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そりゃ、事実をご存知の方々からすれば、
事実と違うとか
色々あるのかもしれませんが。
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私にとっては、古橋先生のことを思い出すと
涙なしでは見られまへん・・・。
古橋廣之進先生とは、晩年、先生が国際水連の副会長でいらっしゃった時に
自分は、国際水連のアスリート委員をさせていただき。
海外でご一緒するたびに、お世話になりました。
そして、2009年の世界水泳ローマ大会で先生が他界される前、
対談をさせていただきました。
2008年だったでしょうか。
岸体育館での対談では、
本当に長い時間をかけていただき、
今日のドラマである全米選手権でのことなども、
お話してくださいました。
当時、私はフリーマガジンを配布していまして。
そのフリーマガジンのなかで、スポリゴンという連載をしていました。
その第一回が古橋先生との対談でした。
下記、その時の原稿を記します。
スポーツを多角的に考える
スポリゴン
Sports Polygon VOL1
新連載「スポリゴン」。
スポリゴンとは、スポーツとポリゴン(フランス語で多角形という意味)を合わせた造語。
この新連載は、スポーツから得られる様々な価値を多角的に考えていこうというものである。
私は、これまで、スポーツに色々な側面から関わってきた。選手、コーチ、テレビ解説者、メンタルトレーナー、、、。メンタルの仕事が本業になってからは、じつに様々な競技の方々にもお会いするようになった。シンクロ選手時代に比べれば、少しはスポーツに対して色々な視野から見る機会もできたけれど、それでも、やはり、しょせん自分は、元選手的な感覚でスポーツを捉えることが多い。まだまだ自分には決まった側面からでしかスポーツを語れない。スポーツってもっと奥が深いだけでなく、幅が広いはずなのに。そして、もっと違う側面があるはずなのに・・・。
この連載では、スポーツ内外の様々なゲストの皆様から、「スポーツの良さ」を教えていただく。いまいちど、「スポーツって何だろう」「スポーツが社会にできることって何だろう」を考えたいと思っている。
田中ウルヴェ京
スポーツを内から考える
スポーツにおける「一直線の専心」
(財)日本オリンピック委員会顧問
古橋廣之進氏
×田中ウルヴェ京
古橋廣之進先生。
読者の皆様には、どんな方というイメージがおありだろうか。
ご年配の方々であれば、戦後の水泳界で連続世界新という快挙によって、
当時の日本中に勇気と感動を与えた「フジヤマのトビウオ」が先生だろう。
また最近では、「ああ、よくオリンピックで出てくる会長さんですよね」
というようなイメージだろうか。
私にとって、率直にいって、古橋先生は、80歳にして、いまだに逞しく強く、
そして背の高いお身体に反比例するように、優しい瞳が印象的な先生である。
自分が選手時代に日本水泳連盟会長でもいらっしゃった先生からは、
よく日本選手権での表彰台でメダルを頂くことも多かった。
自分が知っている古橋先生は、ニコニコしていらっしゃるイメージしかない。
今回、スポリゴンを企画するにあたって、まず第1回は
「スポーツを内側から熟知している方」にどうしてもお話がうかがいたかった。
思い浮かぶのは古橋先生しかいらっしゃらなかった。
古橋先生のお話を通して、スポーツの良さを伺った。
「逆境には達観―環境に屈さず環境に本気になる」
古橋先生の戦中戦後時代の水泳選手生活をうかがっていると、驚くことばかりだ。
初めて泳いだ「プール」は、浜名湖の一角を板だけで仕切ったプール。
トレーニング理論的には重要な発育時期である十代には、日本は戦争中。
全く4年間近く泳いではいらっしゃらなかった。
そして終戦後には日本大学で再び泳ぐことにはなるけれど、今度は、食糧がない。
トレーニング施設などもちろんない。何もないなかでトレーニングには創意工夫。
筋力トレーニングには色々な重さの石ころを使っていたという。
当時のことを先生は淡々とおっしゃる。
「とにかくお腹が空いてね。ガマガエルだって食べた。まあ、猫とかは食べられなかったけどね」
飽食の時代の私には、食糧難の日本は想像がつかない。
