(前回『久しぶりの路面店』の続き)

 

 

しかし普通に考えたら、とんだ逆張りである。

 

先行きも売り上げ予測も全くつかない上に、固定費が営業した時間だけ確実にかかっていく実店舗の営業である。それとは真逆のコスト計算で何とかやってこられたのが三宅商店というネットストア。コロナでいつ何がどう自粛になってロックダウンになるか分からないような状況下で「路面店を新規オープン」する一手には、オーガニックな勝機は存在しないと思った。そもそも自転車操業なので、そこに回す余剰の資金がない。

 

「て事は、めちゃくちゃクリエイティビティを燃焼して、何かをそこに注入していかないとやれないだろうな」

 

ちょっと待ってくれ、僕は今、犬式の作品作りやレーベルチームの形成、その他の音楽活動、つまり選挙や政治活動で長らく向き合えてなかった事にやっと向き合い、氣が巡るようになったところなのに、そんな余力ある?

 

って事は、これは本当に現在の商店スタッフ、近未来の商店スタッフ、仕入れ先、そして商店を支えるユーザーと言う「コミュニティ」全体の話にしないと、進められないだろう。

 

でもそれって、以前から思い描いていた「三宅の商店」から「皆んなの商店」と言うステージにエネルギーを引き上げる、良い機会なのかも知れない。

 

3年ほど前に米国西海岸で見たPEOPLE'S COOP(ピープルズ・コウアップ)などの、オーガニック・ナチュラルなコープのあり方に受けた刺激への、第一歩を踏み出せるのかも知れない。

 

 

利益に縛られた産業によって毒された食品の安全保障を自分たちの生活に取り戻したい都市住民たちが、ある種の組合制度や消費者による小規模な融資制度でオーガニックスーパーの運営をサポート(中には運営サイドに選任されたり、従業員になる人も)。60年代のヒッピームーブメントや、グレートフルデッドのようなロック思想、はたまたジャズやヒップホップがもはや学問的なレベルにまで昇華されて社会構造の一部と化している西海岸の文化を象徴するように、書籍コーナーには合法化されたばかりのカンナビス(大麻)関係の書籍からヨガ、東洋思想の本も目立つ。

 

レジではドレッドだったりタトゥーをたくさん入れた店員が、気さくにお客と会話してる。実際には米国全体で言えばまだまだ働く場所の限られるタイプの人たちを積極的に雇用するスタンスや、人種やそれぞれの文化をリスペクトする姿勢は明確だ。

 

だからそこで働く店員たちに「ここで働く自分たち」への誇りと主体性を感じたし、20世紀型資本主義が従業員の多くに強いてきた媚びたようなマインドがないので、こっちもお客として楽だった。率直なリクエストも言いやすいし、「やあ、調子どう」ってな温度感で物を売り買いするのは気持ちが良い。逆に機嫌が悪くて神経質なモードになってて「今日は話しかけないでくれ」オーラのお客は存分にそうしている。つまりみんな好きにしている。

 

選任された運営委員の一人に話を聞くと「楽しいしやり甲斐はあるけど、ユーザーともスタッフとも本当にあらゆるシーンで話し合いをたくさんするから、大変だよ」と笑っていた。もはやある種のファシリテーター、議員活動、イロコイ合議制、プリミティブな意味での「政治」だ。

 

あ、軽く資本主義の向こう側が見えてきてるなこれは。と思ったし、それはシステムの話でもあるんだけど、最終的にはコミュ二ティにどんな精神性が宿るか、なのだと思った。

 

その主体は「社長」や「従業員」でもなければ「ユーザー」でもなく、間違いなく「全員」だ。そのマーケットが存在する事で人生の質を担保できると感じている全員が、それぞれの関わり方で少しづつの日常的なサポートを供出して「市場」を発展させている。

 

西海岸のみならず全米にこうしたCOOPのネットワークが存在し、各地域で独立した運営を保ちながら需要と供給の協力関係を築いて国内、海外のオーガニック農家や組合と取引きを行っている。

 

米国における先進性のメッカの1つとして知られるオレゴン州ポートランドの店舗は、地元のパーマカルチャーデザイナーたちが大いに関わってワークショップを開催したり、アーシーな土作りのベンチが備えてあったりする。搾取や不平等や環境破壊によって成り立つ安易なグローバリズムから、地域がコミュニティとして力を取り戻していき「消費動向」という人類共通の最重要文化を自分たちで意識的に築いていく小さな試みの集まり。

 

 

 

もちろんCOOPから得たものは幾つかあるインスピレーションの1つであって、これをその通りにやれば良いと思ってるわけではないけど、あの時に感じたワクワク感は今の自分を動かす源になっているのは間違いない。

 

小さな金融も含めた地域経済をDIY。その自律したローカル同士が距離を超えてネットワークで繋がる事で見えてくる、大きな力にコントロールされたり搾取される事のない新たなる世界。

