今日の京都1月16日(火) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。

今日から七十二候が移ります。
【雉始雊(きじはじめてなく)】
雉が鳴き始める頃。雄がケーンケーンと甲高い声をあげて求愛します。 
雉は日本の国鳥で、古名をキギスまたはキギシといい、
それが転じてキジになったそうです。
雉のメスは全体的に茶褐色をしていますが、オスは目の周りに赤い肉腫があり、
深緑色を主色とした長く複雑美麗な羽をもっています。 




さて、今日は薮入りです。

薮入りとは、昔、商店に奉公している人や、嫁入りした娘が、休みをもらって親元に帰ることができた日。
この日と7月16日だけ実家に帰ることが許されていました。
現代では使われなくなっているし、その風習もなくなっている言葉です。

そして、今日は「念仏の口開け」です。
年が明けて初めて、仏様を祀って念仏をする日。
正月の神様(年神様)が念仏が嫌いであるということから、12月16日の「念仏の口止め」からこの日までの正月の間は念仏は唱えないこととされています。 

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今日は、上賀茂神社の武射神事や藤森神社でも、弓引き行事が行われる予定になっています。昨日は三十三間堂の大的大会が行われました。
このように新年に弓引き行事が行われるのは、宮中での弓引き行事があったからと思われます。
平安時代、正月17日に宮中で行われていた射礼(じゃらい)という弓の行事やその翌日正月18日には賭弓(のりゆみ)が行われていました。射礼は豊楽院または建礼門の前で、天皇臨席のもとに親王以下五位以上および六衛府の官人が参加して射技を披露したものです。終了後には宴が開かれました。
賭弓は天皇が弓場殿(ゆばどの)に出御して観覧する儀式です。勝者には賭物
(のりもの)を賜い、敗者には罰杯が課されました。
いずれも後光厳(ごこうごん)天皇の応安(おうあん)(1368~75)以後は廃絶しました。
その流れもあり、伏見稲荷大社の奉射祭、由岐神社の弓の神事、葵祭の歩射神事など、弓にまつわる行事がたくさんあります。




【弓矢の歴史】
弓矢の歴史は古く、旧石器時代末期(約2万年前)まで遡ります。食料を得るための狩猟道具として発明され、日本においては縄文時代に急速に普及したとされています。
やがて弓矢は戦闘用の武器へと用途を変えていきますが、中国文化の影響により儀式的な側面も持つようになります。その後、武家時代の到来により、武士の間で心身鍛錬と戦闘技術の訓練としての弓術が盛んになり、技術革新とともに様々な流派が生まれました。
やがて、鉄砲の伝来とともに武器としての弓矢の時代は終わりを迎え、主に心身鍛錬を目的とした「弓道」が確立されます。
明治に入って欧化主義が採られると、弓道は衰退の危機を迎えますが、日清・日露戦争の開戦による国家主義思想の高まりにより、武道による心身の鍛錬の重要性が再認識され、弓道は一般に広く普及しました。 やがて終戦とともに学校教育からの除外などの措置が採られますが、愛好者たちによる様々な取り組みや、全日本弓道連盟の設立などを経て、体育の授業として復活します。
出典

https://www.homemate-research-gym.com/useful/kyudo/

【弓矢の流派】

弓術の流派は、儀式的な色合いの強い「礼射系」と戦場での実利を重視した「武射系」の2つの系統に分類されています。
礼射系の代表的な流派に小笠原流、武射系の代表的な流派に日置流、本多流などがあります。
多くの競技者はいわゆる「流派」に属さず、全日本弓道連盟が定める射法に沿って競技を行なっています。一方で古来、続く弓術の流派も存在しています。

【アーチェリーとの違い】

アーチェリー(洋弓)との違いは、矢の位置や持ち方、弓の補助具などの他、ルールが一部異なる点などが挙げられます。
照準器がない弓で的を射るため、矢の行き先は自身の精神状態に大きく左右されやすく、技術的な部分はもちろん、あらゆる状況で平常心を保つための精神的な強さを養うことができます。

