成年後見人が終了した2 | かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

2004年に子宮頸がん小細胞がんになりました。
かなり珍しい種類のがんなので治療方法とかを書いてます。
今更かよ~役にたたないよ~と自分でも思いますが・・・
再発しても生きてる人はたくさんいます。
自分が納得した治療ができるといいなと思います。

夜になって旦那がやって来た。

スキヤキ弁当を持っている。


旦那「今夜は徹夜だろ。お腹がすくと困るだろ。」

よくわかってるね~


院長「お父さんは心臓が強いね。

 この分だと今夜は大丈夫だよ。

 一度家に帰って寝なさい。

 何かあったらすぐに電話するから」


そして翌朝。

病院から電話。

旦那妹が自転車で駆け付けたが、間に合わなかった。


義父は一人でさっさと大好きな義母の所へ旅立った。


サカタナース「泣いて見送らないわよ。

 だってお父さんは頑張ったものね。

 最後まで酸素マスクはしなかったのよ。95%よ」



葬儀でさんざん泣いたので

結構さっぱりスッキリした。

つもりだった。



私は義父の成年後見人なので報告書を家庭裁判所に提出する。

パソコンの画面が揺れて

なんだか、よく見えない。


うわーまた泣いてるよ。どうしよう。

大嫌いな報告書作成だったのに

もうこれでしなくていいのに

そんな事を思うと余計に涙が止まらない。




そこに電話。

なんとシーマさんからだった!

もちろんシーマ娘さんだけどね。

シーマさんの葬儀に参列した事のお礼の電話だった。



何だかタイミングが良すぎるな。


どこかから

義父が

見守っていてくれる


そんな感じがしています。