◆NHKスペシャル「村田諒太・父と子でつかんだ世界王座」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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現在、「いいね」返しが出来ません。

NHKスペシャル「村田諒太・父と子でつかんだ世界王座」

NHKがついにプロボクシング選手を取り上げた。

acworksさんによる写真ACからの写真)

5月20日に初めて挑んだタイトルマッチ
第4ラウンドにはダウンを奪った。
誰もが村田勝利と思っていたが、まさかの判定負けだった。
世界中から疑問の声がわき、WBAから異例の再戦要求が出た。
今回は誰の目にも明らかに勝ったと思える試合をしないといけない。

再戦まで6週間
これまでになく、自分を追い込んでいった。

村田最大の武器は右ストレート、目指すはノックアウト勝ちでの完全決着。

スパーリングの模様は自分のスマートフォンで撮影。
自ら課題を洗い出し、次のスパーリングで修正する。
貪欲に強さを追い詰めている。

高いハードルを自らに課していた。
いつも以上に自分を追い込んでいた。
相手を圧倒するために、前に出続けるボクシング。
それを可能にするのは鉄壁のブロック。

世界一のブロックを支えるのは、驚異的な反応の速さ、防御に0.04秒。
日本ランキングの選手でも0.1秒かかる。
反応速度をさらに高めるために目のトレーニングも始めた。
動体視力がさらにアップした。
その効果がわかるようになった。

試合前は体調管理を徹底するために家族のもとを離れ、ホテル暮らし。
必ず持ち込むものは、哲学や心理学の本。
たった1人でリングに立つも、普段の読書は欠かせない。
本を贈ったのは父親・誠ニさん

acworksさんによる写真ACからの写真 )

村田が小さい頃育った所は岡山県瀬戸内海の近く
誠ニさんは今もここで暮らしている。
30年以上障害者支援施設で働いて来た時、哲学や心理学の本が役に立った。

厳しい勝負の世界に身を置く息子にも役に立つのではないかと思い、贈っている。
3人兄弟の末っ子、いつも父親のそばを離れない甘えんぼ
中学の時、両親が離婚。
上級生とけんかして退学して、居場所を失っていた。
中学2年生にジムに入った。
この場所で過ごすのが、何より楽しかった。

ジムを一緒に探したのは誠ニさんだった。
才能を開花させ、ロンドン五輪で金メダルを獲得
翌年、ブロデビュー

金メダリストが負けることは許されないと、自分を追い詰めて行った。
この時村田が頼ったのは、父親
誠二さんは「助けてあげたい」
単に頑張れよと言っても力にならない
本を贈ることにした「夜と霧」。
伝えたい一節があった。

「人生に意味を問うてはいけない。人生の問いかけにどう応えるかが大切なのだ」
苦しむこと、それ自体に意味がある。

村田を勇気付けた。
今、何ができるのかをわかり始めた。
気持ちが落ち着けた。

再戦まで1ヶ月、重圧は遥かに大きくなっていた。
CM撮影、スポンサーの要望
45日前は普通は試合に集中するものだが、特別に応じた。
撮影は4時間に及んだ。
多くの人に支えられて、実現した再戦。
2度も期待を裏切れば、次はない。

3週間前、村田が集中できないでいた。
10ラウンド予定していたスパーリングで足が動かなくなり、途中で止められた。
「今の時期、一番辞めたくなる」
不調にあえいでいた村田。

宿泊先のホテルに家族を呼んだ。
2人の子どもがいて、長男は来年小学生になる。

立ち止まってしまったら勝利は得られない
村田は自分にそう言い聞かせているようだった。
岡山で暮らす、村田の父・誠ニさん。
試合が近づく中、重圧に苦しむ息子のことを案じていた。
改めてあの言葉を贈った。
「人は問われている。諒太スタイルがいい」と、最後に付け加えた。
メッセを受け取った村田はその意味を考えていた。

2週間前、誠ニさんは東京に向かっていた。
村田の代わりに、孫の運動会に参加するためだった。
運動会当日、開会式が始まる直前、宿泊先のホテルから村田がやって来た。
この日はおよそ30度の炎天下、さらに人混みに入るのを避けなければいけない時期だ。
「それで負けるようなら、所詮そこまでのボクサー」そう思っていた。
長男が楽しみにしていたかけっこでは途中で靴が脱げ、結果は4着。
頑張る息子に何かしたいと思った。
誠ニさんが出るはずだった親子競技に自分が出ることにした。
息子は一生懸命頑張った。
今度は、自分が頑張る番だ。

村田は足早にトレーニングに戻って行った。
翌日、村田はこれまでとは違っていた。
相手のパンチをことごとくプロック、前に出てパンチを打ち込んだ。
復調の兆しが見えていた。
感覚を確かめるように、シャドーボクシングを続けた。
この日の夜、長男の運動会の映像を繰り返し見ていた。
「今まで生きていた中で、一番幸せだったかもしれない」
「勝った負けたじゃなく、一生懸命やろう、息子みたいに」
もう居場所を失うことを恐れることはない。
失うことをおびえる必要はない。
負けたとしても、父親村田諒太はいつまでもあるんだな。
そう思うと、負けることへの恐怖が無くなって来た。

2日前、最後の記者会見
「プレッシャー持ったまま、戦うだけ」

10月22日、決戦の日
大型の台風21号が接近する中、超満員の観客が両国国技館に集まった。
村田は、吹っ切れたような笑顔で会場に入った。
誠ニさんは新幹線で東京を離れるところだった。
息子が殴り合う姿を見ていられないから観戦しないことにしている。

村田が完全決着をつけるために、リングにあがった。
試合序盤、ブロックがエンダムのパンチをはじきかえす。
前回の反省を踏まえ、パンチの手数を増やした。
打ち合いでは、一歩も下がらない。
中盤、村田の右ストレートが顔面にヒット。
追い詰める村田。
しかし、エンダムは倒れない。
それでも、ひたすら前へ。
倒しきれなかった前回の自分を超える気迫がエンダムを圧倒していた。

エンダムが試合続行を諦めた。
「リタイア」
宣言通りの完全決着。
村田は重圧に打ち勝った。

試合後、真っ先に息子に電話した。
「勝ったぞ」
「おめでとう、パパが泣くの初めて見た」
「泣いてない」
村田の世界チャンピオンとしての、人生が始まった。
「まずは、やっていくしかないですね」
これから人生の問いかけに答えて行く。

父からのメッセージは一言「おめでとう」
村田も短く返した。
「ありがとう、また頑張るよ」
父と村田の間にそれ以上の言葉はなかった。

保育圏に長男を迎えに行った。
1週間ぶりの再会だった。
世界チャンピオン・村田諒太、31歳。
ボクサーとして、父として、戦いの日々を生きていく。

先日NHKスペシャル、この晩は「情熱大陸」が放送される。
この2局の密着は、かち合ったに違いない。
局の垣根を越えてこれほど取り上げられるのは、スーパースターの証。

強豪の多い階級だが、防衛を重ねてスーパー王者・ゴロフキンとの一戦を実現して欲しい。


2016年年末の村田諒太の記事はこちら(2016年12月31日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12233540782.html

では、明日。