◆2024パリ五輪の魅力 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

▼写真AC:middle of journeyさん提供のフリー素材


元アナウンサー:雨宮塔子さん
俳優:古川雄輝さん

2024年夏のパリ五輪。
パリでオリンピックが行われるのは、100年ぶり3回目。
選手村から10キロ圏内で8割の競技が開催され、理想のコンパクトな五輪となります。
5つの物語があります。

第1章 街

これまでのオリンピック開会式の常識を打ち破る画期的なセレモニーになりそうです。
スタジアムでなく、セーヌ川が開会式の舞台となります。
6キロを水上パレード。
選手や代表団が総勢160隻の船で入場行進を行う。

セーヌ川を船でクルージングすると。
・ノートルダム大聖堂
  2019年火災が発生したが、世界各国からの8億4600万ユーロの寄付で再建工事が進められています
・ルーブル美術館
  サモトラケのニケは勝利の女神としてメダルに刻印されている
・グラン・パレ
  テコンドーの会場
・エッフェル塔の下
  ジャン・ド・マルス公園でビーチバレーが行われます

エッフェル塔は色の塗り替えで黄土色になるようです。
黄土色はパリの街の色、パリの石の色です。
エッフェル塔はパリを象徴するモニュメントであるべきだと考えたのでしょう。

セーヌ川には、船で暮らすことが許可されたエリアがあります。
オリンピックに向け、生活排水をセーヌ川に流さないで下水管に流すことになったようです。
セーヌ川のゴミの回収が行われ、水質改善も進んだようです。

ヴェール・シュル・マルヌでは、水上競技が行われます。

第2章 歴史

1896年第1回アテネ大会。
クーベルタン男爵が近代五輪の開催を唱えた。
ノルマンディー地方のミルヴィル城でオリンピックの構想を練った。
クーベルタンは、フランスの若者たちの未来を憂いていました。
閉鎖的だったフランスの教育システムを変えたかった。
それまでスポーツは戦争のために身体を鍛えるものとされていました。
それは、本来あるべきのスポーツの姿ではなかった。
スポーツを取り入れた教育改革が必要と唱えた。
イギリスのラグビーを視察して、フェアプレー精神を学び、チームプレーこと人格形成に重要だと革新
視察していくうちに、クーベルタンはスポーツの国際的な競技会の構想を膨らませました。
ヒントとなったのは紀元前からギリシャで行われていた古代オリンピック。
4年に1度開かれるこの競技会は神聖な祭典と位置付けられ、たとえ戦争中でも開催中は休戦する、まさに平和の象徴だと理解しました。
1894年、IOC(国際オリンピック委員会)を設立しました。
世界中の人々が参加するスポーツの祭典を開催することを強く訴えました。
世界平和の理念を唱え設立から130年。
33回目のオリンピックが、クーベルタンの生まれ故郷であるフランスにやってきます。

第3章 伝統

ベルサイユ宮殿ではヨーロッパで絶大の人気を誇る、馬術が行われます。
フランス人にとって、馬は身近な存在。
街には騎馬警官の姿もあります。
馬を愛する文化を持つフランス。


ヴェルサイユ宮殿は17世紀後半に完成、フランス絶対王政の象徴とも言われています。
ルイ13世が狩猟の館を建てたのがはじまり。
馬をのりこなす者こそ、王国を統治する絶対君主であると示したのです。
優美な芸術の域にまで発展させた馬術は、ヨーロッパ全土に広がりました。
だからこそ、ヴェルサイユ宮殿が馬術の会場に選ばれたのです。
敷地面積およそ1000ヘクタール。
宮殿から大運河の反対側にエトワール・ロワイヤルという芝生の敷地。
ここが競技会場となります。
収容人数4万の屋外スタジアムが造られる予定です。

