今日の京都6月18日(火) | 都のかほり日記

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京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
昨日、九州北部が梅雨入りしました。今日は警報級の大雨の予報が出ています。京都も、交通機関に影響が出るかもしれません。気象情報と交通情報もチェックしてお出かけください。

さて、今日は今日は、1620年、徳川秀忠の五女・和子(後の東福門院)が後水尾天皇の女御として入内した日です。

東福門院という名前をご存知なくても、血筋的には、ものすごい方です。
詳しくは系図をご覧頂くとおわかりかと思います。
祖父が徳川家康、父が二代将軍徳川秀忠、弟が三代将軍徳川家光。母はお江与の方。母方の祖父が浅井長政、祖母がお市の方。伯母が茶々(淀の方)、従兄弟が秀頼で、そこへ姉千姫が嫁いでいます。母方の祖母の兄が織田信長です。
まるで、戦国時代の華麗なる一族と言えるような家系図です。




【 東福門院とは】



出典Wikipedia

没年:延宝6.6.15(1678.8.2)
生年:慶長12.10.4(1607.11.23)
江戸前期、後水尾天皇の中宮。江戸幕府2代将軍徳川秀忠と御台所達子(浅井長政の3女。お江与の方、崇源院)の末娘。名は和子。江戸で生まれる。誕生後まもなくから入内が画策されていたようで、慶長17(1612)年には公武間で交渉が進んだ。その後、大坂の陣や徳川家康、後陽成天皇の相つぐ死などがあり延引。さらに御与津御寮人の一件もあり、入内が実現したのは元和6(1620)年6月のことであった。化粧料は1万石。2皇子5皇女を儲けたものの2皇子1皇女は夭折。寛永1(1624)年11月中宮となる。5年後、「紫衣事件」など幕府との軋轢のなか、後水尾天皇が東福門院所生の興子内親王(明正天皇)に突然譲位。これに伴い院号宣下を受けた。その後、後光明(生母は壬生院)、後西(生母は逢春門院)、霊元(生母は新広義門院)と3代の天皇の養母となる。東福門院の入内は禁裏の財政を支え、後水尾天皇の多くの皇子女の生活を救った。寛永の宮廷文化形成に欠くべからざる存在である。墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵。

<参考文献>熊倉功夫『後水尾院』

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版 

◎エピソード

⚫始め「かずこ」であったが、入内に際し濁音を忌み嫌う宮中の慣習にしたがい、「まさこ」に改めました。

⚫ 修学院離宮を建てた費用の大半が和子の要請により幕府から捻出された物とされる。

⚫後光明天皇の崩御直後にその弟の後西天皇の即位を渋る(後西天皇が仙台藩主伊達綱宗の従兄弟であったため)幕府を説得して即位を実現させたのも彼女の尽力によるとされる。

⚫茶道を好み、千利休の孫である千宗旦を御所に招き茶事を行い、茶道具に好み物も多く、野々村仁清に焼かせた長耳付水指(三井記念美術館所蔵)が現存する。

⚫宮中に小袖を着用する習慣を持ち込んだのは和子といわれ、尾形光琳・乾山兄弟の実家である雁金屋を取り立てたとされる。和子の注文した小袖のデザインは後に年号から“寛文小袖”と言われるようになった。

⚫手先が非常に器用な女性であり、特に押絵を得意とした。現在日本現存最古の押絵は和子の作成の物と言われる。また、京の文化人にとっては和子の押絵を拝領することは一種のステータスであり、現在千家では和子作の押絵を多数所蔵しているという。

エピソードの項
出典Wikipedia

◎東福門院のゆかりの場所

⚫二条城
1620年(元和6年)6月18日
徳川和子は、二条城で儀典を執り行い、ここから行列を作り御所に入り、
後水尾天皇の女御となった。

⚫京都御所

1620年(元和6年)
徳川和子が、後水尾天皇に入内する前年にも、大規模な拡張工事が行われる。

⚫大宮御所
仙洞御所の北側に隣接しており、後水尾天皇の女御となった和子の御所として創建された。

⚫新熊野神社
1666年(寛文6年)東福門院が社殿を再建。

⚫修学院離宮
書院造りの客殿は東福門院の女御御所の奥対面所を移築されたもの。
客殿一ノ間の違い棚は「霞棚」と呼ばれています。これは、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」と並んで三大名棚のひとつです。

