トランジションは人生のなかで何回も続く | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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昨晩は、第14回のアスリートのためのキャリア・トランジション勉強会 でした。


ゲストは元プロ野球選手の小林至さん。


勉強になることばかりでした。

そして、考えることばかりでした。


人生で一番楽しかったことって何ですか?

というフロアからの質問や、元プロ野球選手と言われて、嬉しいかどうかっていうアイデンティティーの部分での話とか。私にとっては、キャリア・トランジションとしてのキーワードを多く拾った気がいたしました。


ただ、やはり1時間半という時間が短くて。

至さんに、通常のインタビューとは違うというメンタリティー状態になっていただく雰囲気が足りなくて、、、。


今回は、重野さんに全部お任せしてしまったので、私は楽な立場でしたけど。

いつも、この引き出しという面は、インテリジェンス×スポナビインタビューでも難しいところです、、、。


選手としての共感部分でつっこむのか、それとも、今の私の直感でいけばいいのか、、、。

難しいし、失敗もするし、でもそれがやりがいでもあります。

ありがたいことです。


いつもながら、、、。

勉強会終了後に、ゲストの方とお食事をするのですが、そのときに出る、思いもかけない話が、また考えさせられることだったりします。


本当にありがとうございました。


で。

今日は、朝は、マイクロソフトジャパンの取締役さんがお友達で。

その方の紹介で、マイクロソフトさんのシンポジウムに行ってきました。


そして夜は、明日に初日を迎えるマッスルミュージカルの通し稽古。


マッスルに参加しているシンクロ選手たちは、ウチの所属なので、色々な思いで見ました。


一人一人の小さい頃からのシンクロに対する思いや、シンクロ競技での引退の仕方、引退後の悩み、選手時代の悩み、オーディションの時のこと、最近の稽古でのこと、、、。色々な彼女たちの背景を思い出しながら、自分の心にこみ上げてくるものが、「すっごく自分っぽくない」ことに、自分自身が焦るほどでした。


私は、自己満足な人間であり、自意識過剰な人間であり、ええかっこしいであり、自信家であり、目立ちたがり屋であり、かっこいいことばかりやりたい人間であり、他人の気持ちがわからない人間であり、万人に認められたい人間であり、すぐ木に登るブタであり、自分のためにしか努力をしない人間であり、、、。そういう自己認知を、引退後に苦しんで、二度目の人生を取り戻すために、その認知をすることに一生懸命努力して、少しずつ、そのみっともなさに受容しながら、少しずつまともになって、されど、七転び八起きをしている。それが思いっきり、自分であり。ほんとーに情けない限りですが、しょーがないじゃん、このアホさは、受容しないとなおらん。と必死に認知をして、一歩一歩まともになっていこうと思っていた。それが私であったのですが、、、。


最近、時たま、とっても「優しい」とか「温かい」とかいう自分が、ひょっこり心のなかに出てきて、なんか変な言い方ですけど、「な、なんだ?ちょっと待ってくれ。私のキャラは悪魔なんだから、そんなまともなキャラは出てくれるな」と自虐的になりたいと望んだりするわけで。


でも今晩は、気づいたら、なんだか、まったく自分軸でない自分がいて。

さすがに、うろたえた。

昨晩の勉強会でも、先日のインテリジェンスさんでの記者会見でも、なんだか、少しずつ違う自分が出てきて。


おいおい、待ってくれ。

何を偽善者ぶっているんだ。

と。

やたら、正しいと思われる方向性から、逆行しようと必死になったりしている。


要するに。

分析するとすると。

私は、今、至福の時なのだろう。

何もかも、ずっとずっと夢見ていたことが、ずっとずっと「叶うはずなどないのだろう」とさえ思っていたことが、それでも、結果を見ないようにして、一生懸命、経過だけに集中して、頑張ろうと思っていたことが、すべて叶っているからだろう。


悔しかったことは沢山ある。

悔し泣きというのは、よく歯をくいしばって、こぶしを握りしめて、やった。

悔しい、悔しい、今に見てろ、自分は絶対に成し遂げてやる、といつも悔しかった。


最初のモチベーションなんてしょせんネガティブだ。


メンタルなんて、仕事になるわけがない

しょせんシンクロ選手だろ

シンクロの田中がメンタル?ふん、うさんくさくて、虫ずが走る

どうせ目立ちたいだけだろ

会社を立ち上げた?金儲けのためだろ

魂がくさったんだ


これ以上のきつかった言葉は記憶にすらとどめるのを心理的に強制的に拒否した。


きっかけは、何を言われても悔しいと思うことをやめたことだ。

すべて、「ごもっとも」と受容することに決めたときだ。


そして、「どうでもいい」「集中しよう」と思えたときだ。


そうしたら、自分がどう思われるとか、どう思われたいとか、という自分軸の考え方がどんどん消えた。


自分のことなんてどうでもいい、でも目標そのものはどうでもよくない!という自分軸でない、目標設定ができたんだろう。


そうしたら、「自分」じゃなくてもいい、自分の築いた、これから築いていく「もの」が、本当に社会貢献や世界平和になることを心から望んだ。


だから、半永久的なモチベーションに変わった。だから揺るがない。揺るぐわけがない。どうでもいいのだから。


どんどん脱皮していきたい。

そうしたら、80歳くらいになった時に、ようやくマシになれるかもしれない。

この達成感は、メダルなんかよりはるかに大きい。


井の中の蛙になってはいけない。

バカの壁のバカになってはいけない。


おそらく、バカの壁の中にいるバカは、逆に、永遠に幸せだろう。

しかし、いったん壁の外に降りてしまったら、バカはどうしようもない。


バカに惑わされてはいけない。

自分のバカにのみ集中し、毎日の執着を切り捨て続け、どんどん捨てていけばいい。


あらたなトランジションである。

すごく見たことのない世界に突入した感じである。


この感覚を、どうしても選手の引退研究を続けておられる、とある先生に表現したいものである。


何なんだろう、この感覚は。


アスリートは特別でなく、特別である。

アスリートは特別であり、まったくもって特別ではない。


そうです。