ほんの数十年前のことなだけなのに。
お話をうかがいながら、ふと、オリンピック選手用のトレーニング施設「ナショナルトレーニングセンター」が、今年初めに設置された時の、ある選手のコメントを思い出した。
「強化の環境が整い安心しました」。
「安心しました」を、どう捉えればいいだろうか。
そのコメントに不安を感じた人は私だけではないのではないか。
安心=実力向上=勝利は、勝手に自動発生するものではない。
安心=勝利のためには、先人の苦労を理解しての「本気」という分母がないと、成り立たないことではないだろうか。この本気は難しい。じつは逆境にいる時の方が、人間の心理的には「本気」になりやすいこともある。ただ、やはり、逆境での「本気」には限界がある。
理想は、本気な選手が最高の環境でトレーニングすることであるのは当たり前だ。
改めて「理想的な環境に安心」するのではなく、「それに感謝し、自己鍛錬する」生き方を意識することが大事なのだと感じた。
「指を失ったら泳ぎ方を変えればいいー創意工夫」
勤労動員として工場で働いていた昭和19年、16歳の時、
古橋先生は、左手中指を機械に巻き込んでしまい切断する事故に遭われる。
とっさに思ったことは「親に申し訳ない」と「もう泳げないな」だったそうだ。
実際、自由形という種目で、左手を使うと、水がまったく「つかめない」。
それまでの泳ぎ方では、バランスが悪い。
「左手での水のつかみが悪いんでね、しょうがないから息継ぎを左側に変えて、その時に右手でしっかり水をかくことにした。キックを4ビートに変えたのもそのせいだ」。先生は淡々と振り返る。
どんな状況になっても、そこで八方ふさがりと思わずに、何か方法を見つける。
当時はトレーニング法などが確立していなかったから、あらゆる発想をもって、水泳部のみんなでトレーニング方法を考えた。洋書の水泳教本が手に入った時は、必死に辞書を片手にトレーニングを学んだ。
古橋先生は、「当時はいろんなことを試したよ」とお話になる時、それはそれは楽しそうだった。
今の私たちには、どんなものにもマニュアルがある。マニュアルがあると、やはり、「まずは基本を」といって、そこから始めようとしてしまう。もちろんマニュアル通りに「やれる」ことも大事かもしれない。しかし、「マニュアル通りにやれた」時と、色々試した果てに「自分だけのやり方を発見した」のとでは、達成感は違うだろうなあ、と先生の笑顔を見ながら思った。
先生から学ぶスポリゴンのまとめ
「泳心一路」
先生がいつもお書きになるお言葉の一つだ。
私は、色々なところへ講演に行くと、案内される応接室などで、古橋先生の色紙を発見し、
その色紙のなかによくこの言葉をお見かけする。
すべてのお話は、この言葉に凝縮されていると思う。
何かに一筋でいらっしゃる方は芯がある。
しかも太く真っ直ぐな芯。
その芯を強く太く作り続けてきた先生の人生には、つねに「できないことなどない。あとは、やるかやらないか、だということ」
という覚悟がある。先生はおっしゃる。
「そもそも世の中にやれないことなんてないんですよ。私は冬は氷を割ってプールに入って泳いだ。ボンベイでは水温40度でも泳いだ。本気でやればいいんです。中途半端にやるからケガをする」
本気という言葉は幾度も出た。さらに
「でもね、一生懸命だけではダメ。頭は使わないと。医科学に頼りすぎず自分を持ってね。どんなこともバランスが大事。そして頑固と言われようと信念が大事。」
信念と本気に支えられた真っ直ぐな心。
なんだか今の飽食の世の中。どんな環境も整っていて、どんどん恵まれてきていて、それが当たり前になってきていて。しかも、何が幸せで何が成功か、と「悩むことができる」世の中。とっても当たり前のことを、どうも私は、とっても当たり前にできていないことを、先生のお話から教わった。うーむ。何を極めるにしても、大事なことは一緒だと思った。
古橋先生、ありがとうございました。
プロフィール●古橋廣之進
1928年静岡県出身。日本大学法文学部卒。戦後の水泳界で次々と世界記録樹立。引退後は母校日本大学教授、日本水泳連盟会長、JOC会長などを歴任。1952年ヘルシンキ五輪から全ての夏季五輪に参加した日本のオリンピアンは後にも先にも古橋氏ひとり。現在はJOC顧問、日本水泳連盟名誉会長。
(2008年当時)