今日の京都6月10日(月) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。

今日は七十二候が移ります。
【腐草為螢】
(くされたるくさほたるとなる)
草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は腐った草が蛍になると考えていました。 




さて、京都四条堺町にあるからくり時計をご覧になったことはおありでしょうか。
1日のうち6回しか鳴りませんし、その時間にそこにいない限り聞くことも見ることもないかと思います。



このからくり時計は、野村證券京都支店の正面にあります。長刀鉾のからくり時計です。この四条堺町は祇園祭前祭でくじ改めが行われる場所なのです。
からくり時計は朝の9時から夜7時までの時間帯に2時間おきに時計の底から長刀鉾のミニチュアが降りてきて、祇園囃子の調べを奏でます。



9時、11時、13時、15時、17時、19時です。
この辺りお出かけになられて、時間が合えば、ご覧になってみてください。



このからくり時計をご紹介したのは、本日が6月10日、時の記念日ということです。
日本で初めて時計装置が使われた日を記念日として、1920年に東京天文台(現在の国立天文台)と文部省の外郭団体である財団法人の生活改善同盟会によって制定されました。
日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられました。記念日ですが、法定された国民の祝日にはなっていません。現在の日本では6月に国民の祝日がないため、時の記念日を6月の国民の祝日にすべきとの意見も多いが、実現には至っていません。
今年は、時の記念日百周年です。
明石市立天文科学館では、「時の記念日100周年」のオンラインイベントが開催されます。
ご興味のおありの方は、ご覧になってください。

http://www.am12.jp/event/other/other_2020/toki100nen-online.html

【日本の標準時】
日本標準時子午線は、日本の標準時(中央標準時)の基準となる子午線として明治19年勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」(1886年)で東経135度に定められました。
経度0度線の英国グリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線より9時間の時差があり、東経135度は9時間進んでいます。
子どもの頃、明石を通ると、明石市立天文科学館が見えて、日本標準時子午線と書かれていた記憶があります。子ども心に、日本標準時子午線は明石市と思っていました。小学校高学年になり、子午線は確かに明石市を通っていますが、日本海に面した京都府京丹後市から明石海峡に面した兵庫県明石市、淡路島北端の兵庫県淡路市を通り、和歌山市沖ノ島西端(友ヶ島灯台近傍)をかすめて太平洋に至っています。



明石市立天文科学館



東経135度の子午線の通る町
出典明石市立天文科学館

○日本標準時子午線上にある自治体
⚫︎京都府
    * 京丹後市
    * 福知山市
* 兵庫県
    * 豊岡市
    * 丹波市
    * 西脇市
    * 加東市
    * 小野市
    * 三木市
    * 神戸市(西区)
    * 明石市
    * 淡路市
* 和歌山県
    * 和歌山市

【時の記念日の由来】
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日))に、
「置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。云々。」
(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。
訳:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系68 日本書紀 下』 岩波書店
とあり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることからこの日となりました。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」とは水時計のことです。斉明天皇6年の条にも「漏尅」創設の記述があるが、天智天皇10年の記述との関係は不明。前者には日付がないので、後者の日付が採用されたものと考えられている。
漏刻とは
http://oumijingu.org/smarts/index/167/



近江神宮に復刻された漏刻

【時計の歴史】
「とけい」という語の漢字は元々は「時計」では無かったとも言われる。「とけい」の語源には諸説があり、中国の日時計「土圭」とする説、「時計」が「ときけい」から「とけい」に訛ったとする説などがある。用例としても初期には「時計」以外の文字が多く、1491年の相国寺の記録蔭凉軒日録には「秀俊公置斗景計晷」とある。また、1684年の山城国の記録雍州府志には「土圭」の文字で記事があり「自鳴鐘倭俗謂土圭。元自阿蘭陀国来。」との説明がある。この他、時辰儀とも呼ばれた。「時計」の字の初期の用例として、日本国語大辞典第2版は1688年の日本永代蔵「昼夜の枕にひびく時計の細工仕掛置きしに」を挙げている。
⚫︎中世まで
日本で最古とされる時計は660年に天智天皇(当時は中大兄皇子)が作らせた水時計であり、漏刻と呼ばれ、遣唐使によりもたらされたものだった。これはサイフォンの原理で複数の水槽をつなぎ、一定速度で水が溜まるように工夫されたものであった。この装置は管の詰まり防止や凍結防止などへの配慮、読み取った時刻の伝達などが必要であり、奈良時代頃には漏刻博士2名と守辰丁20名などで運営されていた。
日本では長い間、水時計が使われ続け、1595年の羅葡日辞書にも「トケイ、ラウコク」の項がある。なお、900年頃に日時計が使われていた記録もある。ただし、時代が下って戦乱の世になると、置時計である漏刻はあまり活用されず、日の出から日の入までを6等分した不定期法が使われるようになり、時計を使う習慣はやや廃れた。(不定期法による時刻管理自体は昔から行われており、延喜式にも記録がある。)
⚫︎西洋からの伝来
西洋式の機械時計がもたらされたのは1551年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したものが最初とされている。また、1601年には1581年製の時計が徳川家康に贈られ、今でも久能山東照宮に保存されている。
https://www.toshogu.or.jp/about/clock/



西洋では季節によらず、1日を24時間に分けるため、同じ時計が1年を通して使用できる。しかし、日本では室町時代ごろから日昇から日没までの時間を6等分するいわゆる不定期法が使われるようになったため、季節によって「一刻」の長さが変わり、西洋時計をそのまま使うことはできなかった。

