皆、トランジションをしていた・・・ | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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朝。

読み始めてしまって、やめられなくなってしまった村上龍さんの「盾シールド」を完読した。


シャワーを浴びながら、自分のキジマの人生、コジマの人生、両方を思い返した。

私は、両方を持っている。

コジマからキジマになり、またコジマに戻った感じなのだろうか。

再読してみなければ、直感でしか語れない。


とにかく考えさせられた。

若い時に読んでおけば、さらにとてもいい本だ。

しかし、

きっと自分が若い時は、読んでも「気づき」をできたかどうかは、定かではない。

気づくには、それなりの心の成熟度が必要だろう。


午後は、シンクロの後輩であり、教え子でもあった元選手の結婚披露宴があった。

今日は、おそらく朝から、非常に心理的に敏感になっていたので、

なんとも不思議な感情が交錯した。


まず。

とにかく、新婦はキレイだった。

そんなの当たり前だ。

新郎もステキな方だった。それも当たり前だ。

幸せそうなのは本当に良いことだ。


最初の新郎新婦を紹介する方が、

新婦が五輪メダリストであるという話をした。

そこまではいい。べつにいい。


しかし、

その後に、会場にいる五輪メダリストということで、

私と、もう一人呼ばれていた、後輩の女性が紹介をされた。

新婦を含めて、会場には3名のメダリストが今日は来ている。ということだった。


こんな紹介のされ方は確かによくあることだ。


しかし。

今日はそれをやってほしくなかった。

絶対やってほしくなかった。

もしも理性というものがなかったら、私はきっとあの場で、即座に前方に行き、マイクを取り上げて、語り始めたに違いない。


新婦は双子ちゃんである。

双子の妹の方は、五輪に行けなかった。

会場の招待客には、沢山のシンクロ元選手がいた。

どの人も、皆、本当に本当に素晴らしい選手ばかりだ。

もしもソウルやバルセロナで、チーム競技が五輪種目になっていたら、たったそんなことだけで、間違いなく、一緒にメダリストになっていた人ばかりだ。


メダリストが偉いんじゃない。

それまで、まったく何の保証もないのに、必死に頑張ってきた、何もかもバカみたいに犠牲にして、一つのことのみにかけて、明けても暮れても、疑問を持つということすら自らで拒否して、没頭してきた、その経過は、まったく誰も一緒である。


勝負というものがなければ、誰もが「勝者」なんだ。

どういう意味かというと、スポーツの社会ほど、あれだけクリアに勝ち負けが決まるものは少ない。


勝った人間が偉いんじゃない。

ただ「勝った」だけだ。


メダルを取ったのが偉いんじゃない。

その経過に価値があるんだ。

負けたら、確かに、負けだ。負けは負けだ。どんなに悔いたって負けだ。

でも、なぜに日本は、特に日本は、勝ったものだけをバカみたいに、奨励するんだ。

なぜ、その経過にある価値を奨励しないんだ。

もちろん、五輪選手のなかには、その価値すら、「おい、あるのか?」っていうような程度の低い選手が存在する。そんな訳のわからない選手と比べたら、、、。


なぜ影と日向の、日向しか見ようとしないんだ。

日向しか見られないのなら、何も評価などしなければいい。


私のテーブルの横隣には、ずっと小さい頃から一緒にシンクロをやってきて、最後にソウル五輪では応援にかけつけてくれていた仲間が両方に座っていた。


おそらく彼女たちは言うだろう。「なーに、いってんのー。もう終わったことじゃなーい。京だけだよ、そんなこと未だに思っているのはー」。


そうだろう。

きっとそうだろう。

しかし。

私は、全然まだ抜けていないから。

悲しくて、悲しくて、すっごくそのプロフィールを紹介している人に勝手に腹立たしく思ってしまった。


なぜ悲しかったか。

このことだけじゃなかった。


私はアトランタ五輪に、どうしても行かせてあげたかった選手が二人いた。


どうしてもどうしても行かせてあげたかった。

五輪に出れば人生が変わるから、五輪は選手の夢だから。その夢を絶対に絶対に叶えてあげたかった。


なのに。

自分の見ていた選手は二人とも行けなかった。

ヘッドコーチの金子先生がおもに見ていた選手はみんな行けた。

自分の指導力がもっとあったなら。

もっとリラックスと集中のバランスをうまくしていたら。

もっと技術的にうまく教えてあげていたら。

もっともっと。


なんて可哀想なんだ。

自分なんかがコーチをしていたから、彼女たちは行けなかった。

謝ってすむものじゃない。

五輪は一生に一度のものだ。


当時は、誰もが私のせいじゃない、選手のせいだ。選手が実際にその当日にできなかったからだ、と言った。

そりゃそうだろう。

でも、そんな「はい、そうですね」なんて思えない。だって、私はコーチとしてまったく未熟だったのだから。


そのこともあって、

今日のあの場面で、自分が立つことがとてもイヤだった。


10年間、コーチをしていた時の、あの後悔が今の仕事を始めるきっかけであったことを思い出した。


そして。

披露宴の最後に、ある元選手で元教え子が、そばにやってきた。

「先生のブログ、よく見ているんですよ。深夜に読んでは一人で泣いてしまうことも多くて、、、。」


びっくりした。

彼女に対してはずっといろんな想いがあった。

後悔の想いばかりだった。

謝りたいことが沢山あった。

でも。

彼女から「過去を振り返ってみて、、、、」色々なことを語ってくれた。


くらーいくらーい過去が、ほんのちょっぴり明るくなった。彼女の言葉でちょっと明るくなった。


オリンピックは簡単に行けない。

でも努力したからって行けない。

そして、一番努力した人間が勝つものでもない。


指導においても。

勝たせることが目的ではないこともある。

しかし。

勝たせるまでの経過に後悔を持たせてはいけない。

どんな負け試合でも。悔いを選手にも自分にも残らせちゃいけない。


今日はなんだか、、、。

心がひじょーに疲れました。


それにしても。

元選手たちは、元教え子たちは、沢山私のところに来てくれて、みんなみんな、とってもステキでした。


そして、自分の恩師を見ながら思いました。

自分のために努力をする人は素晴らしい。

しかし。

それよりも素晴らしいのは、他人のために努力をできる人。