在る。 | 覚醒のひかり

覚醒のひかり

縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

在る 
津留晃一




「働かざるもの食うべからず」
という価値観があります。

「何もしない人間には価値がない」
という考え方です。

「その通りだ」
と思われる方が
多いことでしょう。

「人の役に立たなかったら
生きている価値がない」

という考え方が
現代の道徳律の骨格に
あるようです。

しかしこの考え方の
裏側の作用として、

役に立たない人間を
裁いてしまう

という結果を
生みだしていることも
事実です。

「今、自分は充分に
人の役には
立っていないのではないか」

とその裏面に
意識が向いたとき、

「このままではいけない」
という思いがわいてきます。

「自分にはもっと
人のために何か出来るのではないか」

と思考がまわり始める事でしょう。

そして、
そんな風に考えている自分を

なんだか嬉しく感じていることに
気付いて下さい。

これは思考を使って
自己を満たしている想念作業なのです。

自我はこれで満たされるわけです。

三次元の
人間意識の中にある人は、

こうして自己を満たすという
思考ゲームを続けています。

これが地球人類の
これまでのゲームでした。

特定の価値観を握ると、

そこに満たされた思いと、
満たされなかった思いの

二極を体験することが出来ます。

満たされなかった思いを
満たしてやるというゲームです。

全ての価値観に
表と裏という二面性があるのだ

ということを知って下さい。

どんな考え方であれ、

それを受け入れると、

そこから二極の世界へ
入っていくのです。

もちろん二極性の世界が
悪いと言っているわけでは
ありません。

二極的思考に
なれきっている我々は、

「これこれはこうです」
という話を納得すると、

その瞬間からそうでないものを
間違っている、

正しくない、
異質のものとして
認識し始めます。

ニュートラルな世界へ
入っていくためには、

数学でいう
「逆は必ずしも真ならず」

という発想方法を
身につけて下さい。

その反対は
間違ったものでも、
正しいものでもありません。

ただそうであるだけです。

「あの人はこんなことを
言っていたからおかしい」

という考えが浮かんだ瞬間に

「あ、これは二極思考だ」
と気付いていて下さい。

あなたの正しさに反するものが、

間違っているというわけでは
ないのです。

であるならば
「人の役に立っていない」
という状態も

別に問題ではありません。

「人の価値はその存在にある」

と伝えられました。

これまで人類は
この存在の価値を

あまり認めようとは
しませんでした。

それは存在を
当たり前と
受け止め続けてきたからです。

あって当たり前
と思えるものに

価値を見いだせなかったのは、
当然といえば当然でしょう。

健康な人が
健康であることに
喜びを発見できないのと同じです。

病気の人が
健康にフォーカスし始めると、

健康であること事態に
喜びを見い出すようになるように、

我々は単に
「在ること」事態に
フォーカスし始めると、

ただ「在ること」に
至福を体験できるようになります。

そしてこの
「在ること」に意識を向け続けると、

その悦びの大きさに、

人はだんだん
圧倒されてくるように
なってきます。

あまりに偉大すぎる
その「存在」に

強烈なエクスタシーを
体験することでしょう。

自分が存在することの
至福を体験し始めた人は、

これまで自分の抱いていた
「無価値感」という概念が

いつの間にか
消滅してしまっていることに
気付くでしょう。

「自分は
 もっと人の役に立つべきだ」

とお思っている方は、

何か行動を始める前に、

役に立ちたいという思いは
どこからやって来ているのか、

その源に意識を向けてみて下さい。

「この思いは
 いったいどこからやって来るのか」

と内側に問いかけてみて下さい。

この尊い考え方も、
ひょっとして、

エゴの欲望を満たそうとする、

自己満足的活動で
あったかもしれないと・・・。

自我が「良いこと」と
判断して取る行動は、

あくまでも純粋動機に基づく
行動ではありません。

全ての「良い」、「悪い」の
価値観を手放して委ねていると、

あなたの肉体を通して
存在の源から純粋な動機が
わき上がってきます。

あなたの価値判断を
使うことなく

それはやって来ます。

それが「大いなる一つ」の
活動欲求です。

その「大いなる一つ」の
欲求に従って行動していくとき、

あなたは世界一役立つ
人間そのものになっている
ことでしょう。

そんな人が
「何かしないといけない」と、

 不安を感じることはありません。

そんな人は、

たとえ今何もしていなくても
「このままではいけない」

というエゴの脅迫に
たじろぐこともありません。

