祈り、薬、手術ーこれらはすべて、私たちにとって祝福であり、恵みであり、贈り物である | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

 

 

 

祈り、薬、手術ーこれらはすべて、私たちにとって祝福であり、恵みであり、贈り物である

 

 

ラリー・ドッシー

 





 

 

もしイエスや、ムハンマドや、釈迦がペニシリンを持っていたら、彼らはそれを用いただろうー祈りとともに。

 

 

祈りと通常医学は、排除しあわずに、ともに用いることができると私は考えている。

 

 

本書は「祈りは良き薬である」というテーマのもとに書かれたものであるが、私がいいたいのは、祈りだけが「唯一の」薬であるとか、医学の「代わりに」祈りに頼るべきであるとかいうことではない。

 

 

祈りは現代医学より「優れている」というわけではない。

 

 

祈り、薬、手術ーこれらはすべて、私たちにとって祝福であり、恵みであり、贈り物である。

 

 

畏敬の念と感謝をもって、これらの手段をすべて用いることがどうしていけないのだろうか?

 

 

 

 

ラリー・ドッシー『祈る心は、治る力』より一部引用

 

 


 

 

 

 

 

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