文章で「冷たい対応された」と相手が悩んで
いたら驚きますよね。
でも自分自身もどこかで同じように
「○○かもしれない」と誰かのことを
思って勝手に距離を離しているかもしれません。
課題を解決することを第一に考える人と
対人関係を優先して考える人がいる。
(私は報告聞いていない。という人)
自分より下の人の方が理解していると
分かって劣等感を抱いた。
そういう人もいる事を知っておく。
上司とぶつかってもお客さんの為に
なることをした。と言えることをする
相手も自分と同じく完璧ではない人間で、
「何を解決するべきか」と課題優先に
考えられる人と、
「私がどう思われるか」と自分に
矢印を向けて考える人は存在しているんだな。
と知っていると相手への理解が深まり
どのように伝えたらいいか、が見えてくるように
思います。
先生の質疑応答の応答部分のみを
ピックアップしましたが
書きながら
「すべての悩みは対人関係」
というアドラーの言葉に納得。
今月のアドラー心理学講演会のまとめは
今回で終わりにしようと思って
長くなりました。
お付き合いありがとうございました。
今日も応援しています♪