成年後見人が終了した1 | かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

2004年に子宮頸がん小細胞がんになりました。
かなり珍しい種類のがんなので治療方法とかを書いてます。
今更かよ~役にたたないよ~と自分でも思いますが・・・
再発しても生きてる人はたくさんいます。
自分が納得した治療ができるといいなと思います。

そろそろ心が落ち着きました

なかなか書けなかったけど


ニャンチの義父は療養病院に入っている。

去年の10月から義父は食事を口から取れなくなった。

家族会議の結果

延命治療をする事になった。


この時はブログ仲間にとても助けてもらいました。

本当に感謝しています。


高カロリーの点滴は感染して高熱を出した。

抜去すると平熱に下がる。

またルート確保。高熱。抜去。


何回か繰り返して、2月。

もう次のルート確保はしない事に決めた。

普通の点滴も必要最低限にしてもらう。


だんだん目を開ける時間が短くなった。


しかし酸素濃度は100%!

「お父さん、心臓が強いわね~すごいわね~」

出身地が同じサカタナースは義父のお友達。

田舎の話をすると喜んでいたけど

「最近は、反応が無いのよね」


そして或る日の朝。

病院から危篤の連絡。

すぐに駆け付けた。


義父は口を開けて「はふ~はふ~」って呼吸してる。

5秒に1回くらい。


都島「お父さん!ミヤコですよ」

義父「(うん、わかったよ)」

都島「あ、目を開けたね。わかったね」


そして院長先生からのお話

「今夜が峠だと思う。連絡する人がいたら電話をしなさい」


旦那妹と私は泣いてしまった。

院長「あれあれ、泣かなくていいんだよ。

 だってお父さんはとってもよく頑張ってくれたんだから。

 お礼を言いなさい」

そして2人で慰め合いながらベッドサイドにいた。

義父の髭剃りをしたり爪切りをした。


お昼時になった。

お腹がすいた。

こーゆー時に一番大切なのは

家族がしっかり食べて体力温存する事です。


旦那妹が自転車で買い出しに行った。


一人になって義父にお礼を言いながらまた号泣する私。

いろいろな思い出がぐるぐる出てくる。

まいったな。涙が止まらない。どうしよう・・・


すると携帯に電話。

旦那妹「シャケ弁当とチキンピラフ弁当とどっち?」

都島「・・・シャケかな」

旦那妹「それにシイタケのテンプラが入っているけど大丈夫?」

都島「じゃあ、チキンピラフ」


食欲は思い出に勝った。

美味しかったよ。

チキンピラフ弁当。


続きます。