今日は、わたしが


『魂 (たましい) っていう 


目には見えないナニか
誰か?の存在を

意識したり、
感じたりするようになった頃のこと


その「きっかけ」

書いてみようとおもいます。








Miyabiブログのタイトルや
ブログの説明には

『魂のくすり箱』


というコトバを載せています。




この前のブログでも






毎日の暮らしの中でも


いつしか、この

『魂(たましい)っていうキーワードや

その存在について


とても大切に過ごすように

なっていったのだけれど、



元はと言えば


目に見えないモノ、世界のことは

意識ゼロ!だったし


どちらかと言うと

むしろ苦手なほうだったかな。




お墓参りは、お盆にしかいかない


神社は、七五三と初詣くらい


日々、ご先祖さまや神様に

手を合わせたり感謝したりすることも

ほぼほぼ、ない…


そんなタイプでした。





それが、ある日の夜を境に

そういうこと(目には見えない世界)って
本当にあるんだなぁ

という意識、価値観に
変わっていったのです。



『その夜』からは

目に見えないナニか、誰かに

背中をグイグイ押されたり、
夜中に何度も起こされたり

いろいろなメッセージを受け取ったり…

不思議だらけの毎日が
2~3ヶ月つづきました。


(不思議現象が少し落ち着いたのは、
私がそのメッセージに対して
「わかったよ」「やってみるよ」と
覚悟を決めたから…でした。)






そもそも

私の変化のはじまりの
大きなきっかけとなったのは、


大学時代の大親友 Mちゃん
若くして「急性白血病」で
突然、亡くなってしまったこと



そして

彼女の「死」
ほぼ同じタイミングでやってきた

我が家の大ピンチ 

(当時、旦那様&義父が経営していた
会社が倒産、自己破産)


このふたつの出来事でした。



。.:*・゜


当時、3人の娘たちは
8歳、6歳、2歳


何ヶ月か前から、収入がゼロになり
不安と恐怖しかない中で

いちばんの心友 Mちゃんを失い、

「この世には 神も仏もいないのか」

毎日、泣きながら空を見つめていた。

(神も仏も、さほど信仰していなかった
くせにね…(  𑁉▾𑁉))



