◆アナザーストーリーズ「松田優作」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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▼写真AC:毛並良好さん提供のフリー素材


『太陽にほえろ』の当たり役・ジーパン刑事で、一躍スターへとのぼりつめた。
30代「家族ゲーム」で徹底した役作りで演技派へ転身。
この作品での数々の受賞が、優作の評価を高めた。
さらに文芸作品「続夢千夜日記」で、人間の内面を演じ、常に変貌を遂げていた。
日本であらゆる挑戦を続けてきた優作。
次なる目標としたのが世界進出だった。

日米の俳優たちが競ったハリウッドの大作『ブラックレイン』で、世界への切符を勝ち取った。
殺し屋・サトウを演じ、優作の演技でハリウッドが震えあがった。

優作の魂は、永遠に強烈な輝きを放つ。
優作は人知れず、病とたたかっていた。
兄貴と言って慕うレディジェーンのマスターに相談した。
マスターは感じていたのは、既に優作は決断していた。
<一生に一度出会えるかどうかの仕事だ>
合間に最低限の治療をしななら撮影に臨んだ。

異変を目撃した者は、アソシエイト・プロデューサー兼通訳のアランプールだ。
ラストシーンとなる泥だらけになる撮影は、3日間続いた。
苦痛に耐えていた様子が、閉じこもっていた控室のトイレから声が漏れていた。

最後の最後まで極悪非道を演じ切った。
アメリカで公開され、4600万ドルの興行収入。
優作の演技は、ハリウッドでも注目を集めた。
ロバートデニーロとの共演を含む複数の作品からオファーがあった。

俳優アンディ・ガルシア「30年経っているが、記憶は鮮やかだ」
映画の中では敵同士だった2人だったが、役を越えて惹かれあった。
アンディが病魔と闘っていたことを知ったのは、優作が亡くなった後だった。
アンディ「どれだけ愛しているか、どれだけ尊敬しているか。どれだけ寂しいか、今でも優作が近くにいる気がする。彼も誇りに思ってくれるだろう」

俳優・國村隼(当時33歳)は、サトウの子分役として出演した。
優作の鬼気迫る背中がデカく見えたという。
名将リドリースコット監督が映像美にこだわり、テイクごとに異なる演技を何度も求められた。
「アメリカで仕事したいって言っていて、しんどいんじゃなくてむしろ楽しそうでした。僕は気づかなかったですね。ただ一つ言えるのは、自分が死ぬつもりは全くなかったと思います」

<意識はもうほとんど世界なんですよ。今まで東洋人でチャンバラとかサムライとかカンフー以外で、むこうのニュアンスで芝居をやった人はいないと思うんです>

その最大のチャンスが『ブラックレイン』のオーディション。
300人を超える日本人俳優がこれに参加した。
最終選考に残ったのは、萩原健一、根津甚八、小林薫、そして、優作だった。

運命の最終オーディションは1988年9月5日。
優作はこの演技で、世界の切符を手にした。
主演のマイケル・ダグラスを相手にしても、優作はまったくひるまなかった。
当時、優作の演技を見たアラン・プール「他の役者さんはもう少し大きな演技をしていましたけれど、優作さんは静かに話しながら、怖さが出せていたのが印象的でした」

俳優・ミュージシャンの石橋凌さん「午前3時ぐらいでした。決まったんだよって、突然おっしゃったんですよ。自分まですごくハッピーになったから、ステージで着ていた赤いスーツと白いシャツでおめでとうございます、って言いに行ったんですよ。"なんだよ、お前紅白の幕まとってさ” 紅白のムードぐらい、僕もうれしいんですよ」
石橋凌が優作と出会ったのは、『ブラックレイン』の撮影が始まる6年前。
音楽活動に行き詰まりを感じていた石橋が、直感で相談を持ちかけたのが優作だった。
優作は石橋に映画の出演をもちかけ、石橋はそれをきっかけに俳優になった。
『ブラックレイン』の撮影中、優作は石橋を何度も呼び出した。
大阪ロケ、ロス、ニューヨーク、帰られるたびに呼ばれて、“凌、すごいぞ。俺は<映画の父の国>に行けた” 自分が考えてきた演技論なんかが、ほんとに受け入れられて、自由にできる、映画の父の国だったんじゃないかと思うんですよね」
例えば、優作とマイケル・ダグラスの格闘シーンの撮影中に、こんなことがあったと言う。
女性のプロデューサーのシェリー・ランシングが飛んできて、リドリー・スコット監督に「ここはマイケルのシーンだよ。なんで優作を追ってるの?」って、言った。
リドリー・スコットはわかったわかったと、彼女が行った途端、優作を見て、ウインクした。
「優作、そのままでいいよ。俺が全部撮って、絶対お前をいい感じにする」って言う、ウインクだった。
当時日本の俳優がハリウッドに進出するのは、今よりずっと困難だった。
優作は3つのハードルを意識していたと言う。
「“なんで合作映画で、日本人の役を日本人が出来ないんだ”って、おっしゃっていたんです。1つはSAG(全米映画俳優組合)に入れていない。2つ目は語学の問題があると。3つ目には、差別と偏見と戦っていくしかないと言うことをいつもおっしゃっていた」

