昨日は、昨年虹の橋を渡った愛犬
ポッキーの一周忌でした。
ここ数日、涼しくなってきて秋らしく
なるのと同時に、昨年の今頃ポッキーと
ほぼ一日中一緒に過ごしていた時のことを
思い出し
懐かしく思ったり、
愛おしく感じたり。
思い出エピソードで笑ったり。
そんな気持ちを反芻して過ごしました。
今思えば一周忌という区切りがくることが
どこか受け入れ難く、
自分の気持ちに向き合う時間だった
ように思います。
そんなこんなで心が自分に
向いていたので更新が遅くなりましたが
先日受講した哲学者であり、ベストセラーの
「嫌われる勇気」共著者の岸見一郎先生の
オンライン講演会のまとめ
・適切な面に注目する
→不適切な面に注目せず、
適切な面に注目する
(同じ面の適切な行為に注目することが、
不適切な面に注目しないようになる)
例:遅刻してきた学生が
→学校に来たことに注目
例:ご飯を食べないと注目されると学習
→一緒に食事できることに注目
「適切」と「不適切」の違い
実質的に他者に迷惑をかけることを
問題行動(不適切)という。
適切な面に注目するのは本当に
難しい時があります。
例に出されたような状況で相手が
「一番困る時に一番困ること」を
して注目を受けようとしている時、
されている側としてはかなり心穏やかで
いられないことが多いからなのです。
だって、注目を受ける為に「ここぞ」を
ついてくるのですから
だからこそ何もない心穏やかな時に
「適切な面はなんだろう?」と考え、
その時に伝える心構えを持っておきたいものです。
学校に来てくれたんだね。
一緒にご飯食べられて嬉しい。
それを繰り返す中で
問題行動を起こさなくても
注目してもらえる体験を重ね、
心の変化があるかもしれません。
(即効性はないけれど有効性あります)
・結果ではなく、過程に注目する
→自分自身へ向けても同じく、
結果ではなく
少しでも変わった自分に注目
結果は「ある、ない」で分かりやすく、
判断しやすい面もありますが
過程に注目することで、それまでを
積み上げてきた自分自身を認識し、
変化に注目することで「自分には出来る」と
思えます。
すると次の課題へ向かう勇気が出てきます。
・言葉を使う
→子どもがして欲しいこと、
して欲しくない事を泣いたり騒いだりする
以外に言葉という方法があると教える
(大人は子どもの要求の内容ではなく、方法が嫌)
「欲求を通す方法を知らないだけ」
そう思えば、子どもに言葉でお願いすることを
教えることが一つの過程になります。
子どもに限らず、自分の欲求を通す為に
感情や暴力を使う人は言葉という
方法があることを知らない、
もしくは忘れているのかもしれません。
少しずつ自分に取り入れていけたら
いつか変わった自分に気がつく日が
やってくるのです。
今日も応援しています♪