私のアクセス数が少ないこのブログで、更にアクセス数が減る内容があります。
それは「自立」に関する内容です。
今日は、敢えてアクセス数が減る「自立」について書こうと思います。
私にとって「自立」は、過去も今もとても重要なテーマです。
これまで「自立」に挑戦してきたから、今の私がいます。
だから、これから書くことが書けます。
「自立」とは、他の人にも重要なテーマだと私は考えています。
なのに、「自立」をテーマにすると、アクセス数が減るんです。
この現象は、
・自立なんて自分には関係ないと思ってる
・自立から逃げてる
こんな理由なのかな?と思います。
だけど、私の経験上、自立こそが自分の人生を豊かにするために一番重要なことだと私は思っています。
「自立」というと
・経済的自立
・精神的自立
があります。
経済的自立は女性には難しいかもしれません。
だけど、経済的自立は、簡単に言うと、自分が暮らせるだけのお金を稼ぎ、そのお金を足りるように使えればいいんです。
そして、余った分を何らかの方法で増やしていければいいわけです。
経済的自立はお金のことなので、数字で足りるか足りないかを見分けることができるから、そういう意味で成功させやすいです。
自分が生きるためのお金を自分で稼いで、自分で使って行くことは、とても自信に繋がり、自分を認める材料にもなります。
その一方で、
「精神的自立ってどういうことだろう」
って、私はこれまで考えてきました。
精神的自立を言葉で表すなら、どんな表現を使えばいいのか分かりませんでした。
なぜなら、精神的自立は、経済的自立のように、数字で足りるか足りないかと比べることができない見えないものだからです。
これまで精神的自立とはどういうことか考えてきた結果、こういうことかな?と私的に表現できるようになりました。
精神的自立とは、自分で自分を選ぶことです。
親の言いなりではなく、
人からどう思われるかでもなく、
楽な方でもなく、
得な方でもなく、
立場的にこうしなければでもなく、
自分がしたい方を選ぶこと
私的には、これが精神的自立だと思います。
誰かや何かや常識を基準にして、
誰かや何かや常識などを優先して、
本当はしたくないことをして、
うまく周りと関わる方法を選ぶのではなく、
本当はこうしたいんだ!
と言う気持ちを選んでいくこと。
例え、批判されても‥
例え誰かや何かに批判されても、
常識からズレていても、
自分の本当の気持ちを優先し、それを選んで行くことが、精神的自立と言うんだと思います。
もっと極端な表現を使うとすれば、
「この世の中、こう考えるのは自分だけかもしれない」
といった、究極な選択をすることもあるかもしれません。
それくらい、自分の気持ちを大切にできる選択ができることを、精神的自立というんだと思います。
この世の中、親に依存して、
経済的自立ができていない、いい年をした大人が多すぎます。
そして、親や周りの人にとって、いい子やいい人でありたいために、本当はイヤなのに、親や周りの人や常識に合わせて、自分を選ぶことができない。
つまりは精神的自立ができない人が多すぎます。
この経済的自立と精神的自立ができない人が共通して持ってないものがあります。
それは、自分への責任です。
経済的に親や誰かに頼ってるのは、経済的な責任は親や誰かに預けてることです。
精神的に誰かや何かを選んで、自分を選ばないのは、自分への責任を放棄してる状態なんです。
精神的自立と経済的自立と分けましたが、
この2つを一括りにして「自立」と言ってしまうと、
自立とは、自分に責任を持つことです。
誰にどう思われても、自分がしたい方を選び、その選択に責任を持ち、自分を生きることを選ぶことが、自立と言うんです。
自立することで、
自分を認められて、
自分が好きになれるんです。
そして、豊かな人生を送れるんです。
自立をしないという選択すら、自立してるとも言えるのかもしれません。
その選択に責任を持ち、自分を生きる。
そうすることで、豊かさを手に入れることができます。
みなさんは、自分の責任を取れてるか、考えてみてください。
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これまで自分を大切にしてなかった私が始めたこと。
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