『ブラックレイン』をやり遂げた優作は不敵にも
<俺の力はまだまだこんなものじゃないぜ。この映画は松田優作の予告編だ>
だが、優作の夢は病についえた。
末期がんであった。
1989年11月6日、40歳の若さでこの世を去った。

石橋は優作の思いを引き継ぐために、音楽を封印し、俳優の道一本に専念することを決めた。
そしてアメリカでの映画出演を重ね、優作が果たせなかった全米映画俳優組合への加入を認められた。
「優作さんの思いを引き継ぎたい。また後続の人たちにつないでいきたい。道をちゃんとつないでいきたい」

國村隼「僕も優作さんとやってきたからかもしれないが、(海外の映画で)やることに、なんの違和感もない。あの人の思いも、僕が勝手に決めたことですけど、自分がそうやってもらったと思ってるんで。何かつながんないかな」

俳優であり、写真家でもある妻の松田美由紀。
優作は惜しくも、公開から1ヶ月後に亡くなった。
優作に最期の瞬間まで寄り添った。
今回初めて『ブラックレイン』の舞台となった、大阪の撮影現場を訪ねた。
優作が家族に残したメッセージとは何だったのか。
「ブラックレインとは、優作がこれまでやってきたことのご褒美というか、そう言う感じがしました」

ドラマの共演で知り合った2人。
共に暮らしたのは10年間。
美由紀はその後30年以上にわたって、優作のいない時間を優作とともに過ごしていると言う。

美由紀が資料をまとめた松田優作全集は総ページ数420。
美由紀は監修からアートディレクションまでを手がけ、4年の歳月をかけて完成させた。
全集の制作をきっかけに写真家にもなった。
優作の言葉も収められている。
<ぼくはバカですからね。もともと破綻してますから>
俳優として生きることにそのすべてを捧げ、家庭を顧みようとしなかった優作。
そんな優作と添い遂げた妻。
全集を出版し、3人の子どもを育て上げ、今ようやく撮影現場を訪ねたいと望んだ。
日本を舞台にしたシーンも、多くはアメリカで撮影されて、実際に大阪で撮られた場面は少ない。
その一つ、最後に捕まった優作が、マイケル・ダグラスと高倉健の両刑事に連行される大阪府警のシーン。
撮影現場は実は大阪府庁舎だ。
当時府庁の職員として、撮影に立ち会っていた大阪府商工労働部長・小林宏行。
撮影前にリドリー・スコット監督が下見に来て、大正時代に作られた大階段が『ブラックレイン』で使われた。
映画では連行されるシーンはカットされたが、写真では残っていた。
30年以上前と変わっていない階段。
撮影は11月だった。
優作が亡くなったのも11月。

結婚当時、優作33歳・美由紀21歳。
美由紀は個性派の新人として、注目を浴びていた。
優作は美由紀に対して、自分の生き方を厳しく示したと言う。
優作と結婚した時に<家庭の中にバカなやつは二人はいらない>
「電話一本で、俺と仕事とどっちを取るんだって言われ、仕方なく女優を辞めることになったんです。『ブラックレイン』を見た時に、私は主婦でいいって思ったんです。こんな立派な仕事する人。私はもう主婦でいいと、初めて思ったんです」
『ブラックレイン』で改めて知った、優作の役者魂。
優作も家族との未来を夢に描いた。
残された時間も知らずに。
海外へ移住しようと優作から言われ、「家を建てたばかりだからお金が大変だね」と言うと
<俺がいるから大丈夫だ>といつも言っていた。
魂をグッとつかんでしまう人だった。
<善人は安全距離ばっかり取るからな。安全圏の中で、ぎりぎりヤバいふりができればいいなって、うまくやっているやつがほとんどなのに、僕の場合、とことんやってしまうもんだから、どうしても安全なら距離を踏み外しちゃって、破綻してしまう>
自らの命を燃やし、『ブラックレイン』のフイルムに魂を刻んだ俳優、松田優作。

美由紀「生き生きと演じる姿を見て、頑張っているといいことあるなって。生きたいと思います、優作の分まで」
優作の声が聞こえてくる。
<生きているのは、お前か、俺か>

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『ブラックレイン』の後に、ハリウッドからオファーがあった。
もし生きていたら、どれほどビッグになっていたのであろうか。
残念で仕方ない。


「天才激突・黒澤明 VS. 勝新太郎」の記事はこちら(2022年6月29日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12750433486.html

では、明日。