おはようございます。
今日から七十二候が移ります。
【鴻雁北(こうがんかえる)】
雁が北へ帰っていく頃。
ツバメの渡来とは入れ替わりに、冬を日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていきます。
鴻雁とは渡り鳥の「がん」のことですが、「鴻」は「ひしくい」と読み大型のがんを、「雁」は小型のがんを指しています。
「雁」「雁渡る」は秋の、「雁帰る」は春の季語です。
雁は、家紋にも多く使われ、和菓子の「落雁」や、高級茎茶の「雁が音 (かりがね)」にも結び付きがあることから、古くから日本人に親しまれてきたことがうかがえます。
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今日はいつもにまして、長い文章です。
今日は4月9日です。以前瀬戸内寂聴さんが四苦八苦について語られていたことを思い出しました。ちょっと親父ギャグぽいですね。
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味します。
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、
* 生…生まれること。
* 老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
* 病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
* 死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
根本的な四つの思うがままにならないことに加え、
○愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
○怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
○求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
○五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼びます。
お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、という真理を説いています。仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。
すべては移り変わるもの
世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。 世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。それが、「執着」へとつながるのです。このような苦しみにとらわれないためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを理解することが大切です
すべては繋がりの中で変化している
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"存在であると気がつきます。
参考
この世の真理を解き明かす4つのキーワード|お釈迦さまの教え|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト
また、49はうまくいく(49)と、いう縁起の良い数字だそうです。
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さて、今日は、大仏の日です。752年の4月9日に、奈良の大仏として知られる東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)の開眼供養会がおこなわれたことに由来しています。
開眼供養会(かいげんくようえ)とは、完成した大仏に眼を入れて魂を迎える儀式のことです。
○奈良の大仏
現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修ですが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っています。台座の蓮弁(蓮の花弁)に線刻された、華厳経の世界観を表す画像も、天平時代の造形遺品として貴重です。大仏は昭和33年(1958年)2月8日、「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」として国宝に指定されています。
出典Wikipedia
さて、京都にこの奈良の大仏よりも大きな大仏があったことをご存知でしょうか?
【京の大仏】
京の大仏(きょうのだいぶつ)は、京の方広寺(現・京都市東山区)にかつて存在した日本の大仏です。
豊臣時代から江戸・徳川時代の中期にかけて新旧3代の大仏が知られ、江戸時代には日本三大大仏の一つに数えられました。江戸の後期も天保年間になって再建された4代目は昭和の後期まで存続していましたが、昭和48年(1973年)、失火により焼失してしまいました。
○秀吉による造営
天正14年(1586年)、豊臣秀吉は天正地震を機に奈良の東大寺に倣(なら)って大仏の建立を計画し、大仏殿と大仏の造営を始めました。文禄4年(1595年)、大仏殿がほぼ完成し、高さ約19メートルの木製金漆塗坐像大仏が安置されました。文禄5年、安房国の大名であった里見義康が正木頼忠らの家臣と共に上洛した際にも、この大仏が記録されています。
しかし、慶長元年(1596年)に起きた慶長伏見地震により、開眼前の大仏は倒壊しました。このとき秀吉は大仏に対し「おのれの身さえ守れないのか」と激怒し、大仏の眉間に矢を放ったと伝えられています。慶長3年(1598年)、秀吉は法要を待たずに死去し、同年、大仏の無い大仏殿で開眼法要が行われました。
大仏殿は高さ約49メートル、南北約88メートル、東西約54メートルという壮大なものであり、また境内は、現在の方広寺境内のみならず、豊国神社、京都国立博物館、妙法院、智積院そして三十三間堂をも含む広大なものだったそうです。大仏殿は、現在、豊国神社が建つ位置にありました。
○秀頼による造営
秀吉の子豊臣秀頼が遺志を継ぐ形で、豊臣家家臣の片桐且元を担当者として今度は銅製で大仏の再建を行ないましたが、慶長7年(1602年)11月、鋳物師(いも-じ)の過失により仏像が融解して出火し、大仏殿は炎上しました。これには、「放火による慶長9年(1604年)の焼失」とする異説もあります。
