今日の京都1月23日(火) | 都のかほり日記

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京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
今日は1月23日
123の日です。
123と言えば
「1、2、3、ダー! 」 
「 アン.ドゥ.トロア. 」
なんだかとんとん拍子で、
物事が進みそうな印象です。
リズムに乗ってすごしましょう。

今日は、慶応二年(1866年)1月23日に起こった伏見奉行所による坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件があった日です。


坂本龍馬

出典Wikipedia


この寺田屋事件と呼ばれるのはこれより4年前にも起こっています。
こちらは1862年(文久2年)に発生した「薩摩藩志士粛清事件」(さつまはんししゅくせいじけん)です。





【薩摩藩志士粛正事件】
伏見の旅籠(船宿)の寺田屋に滞在していた薩摩藩・久留米藩・岡藩・秋月藩等の尊王攘夷派志士のうち、薩摩藩から脱藩した志士の一部を、鎮撫使としてやってきた薩摩藩士が上意討ちと称して殺傷し、残りの多くを投降させました。
薩摩藩士有馬新七らは、藩主の父島津久光の入京を機に挙兵討幕を企て、船宿寺田屋に集結しました。公武合体論をとる久光はこれを知り、鎮静のため家臣を派遣しましたが、新七らはこれに従わず、薩摩藩士同士の乱闘となり、多くの志士が殺傷されることになりました。
事件後、久光は多くの志士を京都から追放し、勅使大原重徳を擁して江戸に向い、一橋慶喜を将軍後見職、松平慶永を政事総裁職とする幕政改革を行いました。
この時、後に切腹したものを含めて9人の殉難者は、寺田屋近くの大黒寺に伏見寺田屋殉難九烈士之墓があります。






【坂本龍馬が襲われた寺田屋事件】
薩摩藩志士粛正の後、『蛤御門の変(1864.7月)』や、『第一次長州征伐(1864.9月)』が起こります。

ちょうどその頃、土佐藩出身の坂本龍馬は、薩摩藩の出資で海軍兼商社の海運会社=亀山社中を立ち上げ、社長になっていました。亀山社中は、武器や軍艦などの調達を一手に引き受けていました。ただ、薩摩藩と長州藩の仲が悪いと、倒幕も叶わないと、坂本龍馬は友人の中岡慎太郎とともに薩摩と長州の仲人として奔走します。
その甲斐あって、慶応二年(1866年)1月21日、薩摩の西郷隆盛と、長州の桂小五郎の間で、討幕への方針が一致し、『薩長同盟』が結ばれる事になりました。

その2日後の1月23日の夜、京都・伏見の船宿・寺田屋に潜伏していた龍馬を、伏見奉行所の捕り方が取り囲みました。



この時、坂本龍馬を助けたのが、のちの龍馬の妻となる寺田屋の養女・お龍でした。お龍は、入浴中で、外で物音が聞こえ、すでに、寺田屋は取り囲まれていました。とっさの機転で、捕り方に嘘の情報を流し、時間を稼ぎ、2階にいた龍馬に知らせたそうです。龍馬は、知らせを聞いて、1階の屋根に飛び移り、ここでピストルを発砲して捕り方を威嚇し、屋根から裏へ飛び降りて、裏木戸から外へ出て、裏の家を通って脱出したそうです。その際、軽傷を負った龍馬は近くにあった材木小屋に身を潜め、その間に、ともにいた長州藩士・三吉慎蔵(みよし しんぞう)が薩摩屋敷に駆け込み、救援要請をしました。薩摩屋敷が船を出して、龍馬を救出しました。そして、約1ヶ月、この薩摩屋敷で、お龍と共に傷の療養をしたそうです。
その後、西郷隆盛の斡旋により龍馬とお龍は薩摩領内に湯治などをしながら潜伏することになります。
この時の薩摩行きを、日本で初めてのハネムーンと呼ばれています。ただ、龍馬とも親交のあった薩摩藩家老・小松帯刀が、龍馬・お龍の旅行より10年前の安政3年(1856年)に、先に栄之尾温泉を訪れていた妻と義父を追う形で訪問した例を「最初」とする見解もあります。




せっかく助かった龍馬はその後、近江屋事件(おうみやじけん)江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年12月10日)で生命を落とすことになります。
近江屋は河原町通蛸薬師下ルにありました。ここで、龍馬は中岡慎太郎、龍馬の従僕であった山田藤吉の3人が殺害されました。この時の犯人は、いろいろな説がありますが、江戸幕府の組織である京都見廻組によるものという説が有力です。




【薩摩藩伏見屋敷の絵図見つかる】
坂本龍馬が寺田屋事件(1866年)で幕府側に襲撃された後、かくまわれた「薩摩藩伏見屋敷」の絵図が2017年に見つかっています。
絵図は江戸中期の1786年、改築工事などのために作られたとみられ、縦約1メートル、横約1.3メートル。敷地は南北99メートル、東西64メートルで、間取りや配置はほぼそのままだった可能性が高くなっています。
城南宮の宮司が古書店で発見、購入したそうです。



【寺田屋の現在】
伏見南浜にある寺田屋は船宿です。江戸時代に、ここから淀川までを行き来する船旅の観光客で賑わっていました。
寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失しました。
現在その跡地には、坂本龍馬の像や薩摩九烈士の碑など、幕末の動乱を現在に伝える史跡が残されています。







寺田屋跡地の隣には、かつての寺田屋を再現した「旅籠 寺田屋」があります。館内の柱には、弾痕があったり、刀傷があったりと、幕末の動乱の爪痕を見ることができます。
2階には、当時の女将であったお登勢が龍馬に奨めて、町の画家に書かせた肖像画など、坂本龍馬や「寺田屋騒動」に関する多くの品々を見ることができます。





ただ、現在の寺田屋は『明治以降に再建されたもの』と、
2008年2月5日付けで、京都市は発表しています。
一つの歴史資料館として見学なさってはいかがでしょうか。
入館料大人400円 
中高大学生300円 
小学生200円 
※幼児入場不可

アクセス
京阪電車本線「中書島」下車徒歩約5分
市バス「京橋」下車徒歩約1分
近鉄電車「桃山御陵前」下車徒歩10分

寺田屋のあたりには、伏見十石舟が発着し、月桂冠の大倉酒造の蔵などがあり、春には菜の花と桜がとても綺麗です。



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どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年1月23日(火)】(No.3354)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○蓬莱船(1/1〜2/3)/上賀茂神社

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

○ 都七福神めぐり(〜1/31)

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

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