今日の京都4月11日(木) | 都のかほり日記

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おはようございます。
このところ気温が上がったりさがったりで、着るものも悩みます。寒暖差に身体がついていかないこともあるかと思います。どうぞ、ご自愛ください。

今日は、文久3年(1863)4月11日に孝明天皇が石清水八幡宮に攘夷祈願のため行幸されました。



孝明天皇
出典Wikipedia

【孝明天皇が攘夷祈願をなさった理由】

まず、この時代背景を見なければなりません。
この幕末末期、日本は攘夷(外国を排除する)について、分かれていました。

文久2年(1862年)2月。
孝明天皇の妹の和宮(かずのみや)が14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)に嫁ぎました。
これは、幕府が国難を乗り切るために朝廷と力を合わせる公武合体を実現するために求めたもので、朝廷は、幕府の政治体制の改革、将軍家茂の上洛、外国人を日本から追い出す攘夷の決行期日と具体策の策定を条件に和宮を嫁がせることを承諾しました。
幕府は、この条件を飲んだため、翌文久3年に将軍家茂が上洛することとなりました。



徳川家茂
出典Wikipedia

3月11日に、孝明天皇が、賀茂社に行幸し、攘夷祈願を行いました。
賀茂社とは、上賀茂神社と下鴨神社の総称です。



上賀茂神社



下鴨神社

この賀茂行幸を画策したのが、長州藩でした。
長州藩は、幕府が開国したことに反対だったため、以前のように鎖国すべきだと主張していました。
また、日本では天皇が最もえらく、徳川もその臣下に過ぎないのだから、天皇を尊重すべきだという尊王の考えも持っていました。
そこで、長州藩は、孝明天皇が賀茂社に譲位祈願を行うように仕組み、徳川家茂がその供をすることで、天皇の方が将軍よりもえらいのだということを人々に知らしめようとしたのです。

これに対して幕府は、長州藩が裏で手を引いていることをわかっていましたが、朝廷と手を取り合って国難を乗り切るための公武合体を実現するためには、家茂が、孝明天皇の賀茂行幸のお供をするのもやむを得ないと考えました。
また、賀茂行幸で将軍家の威権を確立しようという意図もありました。
その威権を示すために将軍上洛の少し前に会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)を京都守護職に任じ、会津藩兵1,000人を京都に常駐させることにしたのです。

【なぜ石清水八幡宮に祈願したのか】



石清水八幡宮は、平安時代から源氏の氏神として信仰されていました。
徳川家も源氏の流れをくむので、石清水八幡宮は、特別な神社であったわけです。
その石清水八幡宮で、将軍が、天皇から攘夷のために節刀(せっとう)を受ければ、天皇の軍隊の指揮官となり、幕府が率先して外国人を日本から追い出さなければならなくなってしまいます。
すでに開国してしまった幕府としては、外国人を追い出すことはできませんし、かと言って、攘夷を望む孝明天皇の意向を無視することもできません。
幕府を困らせようという長州藩の狙いは、ここにありました。
 
幸か不幸か、行幸の前日に徳川家茂は体調を崩したため、石清水行幸に同行できなくなりました。
仮病ではないかともいわれていますが、真相はわかりません。



のちの徳川慶喜
その当時は一橋慶喜出典Wikipedia

結局、4月11日の石清水行幸では、将軍後見職の一橋慶喜がお供をすることになりました。
石清水八幡宮に到着し、いよいよ節刀を孝明天皇から一橋慶喜に授ける御拝(ぎょはい)の儀式が行われることになりました。
しかし、孝明天皇が節刀を授けようとしたところで、一橋慶喜が体調を崩し、儀式に出席していないことがわかりました。
 
【石清水八幡宮での攘夷祈願以後】
この後、徳川家茂は、朝廷に攘夷決行を5月10日と宣誓し、当日、長州藩が下関で外国船を砲撃する事件が起こりました。
当然ながら、長州藩は、武器の性能の違いから外国艦隊に完膚なきまでに打ちのめされました。
また、京都では、攘夷派公卿たちと偽の天皇の命令を乱発したため、孝明天皇の怒りを買い、石清水行幸の次に予定されていた大和行幸は取りやめとなり、八月十八日の政変で、長州藩は京都から追放されることになりました。

このように、日本の歴史において、大きな転換期となった4月11日だったわけです。

【孝明天皇とは】
孝明天皇(こうめいてんのう、1831年7月22日(天保2年6月14日) - 1867年1月30日(慶応2年12月25日))は、第121代天皇(在位:1846年3月10日(弘化3年2月13日)‐ 1867年1月30日(慶応2年12月25日))。諱は統仁(おさひと)。仁孝天皇の皇子、明治天皇の父。 誕生から崩御まで生涯を通じて京都(平安京及び畿内)で過ごした最後の天皇です。
この項出典
Wikipedia

【孝明天皇にまつわること】

⚫︎「一世一元の制」制定前の最後の天皇である。

⚫︎孝明天皇の在位36年の間に年号は7つもあります。
* 弘化
* 嘉永
* 安政
* 万延
* 文久
* 元治
* 慶応

幕末の孝明天皇が、攘夷をめぐり、重要であったかが
よくわかります。 

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どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年4月11日(木)】(No.3433)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 春の特別公開(〜6/16)/大徳寺塔頭 興臨院 

○十三まいり(〜5/13)/法輪寺

○ 本法寺 春季特別寺宝展(〜4/15) /本法寺

○ 花の天井 春の特別公開& 椿を愛でる会(〜5/6)/平岡八幡宮

○ 春の特別展とライトアップ(〜5/6)/高台寺

○ 春の特別展とライトアップ(〜5/6)/圓徳院

○ 夜桜ライトアップ(〜4/14)/東寺

○ 春の特別公開(〜5/16)/弘源寺

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○ 岡崎さくら回廊十石舟めぐり(〜4/14)

○ 男山桜まつり(〜4/30)/石清水八幡宮

○ 春の特別拝観(〜5/6)/銀閣寺

○ 霊宝館の春期特別展(〜5/6)/醍醐寺

○春の特別公開(〜5/25)/東寺

○春の特別公開(前半)(〜4/21)/白龍園

○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)

○ 春季名宝展(〜4/22)/大覚寺

○ ライトアップ(〜4/14)/平野神社

○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺

○ 特別入山期間 御室花まつり(〜5/6)/仁和寺

○ 霊宝館春季名宝展(〜5/6)/仁和寺

○つつじと新緑の特別庭園公開(〜5/7)/正伝永源院 

○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 令和6年 第150回記念公演都をどり(〜4/30)/祇園甲部歌舞練場

○ 建礼門院寺宝展(〜5/10)/長楽寺

○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺

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