中空の竹でありなさい | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)









中空の竹でありなさい













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これはティロパの独特な技法のひとつだ。マスターにはそれぞれ、自分がそれによって達成し、それによって他の人たちを助けたいという、その人独自の技法がある。これはティロパの独自性だ――中空の竹のように、自分の身体にくつろいで休みなさい。






竹――内側は完全に空っぽだ。休むとき、あなたはただ自分が竹のように感じる。内側は完全に中空で、空っぽだ。そして実際に、これが真相だ。あなたの身体はまさに竹のようであり、内側は中空だ。あなたの皮膚、あなたの骨、あなたの血はすべて竹の一部であり、内側には空間が、空性がある。






口を開かずに完全に沈黙し、動かず、舌を上あごに触れて沈黙し、思考で震えることなく、受動的にマインドを見守り、とくになにかを待つことなく坐っているとき、中空の竹のように感じるがいい。突然、無限のエネルギーがあなたの中で放たれ始める。あなたは未知なるもの、神秘なるもの、神なるもので満たされる。中空の竹は笛になり、神なるものがそれを吹き始める。いったんあなたが空っぽになったら、そのときは神なるものがあなたに入るのを遮るものはない。





これを試してごらん。これはもっとも素晴らしい瞑想のひとつ、中空の竹になる瞑想だ。あなたは他になにもする必要はない。あなたはただ、これになる。そして、他はすべて起こる。突然あなたは、あなたの空性になにかが降りてきているのを感じる。あなたは子宮のようであり、新しい命があなたの中に入ってきている、種が落ちてきている。そして、竹が完全に消える瞬間がやって来る。





くつろいで休む――スピリチュアルなことを望んではいけない、天国を望んではいけない、神すら望んではいけない。あなたが無欲なとき、あなたは解放されている。仏陀の境地を望むことはできない。望むことが障壁だからだ。障壁がないとき、突然、ブッダがあなたの中で爆発する。あなたにはすでに種がある。あなたが空っぽのとき、空間がそこにある――種が爆発する。





与えるものはなにもない、得るものはなにもない。すべてがまったくオーケーだ……あるがままで。どんなギブ・アンド・テイクも必要ない。あなたはあるがままでまったく完ぺきだ。





あなたはなににもなる必要はない。自分は誰なのかをただ悟るがいい、それだけだ。あなたの内側に誰が隠れているのかをただ悟るがいい。改善したら、なにを改善したところで、あなたはつねに心配し、悩むだろう。改善しようという努力そのものが、あなたを誤った道へと導いているからだ。それは未来を意味あるものにする、ゴールを意味あるものにする、理想を意味あるものにする。そして、マインドは欲しがることになる。





欲しがったら、あなたは逃す。欲しがることを鎮まらせ、無欲であることの静かなプールになるがいい――すると突然、あなたは驚く、不意にそれがそこにある。そして、あなたは腹の底から笑うだろう、ボーディダルマが笑ったように。





そうなったら、修行すべきなにがある? もっともっとくつろぐ。もっともっと今ここに在る。もっともっと行動の中にあるが、ますます行動している状態ではなくなる。ますます中空になり、空っぽに、受動的になる。あるがままの自分で幸せだ。祝っている。





そして、いつであれ――ものごとが熟し、時機が来たらいつでも――あなたはひとりのブッダとなって花開く。








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