慶長13年(1608年)10月には再び大仏および大仏殿の再建が企図されました。大仏殿の創建は慶長15年(1610年)から行われ、徳川家康も諸大名に負担その他を命じ、自身も米の供与や大工・中井正清を送っています。また、大仏に貼られる金の板金は江戸で鋳造されています。(『当代記』)6月には地鎮祭が行われ、大仏殿と銅製の大仏は慶長17年(1612年)に完成しました。
慶長19年(1614年)には4月、梵鐘が完成し、南禅寺の禅僧文英清韓に命じて銘文を起草させ、落慶法要を行おうとしたところ、7月に徳川家康より梵鐘の銘文について「不吉な語句がある」との異議が唱えられ、法要中止の求めがありました。これが、豊臣家と徳川の争いに発展し、両大坂の陣を経て豊臣家の滅亡に繋がる、世に言う「方広寺鐘銘事件」です。
その後、寛文2年(1662年)の地震(寛文近江・若狭地震)で大仏は小破したため、新しく木造で造り直されることになりました。壊れた方の大仏の銅は寛永通宝の鋳造に用いられたといわれますが、当時も流布したデマであると言われてあおます。新しい木造大仏は「都名所図会」によれば高さは六丈三尺(約19m)で、奈良の大仏(14m)よりもかなり大きかったようです。大仏殿は「東西二十七間、南北四十五間」(49×81m)で、これも奈良東大寺の大仏殿(57×55m)を凌ぐ規模でした。その後、人気の観光地となり、東海道中膝栗毛では弥次北が大仏を見物して威容に驚き「手のひらに畳が八枚敷ける」「鼻の穴から、傘をさした人が出入りできる」とその巨大さが描写されています。しかし、寛政10年(1798年)の7月には大仏殿に雷が落ち、本堂・楼門が焼け、木造の大仏も灰燼(かいじん)に帰しました。「京の 京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな 三十三間堂が 焼け残った ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン」という京のわらべ歌はこの時の火災のことを歌っています。
○天保年間以降
その後は同様の規模の大仏および大仏殿が再建されることはありませんでしたが、天保年間に現在の愛知県の有志が、旧大仏を縮小した肩より上のみの木造の大仏像と仮殿を造り、寄進しました。しかしそれも、昭和48年(1973年)3月28日深夜の火災によって焼失しています。焼失前には、堂内に方広寺と大仏に関する遺物の一部を展示し、通年の拝観も可能だったのです。
焼失直後の大仏
出典京都市消防局
○焼失後
大仏がかつてそこにあったことの名残として今日、鐘銘事件のもとになった梵鐘が吊られた鐘楼(明治再建)と、諸将の名が刻まれた石塁や石塔を見ることができます。大仏殿の台座があったと考えられる場所は、大仏殿跡緑地として整備されています。京都国立博物館の平成館前には大仏殿の柱のあった場所が記されています。
この周辺には、「大仏前交番」や「京都大仏前郵便局」など、周辺のいくつかの施設名に「大仏」の名をが残っています。またこの地域は瓦の産地としても知られ「大仏瓦」の名が今に残っています。以前は、門前で名物「大仏餅」も売られていました。東西の通りである正面通は、この大仏殿の「正面」につながる通りであることに由来しています。
周辺には、三十三間堂、法住寺、智積院、方広寺、豊国神社、京都国立博物館などがあり、その当時の大仏に思いを馳せて歩かれてみるのもいかがでしょうか。
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どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!
【今日の京都令和6年4月9日(火)】(No.3431)
※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。
中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。
https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143
○ 二条城観桜茶会
普段は非公開の庭園「清流園」の桜の下で、お茶席設けられ、晴天の場合は野点席があります。
日程4月9日
時間
受付10:00~15:00
茶席券については、3月8日(金)から当日まで二条城券売所で頒布されます。
※開催日までに完売した場合は、当日券の発売は行われません。
料金
1枚 5,000円(和楽庵(本席)、香雲亭(副席)、野点席)
※入城料含む(二の丸御殿を観覧される場合は別途500円が必要)
アクセス
市バス「二条城前」下車
地下鉄東西線「二条城前駅」下車
ホームページ
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
○ 春の特別公開(〜6/16)/大徳寺塔頭 興臨院
○十三まいり(〜5/13)/法輪寺
○ 本法寺 春季特別寺宝展(〜4/15) /本法寺
○ 花の天井 春の特別公開& 椿を愛でる会(〜5/6)/平岡八幡宮
○ 春の特別展とライトアップ(〜5/6)/高台寺
○ 春の特別展とライトアップ(〜5/6)/圓徳院
○ 夜桜ライトアップ(〜4/14)/東寺
○ 春の特別公開(〜5/16)/弘源寺
○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院
○ 岡崎さくら回廊十石舟めぐり(〜4/14)
○ 男山桜まつり(〜4/30)/石清水八幡宮
○ 春の特別拝観(〜5/6)/銀閣寺
○ 霊宝館の春期特別展(〜5/6)/醍醐寺
○春の特別公開(〜5/25)/東寺
○春の特別公開(前半)(〜4/21)/白龍園
○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)
○ 春季名宝展(〜4/22)/大覚寺
○ ライトアップ(〜4/14)/平野神社
○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺
○ 特別入山期間 御室花まつり(〜5/6)/仁和寺
○ 霊宝館春季名宝展(〜5/6)/仁和寺
○つつじと新緑の特別庭園公開(〜5/7)/正伝永源院
○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮
○ 令和6年 第150回記念公演都をどり(〜4/30)/祇園甲部歌舞練場
○ 建礼門院寺宝展(〜5/10)/長楽寺
○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺
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