【弓道の語源】
弓道の語源は弓の道を学ぶ者の意味で弓の漢字は象形文字です。他にも、弓道が由来の言葉で的を射る、弓を引く、白羽の矢が立つなどがあります。
武士の武器として使われていたときは弓術と呼ばれていましたが、1929年に今の弓道の名前に変わります。

【弓道の発祥国】
弓道の発祥国は日本です。14世紀の室町時代に入ると、弓の在り方は大きく変わります。日置流の祖である日置弾正正次の教えからさまざまな流派が生まれ、現代の弓道の基礎となり影響を与えました。

【弓道の発祥の地】
弓道の発祥地は滋賀県の竜王川守町です。日置流の祖である日置弾正正次が川守城の吉田出雲守重賢に、弓の技術を教えたと言われ、川守城の近くの神社には、近代弓道発祥地と記載された石碑が存在しています。

【弓道の試合】
弓道は的に当てる競技です。
弓道競技の種目は、近的と遠的に分かれます。近的は射位(実際に弓を引く位置)から的までの距離が28mで、通常の練習などはこの距離で行います。一方、遠的のそれは60mと近的の約2倍です。
次に競技の種類ですが、3名とか5名などチームを組んで行う団体競技と個人競技に分かれます。近的と遠的では的の大きさが異なります。近的では36㎝の霞的(もしくは星的)を使用します。これに対して遠的は直径1mの大的です。これらは競技開始にあたって掛けられる的ですが、近的ではこの他に24㎝(8寸)、遠的では79㎝、50㎝の大きさの的もあります。なぜサイズの違う的を準備しておくのでしょうか。
団体であれ個人であれ、予選を突破して決勝に進んだ選手たちを、ある時点で選別にかけるために、より小さな的に替えるのです。





参照
財団法人 全日本弓道連盟

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どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年1月16日(火)】(No.3347)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 武射神事/上賀茂神社



京都で最古のお社とされる上賀茂神社で武射神事が執り行われます。外幣殿前の芝生に長さ40m余りの射場を設け、狩衣に烏帽子姿の神職達が的を射て悪鬼祓除を行い、その年の息災を祈願します。小笠原流近畿菱友会による大的式、百手式の奉納も行われます。
日程1月16日  
時間10:30~12:00 ※奉射は11:00頃
アクセス
地下鉄「北山駅」から市バス「上賀茂神社前」すぐ、またはJR「京都駅」から市バス約40分「上賀茂御薗橋」~徒歩5分
料金 拝観無料
ホームページ http://www.kamigamojinja.jp/ 

○ 御木始・御弓始/藤森神社





出典藤森神社ホームページ

藤森神社の本殿前で、早朝に、氏子内の大工が奉仕して神事を行い、その年の工事の安全を祈願する「御木始」が斎行されます。同日の午後3時半頃より、的に鬼という字を3つ書き、神職と氏子代表が矢を射て世の中の悪鬼を祓い、一年間の平穏を祈る「御弓始」が執り行われます。
基本情報
名称 御木始・御弓始(おきはじめ おゆみはじめ)
日程1月16日  
時間御木始/早朝~、御弓始/15:30~
アクセス
JR奈良線「藤森駅」から西へ徒歩5分
ホームページ http://www.fujinomorijinjya.or.jp/ 

○初閻魔,閻魔賽日,十王詣/千本閻魔堂

正月16日と7月16日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすること。
十王とは地獄にいて亡くなった人の罪を裁く10人の判官のことで、特に閻魔王のことを指す。
正月十六日と七月十六日の日は、
閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、
寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすることです。

 十王とは、人が死後、亡者と成って冥界に行き出会う十人の王の事で、
秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、
都市王、五道転輪王のことで、閻魔はその中の一王です。
アクセス
市バス「千本鞍馬口」下車
市バス「乾隆校前」下車

○蓬莱船(1/1〜2/3)/上賀茂神社

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

○ 都七福神めぐり(〜1/31)

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

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