今日の京都5月24日(金) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
JR東海の「そうだ京都行こう」は多くの方々に京都への想いを募らせ、京都へと誘ったCMです。この「そうだ京都行こう」が30周年を迎え、新たなCMが公開され、昨日からテレビ放送が始まりました。
今回のCMでは、「京都がくれる癒し」と題して安藤サクラさんが旅人です。



今回のCMでは、1つの社寺を舞台として取り上げるのではなく、京都の寺院・街中で触れる癒しの数々を展開しています。京都のオーバーツーリズムを考慮してのことかもしれません。

あっ、小川通、老松さん、先斗町のCaféDOnG by Sfera(旧店名せせらぎ すへら)、蓮華寺。
京都の見慣れた景色が眺められます。
ご覧ください。

https://youtu.be/glDTfhoVTpU?si=2yi0uNyKy0hVtBmv

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さて、今日は「伊達巻の日」です。厚焼き卵などの寿司具を製造する千日総本社が制定しました。



【伊達巻とは】
伊達巻(だてまき)は、卵料理の1つです。伊達巻き卵とも。長崎においてはカステラ蒲鉾とも呼ばれたりしています。
伊達巻は、白身魚やエビの擂り身に溶き卵と出汁を加えてよくすり混ぜ、みりんや砂糖で調味して焼き上げ、熱いうちに巻き簾(まきす)で巻いて形を整えます。家庭で作る場合はすり身の代わりに、入手が容易く同じ原材料を用いた魚肉練り製品のはんぺんを代用とすることがあり、日本の正月の御節料理には欠かせない一品です。
なお、銚子などの地方ではこれで酢飯や具を巻いた伊達巻寿司が供されています。
製法はカステラに似ている部分も多く、すり身を用いる江戸前寿司の「玉子焼き」とも酷似しています。スポンジケーキ状に焼くにはオーブン(天火)の存在が不可欠であることから、ポルトガルのロールケーキである「トルタ・デ・ラランジャ」の技法が応用されたと考えられています。
出典Wikipedia


伊達巻の名前の由来という説のある伊達政宗の忌日からだそうです。

【 伊達巻きの語源・由来】
⚫伊達政宗が好物だったとする説。
⚫色や形が華やかで、おせちなど晴れがましい料理に用いられるところから、「伊達な(派手な)巻き卵」の意味で名付けられたとする説。
⚫帯を締める下ごしらえなど、婦人が用いる和服の幅の狭い帯の「伊達巻き」に似ているところから名付けられたとする説があります。
政宗が食べた料理を記した書物には、似た食べ物どころか卵料理を食べた記録も残っていないため、政宗の好物という説は疑問です。
「伊達」は「人目をひく」「お洒落」などの意味で使われる言葉で、晴れの料理に用いられることを考えれば、「派手な巻き卵」の意味とする説が有力です。
渦状に巻く姿が帯にも通じ、「派手な巻き卵」と「帯」の両意味からとも考えられます。
ただし、帯の語は人目をひく意味の「伊達」からきており、元を辿れば同じなのですけど。

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【伊達政宗とは】
(1567~1636) 



伊達政宗
出典Wikipedia

安土桃山から江戸時代前期の武将。仙台藩藩祖。幼名梵天丸,藤次郎。父は米沢城主輝宗,母は山形城主最上義守の娘義姫(保春院)。幼少のころ右眼を失明,「独眼竜」とも称された。
天正12年(1584)に家を継ぎ、出羽米沢を根拠に勢力を拡大したが、豊臣秀吉に帰服、文禄の役に出兵した。関ヶ原の戦いでは徳川方。戦後、仙台藩六二万石を領した。家臣支倉常長をローマに派遣。和歌・茶道に通じ、桃山文化を仙台に移した。
出典三省堂大辞林 第三版



