今日の京都5月29日(水) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
昨日は、あちこちで線状降水帯が発生する可能性があるという予報も出て、風雨が強いところもありました。みなさま方のところは被害はなかったですか。
これから梅雨に向かう時期、豪雨に備えましょう。


さて、今日は、「呉服の日」です。
全国呉服小売組合総連合会が制定しました。五(ご)二(ふ)九(く)で「ごふく」の語呂合せからだそうです。



【呉服と着物の違い】
呉服と着物は同じように思いがちです。呉服も着物を総称する言葉として使われていますが、呉服のルーツは日本ではなく中国にあります。呉服の語源は、古代中国に存在した「呉」です。有名な三国志にも登場する国のひとつであるこの国から、日本に機織(はたおり)と呼ばれる反物を織る技術が伝わったのですが、この「呉から伝来した機織」のことを古語で呉服(くれはとり)と呼び、次第に呉服(ごふく)と呼ばれるようになったのです。
それゆえ、呉服という言葉は衣服として仕上がった着物ではなく反物(織物)を指す言葉として使われるようになりました。その後、呉服は中国から渡来した織物の総称となり、さらに絹織物全体を意味するようになったのです。現在着物を売る店を「呉服店」と呼ぶのは、かつてこの織物や反物を扱っていたことに由来します。



それに対して、着物とは、
国際語としても通用する日本の伝統的な服装のことです。元来、着物は読んで字のごとく「着る物」を意味し、衣服全般をあらわす言葉でしたが、現代では世界的にも日本を象徴する服装として広く認知されています。
着物は和服とほとんど同義語として用いられています。もともと和服とは、明治時代に西洋文化とともに日本へ持ち込まれた洋服の対義語で、従来の服装と区別をするため使われるようになった言葉です。時代を経て、洋服が日常生活においてスタンダードな服装として用いられるようになると、着物という言葉の意味が徐々に和服を意味する言葉として変化していきました。
この着物のルーツは、平安貴族が下着として用いていた小袖と呼ばれる衣服にあります。

現代は着物も呉服も日本の伝統ある服装の総称として使われています。しかし長い歴史を紐解くと、着物は衣服全般を、呉服は反物や織物を指しており、元来の意味は全くの別物であったといえます。

この項出典
京都きもの学院ホームページ
https://hanakyoto.jp/kimono_info/knowledge-kimonogofuku/

京都といえば呉服屋さんをたくさん見かけます。特に室町通りには和服のお店や商社がたくさをありました。京都=和服というイメージかありました。都道府県別にみると、一番だろうと思い調べてみました。

◎各都道府県の呉服屋さんの数

最近のデータを探したのですが、見つからなかったので、少し前のデータです。
【軒数】
1 東京 674軒 5.09軒 41.13
2 愛知 551軒 7.42軒 48.33
3 大阪 497軒 5.61軒 42.74
4 兵庫 444軒 7.97軒 50.03
5 京都 320軒 12.19軒 63.09

【人口10万人あたりの軒数】
最後の数字は人口10万人あたりの軒数
1福井県166軒20.87
2富山県168軒15.73
3石川県173軒14.88
4京都府320軒12.19
5岐阜県236軒11.45

全国 8,360軒 6.56軒



 総務省の経済センサス‐活動調査2012 

このコロナ禍で、呉服屋さんの数も大幅に減っているかもしれませんね。

なんと、軒数では京都は5位でした。
東京が1位というのは理解できますが、2位の愛知県は昔から嫁入り道具の派手さで有名なので、呉服屋さんの数でも表れたのかと思いました。また、人口10万人あたりの呉服屋さんの数は北陸の三県となり、生花や茶道教室などの和の文化教室が多いこと(人口比)に強い相関があり、「和の文化的教養が高い≒呉服屋が多い」ことと結びつけられそうです。

順位は5位でも歴史のある呉服屋さんがあります。

○千總462年(1555年)
http://www.chiso.co.jp/sp/company/#enkaku 





○ゑり善433年(1584年)
 http://www.erizen.co.jp/aboutus/ 





江戸時代から大店の呉服屋は、百貨店に移行したところが多く、百貨店の前身はほとんどが呉服屋です。
京都でいえば、高島屋さんも大丸さんもです。


江戸時代の三越

出典Wikipedia

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着物は段々と着られなくなっています。
それには、洋服に比べ、値段が高価だったり、着付けや手入れが大変と感じられるからかもしれません。

これも慣れではあるかとは思います。

着物には、ちょっとした決まりごとがあります。それは、季節や時期によって着物の素材や仕立て方が違ってうるということです。
大まかに「袷」「単衣」「夏物」に分けられます。