存在の至福を
理解できる人であるからです。

そして自我を超越し、

ハイヤーセルフに委ねて
生活している人が、

忙しさを
体験することもありません。

全ては完全なゆとりの中で、

穏やかな環境の中で
生活が出来るように
なってきます。

もしあなたが
忙しいと感じているとしたら、

それは時間を
焦っているということです。

もう一度全てを
手放し

委ねきりましょう。

あなたは
存在している事に
価値があります。

あなた一人が
もし欠けたとしたら、

この宇宙は
その瞬間消滅すると
伝えられました。

あなたの存在が
この宇宙を支えています。

たとえそれが
寝たきりの障害者であったと
してもです。

あなたは
そんなかけがえのない一人です。

何かすることが

あなたの役割ということでは
ありません。

寝たきりの人は
寝たきりでいる事が
その人の役割です。

看病をしたいという
その人のために

自らその身を横たえ
奉仕しているわけです。

地球を救いたいと
活動している方は

それが役割です。

そんな方々に奉仕するため、

地球は病んだふりをして
人に奉仕される事を
許しています。

感ずるままに
地球救済活動をなさって下さい。

私は地球人類を
五次元世界へ誘うのだと、

途方もなく楽しいゲームに
夢中です。

感じるままに
このゲームを堪能しています。

「自分は果たして
役に立っているのだろうか」

という疑問を
持つこともありません。

そんなことは
5%しか機能していない脳で
考えても

解りっこないと
悟っているからです。

人の思考は
全て表面意識に属しています。

表面意識は自我の領域です。

すなわち自分の思考とは、

全て自我の思考であるわけです。

真に人の役に立ちたいのであれば、

もう自分の思考を
使わないことです。

この時あなたは
超人となります。

どうぞ自分の存在について
意識を向けてみて下さい。

積極的に、
そのことに時間を割いて下さい。

「何をすべきか」
と問いかける前に・・・。

存在とは何であるのか、

自分とは何であるのか、

人間とは何であるのか、

生きるとはどういうことなのか、

そしてあなたの頭で
絶対に考えないで下さい。

答えを頭で探さないで下さい。

答えは単なる結果です。

答えが来ると
人は満足を覚えますが、

そうすると
もう問いかけることを
止めてしまいます。

答えを求めるという
活動を通して

人は神へと帰っていきます。

答えそのものに
意味があるわけではありません。

答えとは
三次元的結果にすぎません。

 問いかけて、
  問いかけて、
   問いかけて、
    問いかけて、
     問いかけます。

それこそが
積極的覚醒行為であるからです。

問いかけるという
あなたの積極的な
エネルギー操作によって、

あなたは一歩一歩
ハイヤーセルフに
接近していきます。

しかし私が
この事をどんなに
強調してみたところで、

あなたは決して
このことを実行しようとは
しないでしょう。

そのことに
それほど必要性を
感じないからです。

そこであなたの
ハイヤーセルフは考えます。

あなたの
最も強く望んでいるものが

うまくいかないという
結果を創ってみます。

これはうまくいきます。

必ず
「あれ、どうしたのだろう。

どうしてこんなことに
 なってしまったのだろう?」と、

自然に意識が
内側へ向いてきます。

これこそが
純粋な内側への
問いかけ作業です。

それがあなたの葛藤です。

葛藤が
あなたの意識を高めることに
なるゆえんです。

あなたは「存在」です。

あなたの為す行為によって
産み出される付加価値は、

あなたの存在に
付け足されたほんの些細な
価値にすぎません。

あなたの
存在の価値の大きさを
 たとえていうなら、

それは地球大かもしれません。

もしあなたの存在価値が
地球の大きさだと仮定してみるならば、

あなたが生涯頑張って築き上げた
功績という付加価値の大きさは、

ちょうど
あなたの住んでいる家一軒分に
すぎないでしょう。

「何かすべきだ」と思うその前に、

あなたがするべき事があります。

それはあなたの内に
初めから眠っている

自分の存在価値に
目覚める事です。

とても簡単なことです。

それは
初めからあるのですから。

ただ
「何かしなければ価値がない」と
信じている人に、

この内なる存在価値は
発見できないでしょう。

ないと思っているモノは
見えないからです。

それはあります。

間違いなくあります。

あなたが
これまで永い永い間、

外に向けていた
あなたの意識を、

内側に向けることによって
それは簡単に見えてきます。

初めからあった
自分の膨大な存在価値の
大きさに、

あなたは
目が眩んでしまうかもしれません




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