仙台城にある伊達政宗像


【伊達政宗と京都】
伊達政宗は所領が仙台だったので、京都との関わりは少ないと思っていましたが、伊達政宗の足跡が残っていました。

○ 伊達政宗の伏見屋敷
伊達政宗は秀吉に臣従し、伏見城下で1595年に土地を与えられ、廃城になる1623年まで拠点の一つにしていました。
京都市伏見区に 伊達政宗の屋敷跡を示す地名が残っています。
伏見区桃山町正宗です。ここは、仙台藩の藩祖伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所です。屋敷跡には海宝寺が建っています。



○海宝寺



黄檗宗の寺院です。
寺のある桃山町正宗は、仙台藩の藩祖伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所で、町名もこれに由来します。境内には伊達家上屋敷跡の説明板が仙台市によって設置されています。
大丸の創業者下村彦右衛門正啓は竺庵に帰依し自ら浄財を投じて援助を続けました。




文暦14年(1764年)建立された方丈の内部には伊藤若冲が晩年に制作した障壁画「群鶏図」がありましたが、現在は京都国立博物館所蔵となっています。障壁画のあった部屋は「若冲筆投げの間」と呼ばれています。

京都国立博物館にある伊藤若冲の群鶏図
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item08.html

手水鉢 -は豊臣秀吉遺愛のものと伝えられています。
仏殿前にある木斛(モッコク)は伊達政宗手植えの木と伝えられています(樹齢約400年)。



また、普茶料理(中国式の精進料理)で知られ、山門には「普茶大本山開祖道場」の札が掛かっています。 

アクセス
京阪電車 墨染下車 徒歩約10分京阪電車 丹波橋下車徒歩約15分市バス 最上町下車 徒歩約5分
近鉄丹波橋 徒歩15分
JR藤森 徒歩10分
休日・休館 毎週木曜日 12/28~1/5
料金 無料

○伊達ものの由来

伊達政宗は文禄2年(1593年)秀吉の文禄の役に従軍しました。従軍時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、上洛の道中において巷間の噂となりました。3000人もしくは1500人の軍勢であったとの記録があります。他の軍勢が通過する際、静かに見守っていた京都の住民も伊達勢の軍装の見事さに歓声を上げたといいます。これ以来派手な装いを好み着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった、と伝えられています。

○伊達政宗の屋敷跡から瓦が出土

「 豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町跡(京都市伏見区)で、仙台藩主・伊達政宗の屋敷があったとされる場所から、伊達家の家紋「竹に雀すずめ」を表現したとみられる金箔きんぱく瓦の破片が出土しました。本拠地の仙台城でも見つかっていない瓦で、「おしゃれな戦国武将として知られた政宗らしいデザイン」と言われています。
宅地造成に伴い、2012年に発掘調査が行われました。伊達家の上屋敷跡とされる場所で、安土桃山時代末期~江戸時代初期の土器類に交じり、鳥の文様の軒丸瓦(直径17センチ)と、竹とササの模様がある軒平瓦(長さ26センチ)の破片約10点が見つかっています。

「竹に雀」は伊達家の代表的な家紋で、竹の輪の中でスズメ2羽が羽ばたく図柄。出土した破片から瓦を組んだ状態に復元すると、竹を挟んで向かい合う鳥の文様になります。
政宗は秀吉に臣従し、伏見城下で1595年に土地を与えられ、廃城になる1623年まで拠点の一つにしていた。(2014年5月14日読売新聞) 」

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この海宝寺にも若冲が・・・・。
秀吉が伏見城を作った伏見の町に伊達政宗の足跡がありました。京都の街は、そこここに、歴史の現場が残っています。その当時を思い描き、歩かれてはいかがでしょうか。

どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年5月24日(金)】(No.3476)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○春の特別公開(〜5/25)/東寺

○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)

○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺
 

○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺

○春の特別拝観(〜6/16)/瑠璃光院 

○ 鴨川をどり(〜5/24)

○ 新緑特別拝観(〜5/31)/妙覚寺

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)



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