生きていくことの修行を通じてどうやって自分を高めていくか | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
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(貫井笑店)


 

 

 

 

修行っていうと、お坊さんがやるものだとみんな思っているんだけど、みんなだって生きているだけで修行をしているんですよ。

 

 

 

酒井 雄哉(さかい ゆうさい)







 

 

 

生きていることはすべて行

 

 

 

 

酒井

 

 

修行っていうと、お坊さんがやるものだとみんな思っているんだけど、みんなだって生きているだけで修行をしているんですよ。

 

 

 

池上

 

生きていること自体が、修行・・・・・・。

 

 

 

酒井

 

たとえばみんな、毎日仕事をやっているでしょう。

 

 

 

それは行と同じことだよ。

 

 

 

形が違っているだけのこと。

 

 

 

仕事をすれば当然会社で決められていることをしなくてはならないでしょう。

 

 

決められた仕事の中で、能力を発揮して勤めることは、会社の業績に繋がっていくわけだし、ぼくなんかは山を歩く能力しかなかったから山を歩かせてもらって、仏様の知恵を学ばせてもらいましたから。

 

 

 

なにごとも一生懸命したらそれは行と同じだし、生活を築いてゆくことだって、いろいろなことに直面して苦しんだり、反省したりと、人生は行に置き換えられるんじゃないかと思いますよ。

 

 

 

池上

 

毎日の仕事も修行のようなものであると。

 

 

 

酒井

 

例えば、千日回峰行をやる以前に、お坊さんにさせてもらうのに、比叡山で三年間籠って、お坊さんになる勉強をしないといけない。

 

 

 

そこで、教学を習い、その修行の過程に、四種三昧があります。

 

 

 

四つの三昧から選択をして、僕はその中で常行三昧をさせていただきまして、90日間お堂の中の阿弥陀様の周りをぐるぐる念仏を唱えてまわり、仏様から感得をうけるんです。

 

 

 

それを普通の会社に置き換えたら、何か事業を達成させると思ったら、社運を上げて一喜一憂するじゃない。

 

 

 

個人でも会社でもそれは行も同じなんですよ。

 

 

 

途中で放りだしたら、ぼくの場合、山を下ってお坊さんにもなれない。

 

 

 

普通の人だって仕事を放りだしたら、会社をクビになりますよね。

 

 

 

形はちがっても行しているのと同じなんですよ。

 

 

 

池上

 

修行することによって、自らを高めていくように、生きていくことの修行を通じてどうやって自分を高めていくかということですね。

 

 

 

 

酒井 雄哉 池上 彰『この世で大切なものってなんですか』より一部引用以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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