もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。
そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
養老孟司
若い頃に、家庭教師で数学を教えたことがあります。
数学くらい、わかる、わからないがはっきりする学問はありません。
わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。
わかる人でも、あるところまで進むと、わからなくなります。
もちろん一生をかければわかるかもしれないのですが、人生は限られています。
だから、どこかで理解を諦める。
もちろん、そうしない人は、専門の数学者になるでしょう。
しかし、それでも、数学のすべてを理解するわけではない。
それを考えれば、誰でも「バカの壁」という表現はわかるはずだと思っています。
あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは、当然のことです。
しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。
だからいろいろ悩むわけです。
そのときに「バカの壁」はだれにでもあるのだということを思い出してもらえば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません。
そのわかり方は、世間の人が正解というのと、違うわかり方かもしれないけれど、もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。
そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
でも多くの人は、反対に考えているようですね。
ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。
若い人もそうかもしれない。
なぜなら、試験に正解のない問題を出したりすると、怒るからです。
人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。
とりあえずの答えがあるだけです。私はそう思っています。
でも、いまの学校で学ぶと、一つの問題に正解が一つというのは当然になってしまいます。本当にそうか、よく考えてもらいたい。
この本の中身も、世間のいう正解とは、違った解を、いくつも挙げていると思います。
でも、この本の中身のように考えながら、ともかく私は還暦を過ぎるまで生きてきました。
だから、そういう答えもあるのかと思っていただければ、それで著者としては幸福です。
もちろん皆さんの答えがまた私の答えとは違ったものであることを期待しているのです。
養老孟司『バカの壁』まえがきより一部引用
貫井投稿