肉体に尋ねなさい。
肉体の英知を頼りにしなさい。
肉体はあなたよりも賢い。
osho
肉体は、まさに流れであって、分割はない。
あなたが恋をするとき、恋に落ちているのは全身だ。
頭が恋をしているとか、手が恋を始めたといったようには分けられない。
全身が恋をしている。
だが、マインドは何をやっても決して全一ではありえない。
マインドの一部がいつも批評を加え、判断を下し、咎めたり、賞賛したりしている。
マインドの一部がいつも椅子に坐って、批評し、非難している。
だから、いつであれ自分のマインドの一部が自分がしていることに逆らって働いていると感じたら、自分はそれを頭で、知的にやっているのだと知りなさい。
ものごとを肉体でやることを始めなさい。
食べているときは、肉体で食べなさい。
肉体はいつ止めればよいかをよくわきまえているが、マインドにはまったく分別がない。
一部は食べつづけ、別の部分は非難しつづける。
一部は「止めろ!」と言いつづけ、別の部分は食べつづける。
肉体は全一だ。
だから、肉体に尋ねなさい。
食べるべきかどうか、止めるべきかどうかをマインドに尋ねてはいけない。
必要なものは肉体が知っている。
肉体は長い時代を経た知恵を蓄積している。
肉体はいつ止めたらよいかを知っている。
マインドに尋ねないこと。
肉体に尋ねなさい。
肉体の英知を頼りにしなさい。
肉体はあなたよりも賢い。
動物が人間よりも賢く生きているのはそのためだ。
彼らの方が賢く生きている。
が、言うまでもなく、彼らは考えない。
考え出したら、たちまち彼らは私たちとそっくりになる。
そして、動物たちの方が人間よりも賢く生きることができるというのは奇跡だ!
それは不条理に見える。
彼らは何も知らないのに、人間よりも賢く生きつづけている。
人間が腕を上げた能力といえば、あらゆるものに干渉することだけだ。
あなたは自分の肉体に干渉しつづける。
干渉してはいけない。
肉体の働きを妨げないこと。
その邪魔をしてはいけない。
そうすれば、どれが知的な記憶でどれが肉体の記憶なのかをはっきり識別することができる。
肉体の記憶は生存を助ける。
知的な記憶は障害になる。
この知的な記憶を壊さなければならない。
私は壊さなければならないと言うが、それはあなたが何も思い出さなくなるという意味ではない。
記憶を壊すということで私が言いたいのは、記憶と同一化してはならない、それとひとつになってはならないということだ。
記憶を野放しにしてはならない。
記憶を反復させてはならない。
記憶は反復しつづける。
ただ坐っていても、記憶は働いている。
眠っていても、記憶は働いている。
仕事をしていても、記憶は働いている。
記憶は絶え間なく働きつづけている。
記憶は何をしているのだろう?
記憶には何ができるのだろう?
記憶にできるのは、既知のものを未来に求めることだけであり、それ以外のことは何もできない。
それは反復し、自らを未来に投影することができる。
「かつてあったすべてのものが再びくり返されなければならない。
あるいは、かつてあった何かがくり返されてはならない」と。
記憶は、常に未来に備え、パターンをあなたのまわりに織りあげている。
そして、記憶があなたの周囲にパターンを織りあげるのを許してしまったら、あなたは絶対に自由にはなれない。
あなたはいつもパターンのなかに織り込まれてしまう。
そのパターンは意識という虚空を取り囲む壁だ。
あなたが未来に向けて歩み出すまでに、記憶は数歩先まで進んでいる。
今や道は閉ざされ、監獄になる。
記憶はいつもあなたの道を狭めているのだが、よりよい未来の暮らしに役立つと考えているために、ごまかされてしまう。
記憶は役に立ってはいない。
それはあなたの未来を過去と同じものにするのに役立っているだけだ。
記憶は知らないものは何も投影できない。
投影できるのは既知のものだけだ。
記憶は既知なるものを投影しようとする。
その罠にかからないこと。
一瞬といえどもマインドを未来に投影させないこと。
もちろん、この死んだ習慣なしであることを学ぶには時間がかかるが、それに気づきはじめることが瞑想だ。
そして、ひとたびそれに気づけば・・
完全に気づき、強烈に気づき、油断なく醒めていれば、記憶はあなたに未来を織りあげようとしなくなる。
貫井投稿