死なないで、ね……どうか生きてください…… | 覚醒のひかり

覚醒のひかり

縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

 

 

 

死なないで、ね……

どうか生きてください……

 

 

樹木希林

 







 

 

 

樹木希林 内田也哉子『9月1日母からのバトン』より

 

 

 

 

まえがき

 

 

 

「死なないで、ね……どうか生きてください……」

 

 

 

去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。

 

 

 

あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。

 

 

 

それからなぜそんなことをしているのか問いただすと、

 

 

 

「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」

 

 

 

「もったいない、あまりに命がもったいない……」

 

 

 

と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。

 

 

 

この2週間後に、母は75年の生涯の幕を下ろしました。

 

 

 

「学校に行かなくちゃ、ちゃんとしたオトナになれない」

 

 

 

「学校なんて行かなくたって、一人前になれる」

 

 

 

こんな両極端な言葉を聞くことがあります。

 

 

 

でも、正直、大のオトナで、3人も子どもを育てる私にさえ、正解は靄(もや)の中です。

 

 

 

私自身、小中高とさまざまな国の子どもたちに交ざって、忘れ難いかけがえのない時間も、つらくて思い出したくもない時間も、その狭間の記憶にも残らないぼんやりとした時間も校舎で過ごしてきました。

 

 

 

学校というものを「人や知らなかったことと出会う場所」くらいにしか捉えてきませんでした。

 

 

 

ある意味、「学校へ行く」という行為の奥に潜む現状に、無関心にも目を背けてきてしまったのです。

 

 

 

ところが、死を目前にした母親のつぶやきで、事態が一変しました。

 

 

 

母の死後間もなく、ある編集者から、母が生前、「学校に行けないということ」について語った原稿が送られてきました。

 

 

 

私はこれを母からのある種のバトンだと理解し、まずはほんとうのことをもっと知りたいと思い、やがて、その現状を少しでも誰かと共有できればと願うようになりました。

 

 

 

まだ入り口に立ったばかりですが、わずかでも靄に包まれた長い道のりを、この本を通して、出会った方々の後ろについて、しっかり歩いていければと思います

 

 

 

平成31年如月 内田也哉子

 

 

 

 

 

 

 

 





久しぶりに読み返しましたが、涙が出て来ました。

 




死なないで、ね……

どうか生きてください……


 

 



心を守りながら



身体を守りながら



なんとか

生きてほしい



自分が

守られないところからは

勇気を出して

逃げましょう!




学校って

大人になって思うと




とても

狭いところだったと

思います




あの頃

かなりしんどかったけど



あの時を乗り越えたからこそ

味わえた楽しいこと

いろいろあります



逃げた自分に

後ろめたさを

感じたことも

あったけれど



逃げなければ

自分が保てませんでした



おかげて

今もなんとか

生きています



 

貫井(み)投稿