◆映画『武士の家計簿』 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
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▼PhotoACより:眠鯨さん提供のフリー素材


明治10年
金沢で、猪山家はそろばん一筋の家。
直之(堺雅人)、その父・信之(中村雅俊)、おばば様(草笛光子)、母・お常(松坂慶子)と暮らしていた。
直之は算用者として勤めていた。
直之に縁談話が舞い込んだ。
西永(西村まさ彦)の娘・お駒(仲間由紀恵)だった。

その頃、200俵抜かれるなど、帳簿の不正があった。
直之も騒ぎに巻き込まれることになった。

浅野川にて、おにぎりを食べていたら、お駒がお茶を持って来てくれた。
縁談の相手だと、後から知った。

直之は「(米が)3割消えている」と上役に言ったが、「帳尻は合っている。余計なことをほじくり出すな。拙者に任せておけ」蔵の余分な米を発見したが、上役に握りつぶされた。

お駒と結ばれることになった。
直之は初夜であっても、婚礼の費用の計算に追われていた。
駒に、不器用で出世の見込みがないことを伝えた。

桜の散る日
お駒は、お手伝いのお菊よりも早く仕事をした。
お常から「一歩前に出れば、一歩身分が下がる」とたしなめられた。

直之は奉行・重長から呼ばれた。
古い帳簿もあさっていたことがわかっていた。
「猪山には、修行に出てもらう」

お駒の妊娠がわかった。
命名・直吉とした。
同時に、直之の輪島勤めが決まった。

お米騒動は、村人がたいまつを持って集まった。
騒動の首謀者たちは処刑された。
お上の知ることとなり、人事が一掃された。
米の横流し、経理の不正が正され、関わった多くの藩士が処分された。

そして、帳簿を調べていた直之は、能登への転任は取りやめとなった。

夜店で直之はお駒に櫛を買った。

しばらくして直之は、加賀十三代藩主・前田斉泰のお付き執筆役を命ぜられた。
異例の出世である。

直吉・のちの成之の4歳の袴着の祝いの際の手持ちの金子(きんす)が足りない。
膳の鯛には絵が飾られた。
直吉が「鯛じゃ」「鯛じゃ」と大喜びした。
お客が帰った後に、鯛が買えなかった理由を両親に報告した。
6260文目の借金があり、利息は年1割8分になる。
直之「猪山家の売れるものは全て売るのです」
信之は「近所の恥晒し」だと言った。
直之「お家を潰して、役職を解かれ、ごかんりゃくとなる方がもっと恥。内外に決意を示すのです。それから、我が家は家計簿をつけることにします」
こうして、猪山家の長きに渡る戦いが始まった。
お常からも鬼と言われたが、着物も手放させることになった。
お駒の嫁入り道具も。

お駒には、2人目がお腹の中にいる。
直之はお駒に砂糖をプレゼントした。
お菊が産婆を引っ張って来た。
祖父は刀も売りに出した。

ある程度借金は返せた。
残りは10年付に変えてもらった。
生まれたのは女の子だった。
その日から食事が寂しくなっていた。
2人の弁当箱も小さくなっていた。
噂は広まっていった。
お駒は貧乏暮らしであっても、工夫だと思って楽しんでいた。

雪の降る日、タラの昆布締めがおかずになった。
親子の囲碁は貝で行った。
加賀藩の食事も質素倹約した。

直吉はそろばん、筆、論語、礼儀作法まで叩き込まれた。
支出も帳面につけることを命じられた。

直吉は西永に相談した。
なぜか、与三八と下の名で呼んでいた。
西永「お家芸を身につけないと家は継げない。だから直吉に父は厳しくするのだ」

直吉は借金について、直之からどうするか問われた。
「倹約します」
「そんなところだ」
4文が消えていることを指摘された。
直吉は、落としたことを話した。
お駒が4問を手渡したが、直吉は首を振った、

信之は満月の日に倒れ、亡くなった。
直之は葬式費用の計算をした。

おばばは、直吉に鶴亀の足の数の問題を出した。
「お前の父はこれを5歳で解いたのだぞ」

直吉が4文線を川で拾ったと言ったら、直之「戻してこい。お金を拾うのは、武士としての誇りが無くなる」
直吉は怒って、そろばんを投げつけた。
お駒も直之に怒った。「こんな夜中に」
直吉は歩きながら、鶴亀の計算をした。
翌日直吉は、おばばを起こして、鶴亀の計算結果を伝えた。
おばばも亡くなった。

お駒はお常の大事にしていた着物を呉服屋から取って来て、直之が着せた。
「もう借金はございませんゆえ」
お常は亡くなった。

直吉も、算用場で働くこととなり、14歳で元服し、19歳でお政を妻とした。

直吉改め、成之は戦に出かけ、戻って来た。
「加賀藩は取り残されます」
成之「父上は人が死んでも、世が動く時もそろばんばかですか」
駒「父に向かって、その口の聞き方、許しませんよ」
成之「私は、そろばんだけでこの加賀の地に埋もれたくありません」と言って出て行った。

慶応2年、吉保が十四代加賀藩主となり、翌年、大政奉還となった。

成之は京に出兵した。

西永が来た。
直之「何か知らせでも?」
西永「徳川と薩長が鳥羽で戦を始めた。加賀は参戦しておらん。徳川はついに朝敵となったような。薩長は錦の御旗を揚げた」
直之「薩長に倒幕のお墨付きが与えられた・・・」
お駒「成之はどうなります?」
西永「殿様は全軍に撤退を命じた」
お政「戦はせずに、戻ってくるのですね」
西永「成之は誰かに連れて行かれたらしい」
お駒「誰に?どこに?」
西永「それがわからん」

成之は、新政府軍を率いていた大村益次郎に、算用者としての技を買われた。
父から教わったそろばんの腕だった。
大村「これからは、弁当や草鞋の計算ができるものが必要なのだ。新しい時代には君の力がいる。引き受けてくれ」

後日、手紙を見てお政は泣いていた。
心配してお駒が手紙を見たら「斬られた大村益次郎に同行していた。猪山成之も落命と書いてあります」
駒は京に行って確かめてくると言った。
直之「待て」
実際には別の者が斬られていて、成之は加賀に戻ることが出来た。
直之はそろばんを弾いていた。
成之「ただいま戻りました」
直之「成之」と言って、うなづいた。
もう自分一人では立てず、成之におんぶしてもらって川へ。
成之「私も父上におぶってもらった記憶がありません」
直之「覚えていないだけだ」
直之「城に行きたい」

直之は明治11年死去。
成之が和服姿でそろばんを弾いていた。

東京に移住して、海軍主計大監として、明治政府の財政管理と運営に尽くした。
その子鋼太郎と次男鉄次郎は共に海軍に入った。

お駒は明治30年に死去、成之は大正9年死去。
猪山家の入払帳は最後までつけられており、現在も残されている。
(2010年・森田芳光監督作品)
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令和の司馬遼太郎と呼ばれる磯田道史さんの原作。

猪山家の借金がどうなったか?
お常の最後に言った、「もう借金はございませんゆえ」が本当だったのか、死ぬ間際に笑顔になって欲しくて言ったのか?

BGMも暗めの曲調で、暗い展開だったが、最後に報われたことになった。
まさに帳尻が合ったことになる。


『海賊と呼ばれた男』の記事はこちら(2021年6月13日)
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では、明日。