シャンタンさんお誕生日おめでとうございます。天から見守ってくださりありがとうございます。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

 

 
 
今日、3月13日はシャンタンさんの誕生日です。
 
 
 
「僕は生まれてくる時代が早すぎたみたいね〜」
 
 
「最近はニューエイジの人が増えてきて大分楽になってきたよ〜」
 
 
「あなたの好きな音楽や本やマンガを教えてくれる?」
 
 
などおっしゃり、いつでも少年のようでした。
 
 
mixi、フェイスブックなどのSNSを駆使し、多くの方と連絡を取っていた交友の広い方でした。
 
 
生きていたら今日で84歳。
 
 
 
キラキラお誕生日おめでとうございますキラキラ
 
 
 

桜茶に桜吹雪に桜もち

 
 
シャンタンさんが、「僕が作ったんだよ〜」と嬉しそうに詠んでいた俳句です。
 
 
 
寒暖差が激しく季節の境目が曖昧になりつつある今日この頃ですが、春の気配はあちこちで感じられます。
 
 
 
今年も例年よりも早く桜が咲くんでしょうか、、、。
 
 
 

 

 

 

 

3月17日はシャンタンさんの命日。

 

 

17日に命日について記事を上げよう!と思っていたら、内なるシャンタンさんが話しかけて来ました。

 

 

「ちょっとくどいんじゃない?僕はまとめたらいいと思う」って。

 

 

貫井笑店み亭(妻の方)です。

 

 

いつも覚醒のひかりブログをお読みくださりありがとうございます。

 

 

2022年1月、京都での個展を終え、東京江東区の芭蕉記念館で作品の展示をしていたシャンタンさんは体調不良を訴え、その場に居合わせたMさんとMさんの彼女が病院に連れて行ったところ、重度の肺がんが見つかりました。

 

 

その病院での医療的な処置を望まなかったシャンタンさんをMさんが自宅に連れて帰り、環境を整え看病を続けました。

 

 

Mさんは自身のお父様を自宅で見送った経験があり、「もっと行政のサービスに頼った方がいいのではないですか?」と言う私に対して、「僕は大丈夫、シャンタンさんと静かな時間が過ごせて嬉しい」とおっしゃっていました。

 

 

様々な方がシャンタンさんのもとを訪れてはヒーリングをしたり、自分でもゆるゆる瞑想をしながら痛みを解放したり自己ヒーリングをしていました。

 

 

3月2日にお見舞いに伺った際には、ほとんど声を発することが出来ず、かすれるような声でやっとお話されていました。

 

 

数日前に天河の宮司さんにお電話し「僕はもうダメかも知れない、、、」と話していたとMさんから伺いました。

 

 

最後は眠るように、静かにお亡くなりになったそうです。

 

 

お別れの会に参列しなかった私は、後で写真を拝見しましたが、とても綺麗なお顔でした。

 

 

 

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Google検索をすると シャンタンさん 死因 と出てきます。

 

 

死因が気になって検索する方が少なからずいらっしゃるのでしょう。

 

 

スピリチュアルが好きな方の中で、身体の不調箇所を心理的なことや自身が克服できていない感情、トラウマ、過去生などと関連づけて語る方がいらっしゃいます。

 

 

私も以前はそのような考え方に大きく影響を受けていましたが、ある時期から違和感を持つようになりました。

 


 

人は誰でも生まれたらいつかは死にます。

 

 

どんな素晴らしい人格者であっても、悪行の限りを尽くした人でも、、、。

 

 

死に意味づけをすることは個人の自由ですが、私は、死因がどうであれ、この世に生を受け、生きて来た道のりがそれぞれにかけがえがなく、奇跡的なことと思うようになりました。

 

 


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夏目漱石の研究者だったお父さんと、お母さんの元に生まれ、戦時中は満州にいて、厳しい戦争を生き抜いて日本に帰ってきたシャンタンさん一家。

 

 

島根県の石見で小学生時代を過ごし、汽車で家出をして周りを驚かせたシャンタンさん。

 

 

早稲田大学を結核で中退した後、デザインの会社を立ち上げ、市ヶ谷にオフィスを持ち、世の中をハプニングで驚かせる映像作品を作りたいと2018年恵比寿映像祭で上映された作品の他にも作品を残されています。

 

 

ガスマスクを被った裸の男性が新宿駅界隈を歩く映像は今では絶対に撮ること出来ない作品です。

 

 

シャンタンさんから昭和60年代の激しくも大らかな昔話を伺いました。

 

 

「僕はホステスの居ない方のCLUBも作ったのよ〜」

 

 

「大きな箱でなく、小さな箱を作りたかったのよね〜」

 

 

壁面に映し出されるサイケな画像、流れる音楽。



当時としては早すぎた場所だったかも知れません。

 

 

つながりのあった人たちに、シャンタンさんが様々な関わり方で寄り添っているのを感じます。

 

 

「僕の役目はどん底にいる人を救い上げること」



とおっしゃり、昼夜問わず寄せられる多くの悩みに向き合っていました。



時によりメールで返事をしたり、電話したり、会ったり、敢えて返事をしないということもありました。

 

 

シャンタンさんから伺ったお話、また記事にしますね〜。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

 

 

 

貫井投稿