⚫成就院
東福門院の寄進で再建。

⚫智積院
総門は東福門院の宮殿の門を移築したものです。

⚫大善寺
鐘楼は東福門院からの寄進です。
天井には菊と、三つ葉葵が描かれています。

⚫建仁寺
本尊の十一面観音菩薩像は東福門院の寄進です。

⚫妙法院
大書院と大玄関が、東福門院が入内されたときに建築された女御御所を移築したもの。

⚫霊鑑寺
東福門院の十二単衣が保存されています。

⚫天寧寺
観音堂に安置されている薬師如来像は、東福門院の念持仏と言われています。

⚫光雲寺
東福門院の死後造られた木像の坐像が安置されています。




◎東福門院を描いた本

『東福門院和子の涙』宮尾登美子著
講談社文庫



徳川2代将軍の娘和子(まさこ)は、史上初めて、武家から朝廷に嫁ぎ、「稀なる福運の姫君」と称えられた。戦国を毅然として生きた女性・お市の方の血を引いて、自らの苦悩は決して語らない女性であったが、宮廷の冷たい仕打ちは、中宮の紅絹(もみ)の布が知っていた……。涙を秘めた慈愛の国母を描いて、深い感動をよぶ長編小説 (データベースより)

『華のかけはし 東福門院徳川和子 』梓澤要著
新潮文庫



二度と江戸の土は踏めぬ。天皇に嫁した家康の孫娘、和子の稀有な生涯を描いた大河小説。
家康の孫娘、和子(まさこ)は「徳川の血を引く天皇の誕生」という悲願のため、後水尾天皇のもとに入内した。一触即発の朝幕関係、待望した皇子の夭逝、夫帝の突然の譲位。次次と襲い掛かる荒波を持ち前の天真爛漫さと芯の強さで乗り越え、彼女は両家の対立を超えた存在となってゆく。歴史上唯一皇后となった徳川の姫の、稀有な生涯を描いた大河長編。『華の譜』改題。
データベースより

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幕府と朝廷の間で、気苦労の一生だった東福門院。どんな方だったのか、興味がわきました。
修学院離宮、大宮御所など所縁の場所を訪ねてみられてはいかがでしょうか?

修学院離宮、桂離宮、仙洞大宮御所の参観には事前に申し込みが必要です。

https://sankan.kunaicho.go.jp/index.html

事前申し込み以外に、数は少ないですが、当日申し込みや郵送での申し込みができます。桂離宮だけ、18歳以上、一人千円です。

⚫︎修学院離宮
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuinrikyu.html

⚫︎桂離宮
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsurarikyu.html

⚫︎京都仙洞御所
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sentou.html

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どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

気がつくと、昨日、3500回でした。我ながらよく続いていると思います。
これも皆さんのおかげです。ありがとうございます。

【今日の京都令和6年6月18日(火)】(No.3501)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○山門懺法/妙心寺 



妙心寺山内の全僧侶が、観世音菩薩と十六羅漢が祀られている山門の楼上に集まり、法要をおこないます。

普段、非公開の山門内部には、 その日に限り、山門楼上に上がり観音菩薩像や十六羅漢像、天井に描かれた飛龍や楽器、人面鳥身図などを見ることができます。 飛天や鳳凰、龍の図が柱や梁に色鮮やかに描かれています。

日程  6月18日
時間   9:00~10:00
(時間をご確認下さい)
料金   拝観料 300円

アクセス
JR嵯峨野線「花園駅」下車、徒歩5分 
ホームページ
https://www.myoshinji.or.jp

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院
 
○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

○あじさい苑開園(〜7/7)/三室戸寺

○ 紫陽花苑の公開(〜6/30)/藤森神社

○ 初夏の庭園特別公開(〜7/10)/建仁寺両足院

○ あじさいウイーク(〜6/30)/柳谷観音

○茅の輪くぐり(〜6/30)/車折神社

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