「女川町の復興」
✰津波被害で辛い中「自分らでの復興を誓い」協議会を立ち上げました。そのことが女川の「奇跡の復興」につながっていきました。「自ら取組む」ことが大事です。
女川町の被害は甚大でした。
人口約1万人の内約830人死亡、約9割の住宅約3900棟が被害をうけました。
民間が有志集まり「還暦以上口を出さず」のもと
復興を進めました。
水産業・水産加工業等が盛んな町です。
津波は最大約15mになりました。
巨大堤防をつくらず、国道398号線に機能を持たせた兼用堤をつくりました。また災害危険区域も指定しました。
東北電力の原発基地の堤防高は14.8mで建設していました。安全の上の安全ということで取組んでいました。東電との違いがあります。よって13mの津波に耐えられました。
津波は、谷間をのぼり湾から約2㎞先までの林に達しました。
現在は人口約6000人。少しずつ戻ってきています。
*女川の地名は、かつて安部貞任が婦女子を源氏から逃れされた土地に由来します。そこを流れていた川から「女川」と。