今日の京都5月8日(水) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
今日は、京都三条大橋東詰め(京阪三条)で、土下座してらっしゃる方の生誕日です。
土下座とは言葉が悪いのですが、高山彦九郎の皇居遥拝の像です。
この像は、そのポーズから土下座していると誤認され、「土下座像」と「ドゲザ」と呼ばれています。



この高山彦九郎のことはご存知でしょうか。

【高山彦九郎とは】
高山 彦九郎(たかやま ひこくろう延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家です。諱(いみな)は正之、戒名は「松陰以白居士」。上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)に生まれる。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも、後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。

祖先は、新田義貞に仕えた新田十六騎の一人である高山重栄です。
13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時、志を立てて郷里を出で、京都三条大橋上で皇居を拝し、「草莽の臣高山彦九郎」と名乗って号泣し、中川規斎に認められて2年間京都に滞留、この間皆川淇圃ら多くの学者に学びました。
この後、彦九郎は全国を行脚して多くの思想家・文筆家たちと交流していき、ある意味で狂信的ともとれる尊皇思想はいよいよ強固なものとなっていきました。
その後、光格天皇の父である典仁親王への尊号贈与をめぐる事件(尊号事件)が起こりました。皇位についていない典仁親王に対して上皇の尊号を贈ることを幕府が反対しており、彦九郎はこれに憤慨して熱心に活動をしていました。
活動の支援を求めて訪れた九州で、彦九郎は幕府に捕縛され処罰を受けます。幕府の監視下に置かれた彦九郎は、久留米の儒学者・儒医である森嘉膳の屋敷に身を寄せました。しかしそこで自刃し、寛政5(1793)年6月28日に亡くなりました。享年47歳でした。
その臨終の際、京都と故郷に向って席を改め、柏手を打ち、心念じ終り、端坐して従容として死につきました。
○高山彦九郎に影響を受けた人々
高山彦九郎の自刃後各地で彦九郎を敬慕する尊王の人々の動きが現われます。江戸中頃の幕藩体制崩壊の兆しの中で、近代を告げる彦九郎の尊王思想の先駆的な行動と実践は、吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎・西郷隆盛を始めとする幕末の志士達に強い影響を与え続けました。

○ 高山彦九郎皇居望拝之像
高山彦九郎は生涯に5回京都を訪れ、そのたびに三条大橋の上から御所を拝み「草莽の臣、高山彦九郎」と叫んだといいます。「草莽の臣」とは民間人ながら国に身を捧げる臣下という意味です。
1928年、11月、初代の彦九郎の銅像が立てられました。
 1944年、太平洋戦争中の金属供出により銅像は撤去される。11月、「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑が立てられる。



 現代、1961年、高山彦九郎大人顕彰会の寄贈により、現在の銅像が再建されました。ちなみに、この皇居は京都御所です。

○皆川淇圃の弘道館




高山彦九郎が学んだという皆川淇圃は、京都御所近くにある有斐斎弘道館を1806年に創設した方です。この有斐斎弘道館私立大学の先駆とされていて、現在も、現代に必要な、文化芸術による<知>を再生するための、新たな学問・文化サロンとして、茶事や講座を行っています。

https://kodo-kan.com/

有斐斎弘道館で日本文化を味わられてはいかがでしょうか。

土下座像の主としての高山彦九郎、こんな人生を送られた方でした。
改めて、像の前を通る時に、手を合わせたいと思いました。

生まれ故郷の群馬県太田市には「高山彦九郎記念館」があります。

https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/hikokuro.html

また、同じ群馬県太田市には高山彦九郎宅跡もあります。
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunkazai/otabunka52.html

また、お出かけになられたらいかがでしょうか。

******************************************************************************************************************************************************

また、今日は「松の日」です。
日本の松を守る会が1989年に制定されました。
1981年のこの日、初めて同会の全国大会が開催されました。
日本の代表的な樹木の松をいつまでも大切に保護して行くことを目的としています。
京都には三名松といわれる松があります。

○京都の三名松

 京都三名松は、金閣寺(陸舟の松)、善峯寺( 遊龍の松) 、宝泉院(五葉松)です。
⚫金閣寺(陸舟の松)



形が舟のようなので、陸舟(りくしゅう)の松と呼ばれています。読み方は(おかしゅう)とも読みます。
樹齢は約600年
この松は、室町幕府3代将軍の足利義満遺愛の盆栽を移し、帆掛け舟のように仕立てたと伝えられています。

⚫善峯寺(遊龍の松)



地上を這うように横にのびていく松の姿は、まるで龍のようだということで
安政4年(1857年)に花山院家厚が付けました。樹齢は約600年です。
もともと遊龍の松は、54メートルの長さがありましたが、平成6年(1994年)に松くい虫の被害に遭い、15メートルほど切っています。そのため、現在は40メートルほどあるそうです。

⚫宝泉院(五葉松)



宝泉院の五葉松は、樹高11メートル、南北11.5メートル、東西14メートルの扇形の松です。幹は3本に分かれていて、中央が一番太くなっています。 

どの松も素晴らしい松です。

************************************************************************************************************************************
どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年5月8日(水)】(No.3460)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143


○山陰祭/吉田神社



吉田神社を創建した藤原山蔭卿を祀る、山蔭神社の例祭が斎行されます。山蔭卿は調理、調味づけに秀でた人物として知られており、料理飲食の祖神として信仰を集めています。例祭当日、烏帽子と狩衣姿の生間流家元により、古式ゆかしい「生間流包丁式」の奉納が執り行われます。これは包丁と長箸を使い、一切魚に手を触れることなく調理していく儀式です。
日程5月8日
時間14:00~
料金無料
場所吉田神社境内(山陰神社)
アクセス
市バス 「京大正門前」下車、徒歩5分
ホームページ
http://www.yoshidajinja.com/index.html

○ 春の特別公開(〜6/16)/大徳寺塔頭 興臨院 

○十三まいり(〜5/13)/法輪寺

○ 春の特別公開(〜5/16)/弘源寺

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○春の特別公開(〜5/25)/東寺

○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)

○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺
 

○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 建礼門院寺宝展(〜5/10)/長楽寺

○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺

○春の特別拝観(〜6/16)/瑠璃光院 

○ つつじ園 開園(〜5/12)/三室戸寺

○不動大祭(〜5/15)/三千院

○ 大原女(おはらめ)まつり
(〜5/19)

○ 鴨川をどり(〜5/24)

○ 新緑特別拝観(〜5/31)/妙覚寺

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)


#京の歳時記
#土下座の像
#皇居望拝之像
#高山彦九郎
#皆川淇圃
#有斐斎弘道館
#松の日
#金閣寺陸舟の松
#善峯寺遊龍の松
#宝泉院五葉の松
#吉田神社