三宅商店が会社になったのは2013年10月。

 

2021年2月現在でかれこれ7年と4ヶ月やっている事になる。

 

その前は、沖縄県北部の本部町という小さな港町の公設市場の一角を間借りしてツアーの合間に一人で営んでいた事に端を発する。地元の自然農を営む静子さんが野菜などを売っている「すこやか農場」の奥の3畳を借りての営業だった。

 

16歳から32歳まで居住していた東京から本部町へ来たのは、2011年4月初旬、原発事故による放射能から逃れて沖縄へ来て3週間目のことだった。事故前は、ちょうどこれから海外に重心を置いて活動していこうとしていた矢先だったので、身は軽かった。

 

国中が未曾有の混乱の中、ツアー稼業もままならない状況ではあったが、そもそもこれだけの量の放射性物質を環境放出した事の影響が全く読めないので、もはや「ミュージシャン」であるかどうかなどという事より「生きる」という事にフォーカスして、専ら食べ物を作る事などに気持ちが向いていた。

 

2009年頃、六ヶ所村再処理施設を阻止するウォーキングに仲間が参加していたあたりから原発の事に意識が向き始め、反対集会や抗議行動に参加、原発工事を30年近く阻止してきた祝島に1週間滞在し、工事阻止を日常に組み込まざるを得なかった漁民や農民のたくましさと朗らかさにむしろ力を貰って帰り、のちに『祝島帰り』((仮)ALBATRUS)という曲を書いたりする事になる。

 

僻地の住民の生きる権利の搾取や生態系の破壊が「経済」の名の下に断行される不条理と、それをほぼ関知しない事で成り立っている社会に対する不信感がマックスに高まっていた頃だった。長らくそう言うことを関知せずに生きてきた自分への憤りもあったし、20代後半と言う若さも相まって熱くなっていた。

 

電力会社や政府の危機管理意識の欠如や、社会への情報伝達における不誠実さを目の当たりに見て(「原発は安全です!」)、原発そのものよりもむしろそれが怖いと思って、危機感を募らせて世に訴えていた中での2011年3月の事故だったので、ショックや絶望感はひとしお大きかった。

 

この人たちはこれから、これまで通り壮大な嘘をつき始めるだろうと思った。人格どうこうの話ではなくて、巨大な構造の問題がそうせざるを得ない人々をたくさん生む。

 

なので、その後の政府発表などの公式見解はほぼ一切、信用できなかった。僕がそれまでの活動を通して世界中の事故の事例から学んでいたのは「こういう時にオーソリティ(政府筋の専門家や企業の公式見解、時には医学界)は嘘をつく」という事だった。そしてそれらの「見解」の源にある IAEAやその前身であるマンハッタン計画の歴史的な性格を知っていれば、原子力産業全体が巨大な嘘で成り立っている事に気づく。

 

安全バイアスが強く働く世の中へ放射能の危険性を発信していく活動はとても疲弊した。それは家族や友人であっても、多くの場合は同じ努力を要した。

 

末端の事象というよりは、システムの根幹を突かないと変化はもたらせないと思い至り、2013年に1回目の参院選に出る。当時、せめてもの自分の届き得る現実的な手段がそれだった。今数えると、34歳の夏だった事になる。音楽で海外行こうと思っていたが、なぜか日本で選挙に出ていた。

 

落選はしたが多くの仲間たちの尽力によって選挙史に存在しなかったものを新たにもたらす程度のムーブメントは巻き起こした。一介のインディミュージシャンが全国比例区で17万を超える個人票を獲得した。そしてその『選挙フェス』が播いた種は今も、あらゆる形で社会に萌芽していると確信させてくれる人々を、これまでにも沢山見てきた。何よりも山本太郎を当選させることができた。

 

日本中の主要都市の街区を、例えば東京・渋谷のスクランブル交差点だったはずの場所を、究極のゲリラライブ状態で何千、何万人という聴衆が「選挙の名の下」に合法的に埋め尽くした光景の中で、変化の兆しを感じると同時に大波が去った後のじれったいほどの静けさや停滞の期間も予期したし、何よりも僕らが糾弾する政府や電力会社、経団連や経済の構造の全てが人々のライフスタイルの写し鏡であるという現実そのものに変化を加えていくという道のりを思うと、その途方もなさに目眩を覚えるような思いもあった。

 

選挙の演説でいくらエコロジカルや生態系の権利を訴えて納得や感動を得られたとしても、それは多くの人にとっては人生の中の一瞬としてタイムラインを流れ去っていく出来事に過ぎない。音楽で心を動かすのも、ドラスティックに言ってしまえばそうかもしれない。

 

 

例えば、

 

たった今、

 

ケミカルな合成洗剤を環境放出して、自分以外の菌や微生物、昆虫や動物、植物が生きていけない状況を作り出しながら「原発からの汚染水の放出に憤っている」人の、その手に持つ洗剤を生分解性のものに換えてもらったり、使わないでも落ちる汚れが多いことを知ってもらいたかった。

