↑前回の続きになります。
前回のブログで私は、
"誰にどう思われても、自分がしたい方を選び"、
その選択に責任を持ち、
自分を生きることを選ぶことが自立と言うんです。
と書いています。
まずは、
"誰にどう思われても、自分がしたい方を選ぶ"
ということが、かなり難しいことですよね?
それは、人の意見に従ってしまうから。
人の意見に従ってしまう。
人の意見に流されてしまう。
この大元になってるのは、育ててくれた親にあると私は思います。
私たちは、親となった人の価値観に従って育ってきました。
子どもにとって、毎日一緒に生活している親の価値観は普通のことで、親の価値観を疑わずに、
子どもは無意識に親の価値観に従って生きると思います。
私たちは、親の価値観に合うように育てられ、親の価値観と合わないことをすると、怒られたりしてきましたね。
だから、親に従わないことは"いけないこと"だと思ってきましたね。
今もそう思ってる人が多い。
だけど、本当にそうなの?
社会に出て、色々な価値観の人と出会うにつれ、
自分の価値観は少し視野が狭いんじゃないか?
・こんなポジティブな考え方があるんだ。
・そんな捉え方もあるんだ。
と、これまで自分に染み付いていた親の価値観に違和感を感じ、それはとても歪んでいて、狭い価値観だったと感じたことはありませんか?
私は高校卒業後、18歳の時、
東京の短大に進学し、
その短大の敷地内にある、
地方出身者用の学生寮で、
過ごした経験があります。
北は青森、南は沖縄から来た女の子約20人と生活を共にしました。
言葉はもちろん、
いろいろな価値観に触れることができました。
2人で1室になっていて、
私と同室になった子は、
和歌山出身の女の子でした。
私はその女の子から、
私の価値観をひっくり返す、衝撃的な言葉を聞きました。
その女の子は、とても勉強熱心だったので、
「そんなに勉強して偉いね?」
と私が言うと、
「全然偉くないよ。自分のためだから。」
とその子は言いました。
私、その言葉に衝撃を受けました。
なぜなら私は、自分のためになんて勉強してなかった。
私は親に怒られないために、勉強していたからです。
こんななんてこと無い会話だけど、私にはとても衝撃的でした。
私は母に「勉強しなさい」と言われ、
渋々と勉強していました。
勉強以外でもそうでした。
私は母の命令に従って生きていたんです。
一方、当時寮で同室だった女の子は、自ら選んで勉強していたんです。
私の母には、
自分の子どもに命令し、
自分の望み通りに動かしていい
という価値観があったということです。
私は母の命令に従うのが、すごくイヤだったのに、親は絶対と思ってたから、親に従うことを選んでいたんです。
本当に親は絶対なの?
親と違う考えがあり、
親に意見することは、本当にいけないことなの?
親に反発したら、
悪い子なの?
嫌われるの?
見放されるの?
それでもいいじゃない!
それが怖いの?
その思い込みが、自分を選べなくて、自分を幸せにできないんだよ。
自立って、
まずは親の価値観や、
親は絶対という思い込みから卒業することから始まるんだよ。
もっと自分を大切にしようよ。
![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)