◆1975年 長嶋巨人の最下位<プレイバック> | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
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2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
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写真AC:Purpleviolaさん提供のフリー素材「臼井駅」



長嶋茂雄選手が「わが巨人軍は永久に不滅です」の名セリフを残して現役生活に別れを告げ、引退したセレモニーは、今でもテレビで放送されるぐらい。
1975年、コーチも経験せず、いきなりの監督就任で心配の声もあった。
就任した最初の年は、背番号90というのも話題になった。
息子の一茂の「背番号3・3番打者・サード(三塁手)で足して9、9は吉田選手がいるから90だね」
と言ったエピソードがあった。

巨人は、王選手のけがもあって、なかなか勝てなかった。
川上前監督が未知の若手を起用せず、安定した選手を使い続けたため、V9選手の代わりとなる選手が育たなかったという説もある。
サード長嶋の穴に、デーブ・ジョンソンを獲得したが、本来は二塁手なのにサードを守ることになり、打撃も1割台と、パッとしなかった。
象徴とされたのが、新浦投手。
ブルペンでは素晴らしいストレートを投げるのに、マウンドに立つと制球が乱れる。
監督は度胸をつけようと、負けても負けても新浦を使い続けた。
このシーズンは2勝11敗(翌年は11勝を挙げている)。

一度も最下位から浮上できずにいた。
10月15日には広島の初優勝を本拠地後楽園で見る屈辱も味わい、全球団に負け越す球団史上初の最下位に終わった。
それでも人気があり、283万3500人の観客動員新記録。

無理やり三浦ベイスターズと結びつけたく感じました。
2022年は大輔監督の胴上げ?


「三浦ベイスターズ・待望の初勝利」の記事はこちら(2021年4月4日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12666585104.html

では、明日。