東日本大震災の教訓(133):女川町 | 安部孝(あべたかし) 元宮城県議会議員 〈急がず休まず〉

安部孝(あべたかし) 元宮城県議会議員 〈急がず休まず〉

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、
    成らぬは人の為さぬなりけり」
            (上杉鷹山)

 

「女川町の復興」

 

 

✰津波被害で辛い中「自分らでの復興を誓い」協議会を立ち上げました。そのことが女川の「奇跡の復興」につながっていきました。「自ら取組む」ことが大事です。

 

 

女川町の被害は甚大でした。

人口約1万人の内約830人死亡、約9割の住宅約3900棟が被害をうけました。

民間が有志集まり「還暦以上口を出さず」のもと

復興を進めました。

 

 

水産業・水産加工業等が盛んな町です。

津波は最大約15mになりました。

巨大堤防をつくらず、国道398号線に機能を持たせた兼用堤をつくりました。また災害危険区域も指定しました。

 

  

 

東北電力の原発基地の堤防高は14.8mで建設していました。安全の上の安全ということで取組んでいました。東電との違いがあります。よって13mの津波に耐えられました。

 

津波は、谷間をのぼり湾から約2㎞先までの林に達しました。

現在は人口約6000人。少しずつ戻ってきています。

 

*女川の地名は、かつて安部貞任が婦女子を源氏から逃れされた土地に由来します。そこを流れていた川から「女川」と。