私の水はまだかね | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)





osho


  





ある日のこと、 ヴィシュヌ神は遠い山の深い洞窟に座り、 弟子たちと一緒に瞑想していた。


瞑想が完成したことにいたく感動した弟子は、ヴィシュヌの足もとにひれ伏し感謝のしるしに何かの奉仕をさせて欲しいと言った。


ヴィシュヌは笑いながら首をふった。 



「私が無償で与えたものに、行為で報いることほど難しいことはない」


弟子は言った  



「主よ、どうか何かのお役に立たせてください。」


「よかろう」



とヴィシュヌは優しい声で言った。 



「冷たくて うまい水が飲みたい」


「すぐもって参ります」 



弟子はそう言うと、うれしそうに歌を歌いながら山を駆け下りていった。


やがて彼は美しい谷の端にある小さな家の前に来て、 戸を叩き


「師がお飲みになる冷たい水を一杯頂けないでしょうか?」 



と 尋ねた。 



「私たちはさすらいのサニヤシンで、この世に家も持たない者です」 



しばらくして乙女が現れて、崇敬の念もあらわに彼を見つめた。



「まあ」と彼女はささやいた。


「遠い山の頂で、あの聖者にお仕えしていらっしゃるのですね。どうか、中にお入りになって、祝福を授けてください」


「申し訳ありません」 



と彼は言った。 



「急いでいるのです。水をもってただちに師のもとへ帰らなければならないのです」


「でも、 祝福をしてくださっても、 あのお方はお怒りにはなりませんわ。 あのお方は偉大な聖者なのですから、 その弟子であるあなたは、 私たちのように幸運に恵まれない者たちを 助けてくださらなければなりません ...どうかお願いです」 



と彼女は繰り返した。


「この貧しいわが家を祝福してください。 あなたをここにお迎えして、 あなたを通して主にお仕えできるなんて、本当に光栄ですわ」


..物語はさらにつづく。


彼は態度をやわらげ、 家の中に入り、その中にあった全てのものを祝福した。


やがて夕食の時間になったので、 まだ帰らずに彼女が料理したものを食べて、 それを祝福する(食べることが祝福となる)ように勧められた。


そして夜も更けてきたので、 



「山までの道は遠いし、 暗闇で足を滑らせ 水をこぼすかもしれません。 今夜はここで寝て、 朝早く旅立てばいいではないですか」 



と勧められた。


ところが朝になると、 誰も乳搾りを手伝う者がいなかったので 雌牛が苦しみだし 雌牛はクリシュナ神の聖なる使いであり、 苦しませてはならない  


「一度でいいからあなたが手を貸してくれるならとてもありがたいのですが」 



と頼まれた。


こうして日々が過ぎ去っていったが、 彼はとどまっていた。 



彼らは結婚し、 たくさんの子供をもうけた。 



彼は土地を耕して、 すばらしい収穫をあげた。 



さらに土地を買って穀物を栽培した。 



まもなく近隣の人々が助言や手助けを求めて、 会いに来るようになった。 



彼は無償でそれを与えた。


一家は繁栄した。


彼の努力で寺院が建てられ、 学校や病院がジャングルを切り開いてつくられた。 



谷はこの世の宝石になった。 



かつては荒野でしかなかった場所に調和がみなぎっていた。 



その繁栄と平和の知らせが国中に広がるにつれ、人々は谷に殺到した。 



そこには貧困も病気もなく、 人々はみな働きながら神への賛歌を歌った。 



彼は子供たちが大きくなり、 孫たちができるのを見守っていた。 



平穏無事な日々がつづいていた。


ある日のこと、 谷を見下ろす低い丘に立ちながら、 老人は ここにやって来てから起こった全てのことを思い起こした。


見渡すかぎり農園が広がり、 村は豊かに繁栄していた。 



老人は満足した。


が、 その時突如、 山津波が押し寄せ、 みるみるうちに村中を飲み込んでしまった。 



あっという間に、 すべてが消え失せてしまった。


妻も子供も農場も学校も近所の人々も全てが飲み込まれてしまった。 



彼は茫然として、眼前でくり広げられる大災害を見つめていた。


見ると、師のヴィシュヌが激流の上に乗っていた。


ヴィシュヌは、彼を見ると悲しげな笑みを浮かべて言った。 



「私の水はまだかね」


これは人間の物語だ。 



これは万人に起こっている。 



私たちは完全に忘れているなぜここにいるのか、いったい何をしにやってきたのか、何を学び、何を得、何を知るためなのか、 自分が誰であり、どこから来てどこに行くのか、 私たちの源はどこにあるのか、 生、肉体、現世への旅を引き起こしたものは何なのか、そして今までに何を達成してきたのかを完全に忘れ去っている。


もし山津波がやって来れば.... それは必ずやって来る、 常にやって来ている、その別の名前は 死だ 。



<存在>はあなたを待ちつづけている。


最初に頼んだものをあなたが持ち帰ってくることを延々と待ちつづけている。





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