S side
久しぶりに来た、雅紀のマンション。
玄関の鍵を開けると、音を聞き付けたらしい雅紀が、走ってきた。
「しょ、ちゃん」
小さく、掠れる声が、痛々しい。
「ただいま」
「お、かえり。早かったね。びっくり」
いつもよりゆっくりな口調。
語尾が消えて、口だけがパクパクして。
それが、まだ雅紀が完全に癒えていないということを示していて。
ぎゅうっと。
抱き締めた。
「しょーちゃん」
「ん?」
「いたい」
「ごめん」
くふふふ。
久しぶりに聞く、笑い声。
もう、ダメかと思った。
もう、抱き締められないかと、思った。
もう、雅紀が、完全に壊れてしまったかと、思った。
またこうして感じられる温もり。
離したく、ないと。
思う。
「雅紀」
持っていた袋を、渡す。
「退院祝い」
「ありがと」
もう一度抱き締めて。
キスをした。
「アイビー?」
「そう、アイビー」
「これ、葉っぱが」
ハートだね。
早速ダイニングテーブルの上に飾って、雅紀が優しく笑った。
「色んな形の葉っぱがあって、敢えてハートを選んだんだぞ」
「それ、ちょっと、照れ、る」
どうしても所々声が出なくなるらしく、俺はいつもより雅紀の口許を見て話す。
雅紀の声を、言葉を、逃してしまわないように。
「相葉の、葉?」
「うん。緑だし、『あい』ビーだし」
「しょーちゃん、もはや、おやじギャグ、だね」
くふふふ。
俺の好きな、笑い声。
本当はもうひとつ、大事な理由があるけれど。
それは、雅紀が自分で見つけるまでは、言わない。
「雅紀」
手を伸ばして。
雅紀の手に触れようと、した。
「………っ」
雅紀が、怯えた顔で。
手を、引っ込める。
「雅紀?」
「あ……ごめ……」
「どうした?」
覗き込んだ雅紀の目が、泳ぐ。
親父の言葉が、頭をよぎる。
「俺に触られるの、嫌?」
「ちがっ………」
さっき、抱き締めて、キスをした。
だからそれは違うと、分かっている。
つまりそれは。
やっぱり、あの、親父の言葉が、原因。
手。
病院で目が覚めた雅紀が、恐ろしいものでも見るように自分の手をみていたのを思い出した。
何か、隠している。
雅紀は、俺を悲しませないようにって。
困ったように、目を伏せて。
「雅紀」
強張ったままの顔。
どうしたら、いいんだろうか。
「相葉アイビーちゃんのお世話の仕方、ちゃんと調べるんだぞ。枯らしたらお仕置きだから、な?」
「お仕置きって、何か、やらし」
「そう思うお前がやらしいわ」
過呼吸。
声が出ない。
きっと、それだけじゃない。
分かっても、何もできなくて。
何もできない自分がもどかしい。
恐らくスマホでアイビーの検索を始めた雅紀を見て、俺は泣きそうになっている自分を、感じていた。