「袷」は透けない反物に裏地を付けて仕立てます。おおよそ10月~5月

「単衣」は「袷」と同じ透けない反物に裏を付けずに仕立てます。6月と9月

「夏物」は絽や紗といった透けるものや麻といった夏物の反物に裏を付けず仕立てます。7月と8月に着用します。

ただ、最近は温暖化で気温の高い日が多く、5月でも真夏日になることを考えると、一概に「6月1日より単衣!」というのも大変ですね。 

○江戸時代衣装比べ

着物に纏わるエピソードとして、江戸時代の衣装比べがあります。

 京・大坂・江戸を比較する「三都比べ」である。「京都八百八寺」「大坂八百八橋」「大江戸八百八町」、あるいは「京の着倒れ」「大坂の食い倒れ」「江戸の飲み倒れ」、といった物言いが生まれている。

これは、江戸時代の後期、 神沢貞幹(杜口) (1710~1795) (京都町奉行与力)によって書かれた随筆『翁草』に、元禄期の衣装比べの様子が記録されています。
「翁草」巻十享保以来見聞雑記 内蔵介の世盛りの訳です。

ある日京都東山に女性たちが参会することになり、その場に出席する中村内蔵助(京都の銀座方役人)の妻室の衣装を光琳が担当することになりました。参集した多くの女性たちは、多数の侍女に取り巻かれ「唐のやまとの美を尽し、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の目もあやなる」装いでした。そして何度も「前に増れる結構成る」衣装に着替えました。

内蔵助の妻室は、「黒羽二重の両面に、下には雪の如くなる白無垢を、幾重も重ね着し」、何度も着替えたのですが、その度に「同じ様なる黒羽二重白無垢」を着装しました。元来羽二重とは、貴人が着る「和国の絹の最上」の織物でした。さらに、侍女は「外の妻室の出立に倍して、結構」な装いでした。つまり、妻室は何度着替えても最上の黒羽二重白無垢を着て、そのかわりに侍女には他の妻室より結構な衣装を着せる、というのが光琳の指図だったのです。この演出により、「中村の出立抜群にて、一座蹴押され」たといいます。 



時代祭での中村内蔵助の妻

尾形光琳のア ドバイスといわれていますが「豪華」を強調せず「地味」で勝負しました。「地味」にお金をかけたのです。漆黒の黒 に染め上げるのはとても難しいことです。そして、費用もかかります。尾形光琳は、お供に豪華な友禅のきものを着せ、 妻室の「地味」さを
目立たせることにあったのかもしれません。

これ以降、光琳はずいぶんともてはやされたといいます。

改めて、本当の派手とかセンスのよさを考えてみました。

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先日、注文に応じて着物を染める「誂(あつらえ)友禅」の業界団体、京都誂友禅工業協同組合(京都市右京区)が、解散したことがわかりました。着物離れも進んでいます。素晴らしい、着物文化を残していきたいものです。
どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年5月29日(水)】(No.3481)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○五重大塔開扉 納経法要/醍醐寺



毎月29日、醍醐寺五重塔(国宝)内部において、2回の法要(約1時間ずつ)が営まれます。本法要は、醍醐天皇のご命日にあわせ行われるものです。醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の顕彰と穏子皇后のお心に対し報恩感謝のご法要をいたします。
開扉法要にあわせ、写経奉納が行われ、ご写経奉納された方のみ、五重塔内部を四方の扉の外側から拝観することができます。
五重塔内部を拝観していただくには、伽藍拝観料600円と写経奉納料1000円が必要です。
◇毎月29日
◇午前10時30分~(約1時間)
◇午後1時30分~(約1時間)
◇伽藍拝観料: 600円
◇写経奉納料: 1,000円 
※ 当日、南門前(五重塔と清瀧拝殿の間)写経受付でお申し込みいただけます。
お時間がない場合は、後日郵送での御奉納も可能です。
また10名以上の御奉納の場合は、事前にお写経用紙を郵送致しますので、当日、写経用紙をご持参いただき、奉納料1000円を添えてご奉納ください。
※ 醍醐寺友の会の方は伽藍拝観料は無料となります。
アクセス
JR山科・京阪山科駅、JR六地蔵・京阪六地蔵各駅から
【電車】 地下鉄東西線 醍醐駅下車 2番出口より徒歩10分
【バス】 京阪バス 22系統・22A系統 醍醐寺前下車

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)

○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺
 

○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺

○春の特別拝観(〜6/16)/瑠璃光院 

○ 新緑特別拝観(〜5/31)/妙覚寺

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

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