 

「高いものは買いたくない、買えない」という論理を乗り越えて、本当に大切にするべきものは何かを世の中の大勢が理解して行動すれば、結構シンプルに世界を変えられると思った。実際には知恵さえあれば、何も買わずに実践できることも多い。

 

なので壇上で演説しながら、数多の聴衆の皆さんの着ているものや被っているもの、履いているものなどをつぶさに見ながら、あれも変えられるな、これも変えられるな、と思ったりしていた。まだまだ不完全ながらも自分なりの姿勢として麻のふんどし、麻のパンツにTシャツやタンクトップという「正装」で暑い夏の選挙の街宣に、裸足や沖縄の島ゾウリで臨んでいた。

 

僕は短絡的なので、言っているだけでは収まらず、自分が衣食住の暮らしのシーンで活用しているアイテムたちを直接に売った方が早いと思って、三宅商店を始めた。

 

言ってるだけだと家に帰って忘れるけれど、買って帰ってくれたら、そのアイテムがしばらくはずっと語りかけてくれるかも知れないと思った。それは百日の街頭演説よりも、効果があるかも知れないと思った。

 

 

例えば、

 

パレスチナからやってきたオリーブオイルの瓶が底をつくまでのしばらく、いつもの台所に中東情勢やイスラエルという存在についての歴史的な想念が渦巻くかも知れないし、それは次なる消費行動やひいては生き方に根本的な影響を与える小さなきっかけになるかも知れない。

 

三宅商店という「セレクトショップ」は、そう言う僕の夢想を現実的なアイテムとしてセレクトして置く、暮らしの概念革命を目指した。

 

売ると買うと言う行為を通じて繋がるインスタレーションアート。

 

選挙の一回の握手で終わらない、例えば半年使う石鹸握って帰ってもらう事で、合成と天然の違いや意味を肌で感じてもらう事って、すごい濃厚なつながりだと思ったんだよね。生きる行為に及ぼす濃厚な影響を促す、相互的な行為のアート。

 

そうした創業者としての個人的な意図と、現在は遠隔スタッフも含めると十数名が関わる会社と言うコミュニティとしての意志やユーザーのリクエスト、経営的な指針も織り交ぜて、何とかかんとか今日まで続けてこられた。

 

2016年も含めた選挙の後のちょっとしたバブルも味わったし、それ以外の多くの期間は「人にも環境にも良いものを適価で売る」事の難しさ、何よりも「小売業」の厳しさ、いやもっと言うなら「経営」の難しさ、を思い知らされる時間でもあった。

 

路面店に関しては、沖縄・那覇の浮島通りに3年ほどお店を構えていたが、家賃やお店に立つ人件費などの経費をまかなう売り上げを出そうとすると、結構がんばらないといけない、って言うのでスタッフがいわゆる資本主義的「販売員」の苦労にさいなまれて疲弊著しかったりもあったので、現在の岡山・吉備中央町の物流本拠地には小さな直売所はあったが(コロナで2020年3月に閉店)、基本的にはここ数年はネット販売にウェイトを置いてきた。

 

そんな最中に、コロナがやってきて世相が一気に変わり、いろんな稼業が苦しくなっている状況下、三宅商店事務所のお向かいにある大家さんのヤマザキストアがご夫婦の高齢化もあって、畑などやりたいこともあるので2020年いっぱいで閉店する事になった。近年は、地域の過疎化と近郊の大型商業施設でのまとめ買いなどもあって、光熱費や自分たちの人件費も含めると実際には持ち出しの方が多い中で、先代の商店から続く数十年の地域流通の拠点としての存在を維持するために営業してきたと言う。地域にはまだ、ここまで歩いて買い物にこられる事で助かっている人もいる。事務所への行き帰りに酒やタバコを求める職人たちもいる。

 

それこそ池田藩の頃までさかのぼってみれば、高瀬舟で川底を棒で突きながら南は倉敷や岡山、北は真庭や津山を荷物満載で行き来していたような頃には、ここら辺は温泉もあって峠の街道沿いで川沿いでもあるので、交通と流通の拠点であった事は容易に想像できる。先代くらいまでは辺りに旅立つ人あれば、その棺と、それを打つ釘まで取り扱うのも仕事であったと言う。

 

 

 

でもって

 

「もし可能なら、この灯火を三宅商店の皆さんに継いでもらいたい」

 

と仰るのである。

 

 

 

このコロナ禍に、トラックが乱暴に通り過ぎていくだけのこの過疎の山奥の街道沿いの旧ヤマザキストアを、継いで大変な思いをしないだろうか?

 

率直に言って、最初はそう思った。

 

でも、得体の知れないやり甲斐も感じた。

 

 

 

 

久しぶりの路面店|三宅洋平 #note https://note.com/inushikiyohei/n/n85eace54bd3b