大厩舎はルイ14世によって建てられました。
2003年に馬術アカデミーが開校されました。
王は、馬が快適に暮らせるように広大な厩舎を建てました。
貴族のように居心地の良い環境で馬を飼うことを望んだと言われています。
馬は人間の仕事を助けるだけでなく、車がない時代の移動手段として、戦争では重要な装備のひとつとして重宝されました。
ルイ14世の時代の馬は特別な動物だったのです。
馬は王家の暮らしを支える大切な存在でした。
大厩舎は、まさにルイ14世の馬への愛を象徴する建物です。

第4章 架け橋

日本で生まれた柔道は、フランスもかなりの強豪国。
競技人口は日本の12万人に比較して、フランスでは53万人。
フランスでは幼い頃から柔道が行われていて、競技人口のうち、12歳以下が6割。

フランスで柔道が人気なのは、身体を鍛えるためだけではありません。
柔道の「礼に始まり、礼に終わる」という精神が、フランスの子どもたちへの教育に役立っています。
フランスで柔道が深く根付いた背景には、「フランス柔道の父」の存在がありました。
フランス柔道を発展させたのは、川石酒造之助(みきのすけ)である。
26歳でアメリカに留学し、柔道を教えていた。
自らの意思でまだ柔道が知られていないフランスへ渡りました。
色帯を使い、日本より色の数を増やして7種類にした。
生徒の意欲を高めようと考え、階級が見える化され、モチベーションが高まりました。
川石メゾットという、フランス指導者の教科書があります。
技を簡単に覚えられるよう、番号をつけてありました。
(例えば、「大外刈り」は、「足技1号」)
川石氏の柔軟な発想で、柔道が普及しました。
川石氏の情熱が実を結び、柔道を通じて、日本とフランスの架け橋になりました。
今やフランスは日本を脅かすほどの強豪国になり、
「混合団体」決勝でフランスは4対1で金メダルを獲得しました。

第5章 未来

パリ北東の19区は、多くの移民が定住した街。
若者が熱中するカルチャーが、オリンピックの新競技になりました。
ニューヨークのストリートのブレイクダンスがルーツで、ヒップホップの音楽に合わせて、技術や表現力などを競います。

サンキャントルがダンスの会場となりました。
ここは、1998年までパリ市営の葬儀場だった場所で、2008年多目的施設としてリニューアルしています。

インセップ(フランスの国立スポーツ体育研究所)では、およそ800人のアスリートがトレーニングに励んでいます。
前回の東京大会では、フランスのメダリスト137人中、91人が所属、そのためフランスのメダル製造工場とも呼ばれています。
ブレイキンの注目選手は、セニョリータ・カルロタ選手で、1メートル71センチの長身のダンサーです。
フランス選手権で優勝してから、世界大会にも進出し、人気実力急上昇。
手や頭を大胆に動かし、ダイナミックに動く技、パワームーブを華麗にこなしてました。
母はキューバ出身で、6歳でブレイクダンスと出会ったカルロタ選手は、自らのルーツを誇りに思い、スペイン語のセニョリータというダンサーネームにこだわりました。
ラテンの気質も手伝って、サルサのステップを入れて力強くエレガントにダンスしています。
自らのルーツを胸に秘め、オリンピックを見据えています。

7月14日と15日の2日間に渡るパリでの聖火リレーは、パリの全20区を通過します。
7月14日は国民の祝日、フランス革命記念日にあたり、盛り上がりが期待されます。

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クーベルタン男爵がほれ込んだと言われるラグビーは、オリンピックでも1900年・1908年・1920年・1924年の4度15人制が開催されていたたようです。

フランス柔道の父が、日本人であることは知りませんでした。

元阪神監督の吉田義男さんが海を渡って7年間フランスにて野球の指導をしましたが、残念ながら柔道ほどは根付かなったようで、WBC前の世界ランキングでは22位で、WBC予選ラウンドでも1勝も出来ませんでした。

セーヌ川での開会式(7月26日、日本では27日でしょう)が楽しみになりました。


MGC パリ五輪マラソン代表選考レースの記事はこちら(2023年10月15日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12824626472.html

では、明日。