 

そんなビジョンを実際に具現化して行きたいとは以前から思っていた。

 

という事で勤務形態も含めて小さくはない変化を伴うこの決断について、スタッフ一同の意思確認も慎重に取りつつ、

この壮大な逆張りに、打って出る事にした。

 

吉備中央町の谷あいの街道沿いに小さくとも文化度の高い循環型流通経済の砦を築いて全国に狼煙を上げるプロジェクト。ローカル経済、地域内経済の希望。ここを起点に、オーガニックな農産物やハンドメイドの木工品などの作り手が販売を展開できるようなプラットフォーム。地元の日用的なニーズ(既存の消費)と環境や地域に配慮した三宅商店的なチョイスが交差する出会いの場所。お弁当や美味しいコーヒーが飲める峠の茶屋。これまでは都会のストリートに集約されがちだった音楽やファッション、映像やスポーツ、アクティビティなどのカルチャーの芽を「地方移住ブーム」に乗せて中山間地へ運び融合させる文化発信基地の1つ。自伐型林業の木こりや大工たちとのネットワークを活かして薪や木そのものや果てはそれを加工した建物(ログハウスやツリーハウス)の販売など里山経済を新たに生み出す雛形。無料のティースタンドやキッズコーナー、図書のリサイクルボックスや屋根付きのベンチなどがあって、地域の人々と訪れる人々の気さくなコミュニケーションが生まれる町の一角。一定期間、仕事を抱えて田舎へ癒されに来るシティワーカーやノマドワーカーのためのやたらと仕事がはかどるコワークスペース(共有オフィス)。近郊のキャンプ場などと提携して様々なワークショップが開かれる学びの場。

 

想起されるイメージを急ピッチでまとめつつ、4月にプレオープン、6月にグランドオープン、そんなイメージでスタッフ一同走り始めたところである。

 

さあ、まずは資金集めだ。

 

こうなったら明け透けに手の内を公開しながら、この物語に乗っかってくれる人を募って行く所存。

 

クラウドファンド、補助金・助成金、個人融資、音楽の仕事の依頼、考えつく限りの全方位で、なぜかこのコロナパンデミックの先読めぬ真っ最中に、勝負に出た僕ら、そして僕である。

 

こうなったら「ショックドクトリン返し」「ピンチをチャンスに」「プレッシャー跳ね除け乱反射(by KJ)」「ストライカーの嗅覚」「謎の逆張り」「逆転ゴール」「結果が全て」「その先にある新しくて懐かしい未来」を見せるしか無いのである。

 

 

 

 

三宅洋平は政治から遠ざかったのですか?

と聞かれることがままある。

 

あなたにとって政治とは何ですか?

と答える。

 

それは選挙や永田町や霞ヶ関なんですか?ワシントンやモスクワやロンドンなんですか?違うよね、あなたとあなたから見えるその景色ですよね。

 

グローバリズムに席巻され、テクノロジーに圧倒され、金融市場と情報に振り回される世界から人々が主導権を獲得するには、循環型のライフスタイルへの進化および手の届く範囲の地域経済と地域政治にアクティブに関わっていく「ローカリズム」へと多くの人々が開眼していく必要があると思う。

 

 

 

僕は多分、2013年からあんまり変わってない。

 

少し社会ズレて、さらにグレて、傷の数だけ學んで、ちょっとだけ大人になったかも知れないが、掲げていた政策アジェンダを含めて、大意はほぼ変わらない。

 

言っていたことをさらにもう一歩、実行に移してみようと思う。

 

仲間たちファミリーたちと共に。

消費動向で世界を変えよう。

 

 

大家さんは軌道に乗るまでは家賃は要らないと言う。

 

朝7時からの開店スタッフは自宅が併設するので、お母さんが無償で立ってくれると言う(それは労基法上できないので時給をちゃんとお支払いするが、気持ちに力をもらう)。

 

「最初はあなた方を見た目でヒッピーぽいと訝しんでいたけれど、何年も皆さんの頑張って仕事されているのを見てきて、もうこの時代はスーツ着て口だけ真面目な人たちよりもあなた達みたいな若い人たちの方がよっぽど真面目にやってる」

 

「町にも必要な力。本当に頑張って欲しいの。」

 

ちょっとビールやコーヒーやタバコを買いに向かいのヤマザキストアへ行った折々に、何度もカウンターごしに熱く話しかけてくれたお母さんの気持ちや、きっと当初はお母さんどころじゃなく僕らを訝しんだであろう地域の総代も務める寡黙なお父さんが粛々と守ってきた小森地域の「商店」の看板を、今一度、磨いてみることにする。

 

その物語が、全国の似たような物語たちへの共感やモチベ、助けや慰み、そして時にはモデルケースとなって広まってくれたら、この国や世界のあり方そして未来はほんの僅かでも馬鹿にならない角度の変化を見せると言う確信はある。

 

(続く)