⚫︎和時計
17世紀に鎖国が始まってから、戦国時代に伝わった西洋時計の改良が日本独自で行われた。この時計を和時計という。西洋では季節によらず、1日を24時間に分けるため、同じ時計が1年を通して使用できる。しかし、日本では季節によって「一刻」の長さが変わり、このための工夫が必要だった。この他、比較的小型の「枕時計」、4つ足の台の上に置かれた「腰掛時計」などが多く作られた。
なお、一般の家庭に時計があるわけではなかったので、公共機関が櫓で鐘を叩いて時刻を知らせるサービスがあり、時鐘と呼ばれた。時鐘は昼間の時刻のみを知らせるもので、鐘を鳴らす時刻は和時計や香盤時計などで測られた。それらの時計は正確なものではなかったが、複数を用いることで正確を期し、また、晴れの日には日昇時と日没時に補正ができるため、時鐘自体は比較的正確に運営された。
落語の古い演目『湯屋番』の劇中に登場する都都逸にこのようなものがある。
「大きな時計に小さい時計 どうして時間がおんなじだ」
しかし、江戸時代のどの風呂屋にも時計があったとは考えにくく、また「小さい時計」は暗に腕時計を指すものと思われる。明治時代に三遊亭円遊が改変した時に付け加えられたものであろう。
⚫︎明治以降
明治になると鎖国が解かれ、また、時刻もグレゴリオ暦採用に合わせて24時間均等割りに変更されたため、西洋式の時計が再び使われるようになった。当初は輸入に頼り、仕入れた時計は飛ぶように売れた。国産時計は1892年に服部金太郎が作った精工舎で始められ、3年後には輸出も行われるようになった。

この項出典Wikipedia

【時計のエピソード】
⚫︎時計が右回りの理由
時計の歴史は古く、紀元前四千年とも二千年とも言われていますが、最初に発明された時計は「日時計」と呼ばれるものでした。
日時計にも様々な種類がありますが、地面に立てた棒の影の位置から現在の時間を計るものが始まりです。
日時計を利用していた文明の多くが存在する北半球では、太陽は東から昇り南の空を通って西へ沈みます。そのため、日時計の影は太陽の動きに従って左から右へ、右回りに動きます。
その後、時計は進化を続けていきましたが、この日時計の影の動きから、時計の針は右回りと決まったと言われています。
ちなみに、南半球では太陽は東から北の空を通り西へ沈むため、日時計の影は左回りとなりますが、時計は主に北半球で発明され発展していったため、左回りにはなりませんでした。

⚫︎電波時計の標準電波
電波時計が受信する「標準電波」とは、情報通信研究機構 (独立行政法人) が管理する日本の標準時の電波のことです。
電波時計に用いられる標準電波は、日本では福島県の福島局 <40kHz> 「おおたかどや山標準電波送信所」と佐賀県の九州局 <60kHz> 「はがね山標準電波送信所」の二ヶ所です。お住まいに近いところの電波を受信するようになっています。

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この時は、二度と来ないし、もちろん戻ってはきません。大切にしていきたいものです。
(自戒を込めて)

また、新しい1週間の始まりです。
どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年6月10日「月)】(No.3493)

※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 田植祭/伏見稲荷大社



農耕の神様を祀る伏見稲荷大社で、一年の五穀豊穣を祈る田植祭が行われます。本殿での祭典の後、境内にある神田で、平安朝のかざみ装束を纏った神楽女が優雅な「御田舞(おたまい)」を奉納する中、茜襷(あかねたすき)に菅笠(すげがさ)姿の早乙女たちが田植えを行います。 

* お田舞歌

1、やましろや稲荷の神の御田祭り
いざもろともに往きて舞はばや
2、八束穂の稲荷の御田におり立ちて
まひつかなでつ植うるさおとめ
3、稲荷山かげをひたせる斎田(いわいだ)に 

日程6月10日 
時間 13:00~
アクセス
JR奈良線「稲荷駅」からすぐ、または京阪「伏見稲荷駅」から徒歩5分、またはJR「京都駅」から南5系統の市バス「稲荷大社前」~徒歩7分
ホームページhttp://inari.jp/ 

○御田植祭/上賀茂神社



五穀豊穣を願う「御田植祭」が上賀茂神社で斎行されます。
御田植祭では本殿や稲の神とも言われている御歳神(みとしのかみ)を祀る摂社・山口神社(沢田社)で神事を行い、その後神職がならの小川に架かる神事橋から早苗を後ろ向きにならの小川に投げ入れます。

日程6月10日  
時間10:00~
アクセス
地下鉄「北山駅」から市バス「上賀茂神社前」すぐ、またはJR「京都駅」から市バス約40分「上賀茂御薗橋」~徒歩5分
ホームページhttp://www.kamigamojinja.jp/ 

○ 沙羅の花を愛でる会/妙心寺東林院
沙羅の花の見頃にあわせ、東林院で「沙羅の花を愛でる会」が催されます。
梅雨の季節に、白い椿のような五弁の花を咲かせ、一日で散ってしまうはかなさが、ひときわ心を打ちます。10日には、「花供養」も行われます。
日程6月10日~23日  9:30~16:00 ※関白法要「花供養」/10日9:30~
料金
沙羅の庭園特別公開:会費/1600円(抹茶付)、6100円(抹茶・精進料理付)
アクセス
JR嵯峨野線「花園駅」から北へ徒歩8分

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院
 
○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○春の特別拝観(〜6/16)/瑠璃光院 

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

○あじさい苑開園(〜7/7)/三室戸寺

○ 紫陽花苑の公開(〜6/30)/藤森神社

○ 初夏の庭園特別公開(〜7/10)/建仁寺両足院

○ あじさいウイーク(〜6/30)/柳谷観音

○茅の輪くぐり(〜6/30)/車折神社

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