近い未来には

クルマも、家具・家電も
住むところも

全て失うかもしれない恐怖に
夜も眠れず


それでも、

小さな可愛い娘たちの前や
ママ友たちの前では
いつもどおり

元気で明るいわたし♪を
演じていたことで

なおさら、身体もココロも疲れきって

ボロボロになっていました。



☆★……★☆



『その夜』

2008年の10月の終わり頃でした。


ちょっとした用事があって、

娘たちと実家に行っていたのです。



母が作ってくれた美味しい晩ご飯に

ちょっと心を癒されて、


ひとり ボーッと

テレビを眺めていた私。





たまたま、その時間は

『オーラの泉』という番組が始まって


その日は、特に興味のないゲストの会

だったのだけど



なんとなく、なぜか

「これ、観なきゃいけないヤツだ」

いう気がして


テレビの真ん前で


突然 正座🧎🏻‍♀️をして

観はじめたのを覚えています。




★『オーラの泉』★

司会は国分太一さん

江原啓之さん、美輪明宏さんが

毎回ゲストのオーラや過去世をみながら
お話をされていく…

当時、けっこう人気のあった
番組でしたよね。


その日のゲストは、

タレントさんであり

当時大流行していた
生キャラメルを生産、販売されていた

「花畑牧場」社長の
田中義剛さんでした🐮🍬


お話を聴いているうちに

なぜか全身に鳥肌が立ち始めて、


番組が終わるまで1時間

ずっと正座🧎🏻‍♀️したままだった

私の太ももの上には


もの凄い力でギュッと握られた

両手✊🏻があって


びっしりと汗をかいていました。




生まれて初めての、
なんだか不思議な感覚に包まれたまま

テレビの前からスっと立った私は

そのまま
キッチンにいた母の所へ行き…


突然

「ママ、わたしね
義剛さんの牧場へ

北海道へ行くと思う。」

「よくわからないんだけど、
あそこに行け!って
今、誰かに言われちゃった。


そんなふうに話した(らしい)のです。
 

※ ちなみに、自分ではその時の
記憶があまり鮮明ではありません







東北で生まれ育った田中さんが、

まだ10代の頃に突然

北海道に牧場を持とう!
酪農をやろう!と決意することになった

そのきっかけは 、

中学生の時に出逢った大親友 
O君の死だったそうです。


🛥


高校の実習で、北海道オホーツクの海へ
航海に出ていたO


O君が乗っていた船は
海難事故で転覆、遭難…

彼は若くして
還らぬ人となってしまった。

その遺体すら、上がることは無かった。



悲しみに暮れていた、
当時の青年 田中さんが

ひとり、北海道の海へ
花を手向けに行き

O君の冥福を祈った、その帰り道…


偶然、立ち寄りお世話になった牧場で

馬🐎の新しい命の誕生に遭遇することに
なったそうです。


その時、田中さんは

亡き友が
「牧場をやれ!」と言っている

そう確信した、させられてしまった・・



その後は

北海道に牧場を買いたい!
という一心で、芸能の世界に入られ

数億円もの借金をするなど
大変なご苦労をされながらも、

友との約束を胸に

今日までも北海道の地で
牧場・会社・店舗を経営されています。







「オーラの泉」を見終わって
ハッとしました。


その日はちゃんの旅立ちから
ちょうど
「四十九日」が経った日だったのです。



さっき、私に「あそこに行け!」と
伝えてくれたのは

間違いなくMちゃんだ!


根拠のない確信のようなものと共に
全身に鳥肌が立ちました。



・・・とは言え、


北海道なんて
行ったこともない。

親戚も知り合いも
ひとりもいない。

お金もない。



当時の旦那さんは

生まれ育った土地、両親、仲間を残して
北海道へ移住する…だなんて

気持ち、考えは1ミリも無い。

そりゃ、そうだよね



突然、

「娘たちを守るために
北海道へ行かなきゃならない」

ワケの分からないことを言い出した
わたしに
 
旦那さんは

「冗談でしょ?」と、
その日から
ほぼ口をきいてくれなくなりました。



実家の父は、孫女の子女の子女の子可愛さから

「どうしても…と言うなら、
娘たちを置いて
おまえ、ひとりで行きなさい。

それが出来ないと言うなら
勘当だ。親子の縁を切る!」と

見たこともないくらいの怒りを
爆発させ、

猛反対でした。



ちゃんからのメッセージ、エールを
受け取ってはみたものの、

周囲からの猛反対と

あまりにも無謀に思える
そのメッセージ(プラン、ビジョン)に

私も少しずつ不安が膨らみ

半信半疑になっていきます。







最初のほうでも書いたように


『あの夜』からは

目に見えないナニか、誰かに

背中をグイグイ押されたり、
夜中に何度も起こされたり

あちこちで、「北海道」「移住」という
キーワードや

その時の私にとって 勇気や希望を
感じられるようなヒント、メッセージを

何度も何度も 同じように
見聞きすることになったり…

不思議だらけの出来事
ずっと続いていました。




今の私ならば、それら
ちゃんからのエールだけではなく、

いわゆる 目には見えない

魂の声

ハイヤーセルフからのメッセージ

ご先祖様や守護霊さん
「チームわたし」からのメッセージ

シンクロニシティ

・・というものだというふうに

理解した、
理解できたと思います。



けれど、

あの頃は今と比べると
情報も少なく

(スマホもまだ、普及していませんでした)


ただただ、不思議 

ちょっと(かなり)コワイ

どうしよう
どうしたらいいんだろう

という渦に巻かれ

どんどん、ぐるぐるしていきました。




何十日も続いていた
私の そんなぐるぐるを 

スパッ!と止め、

「覚悟」「決断」…へと
大きく舵をきらせてくれたのは


当時、同居していた義母と、
実家の母

あの頃は、大の苦手だった
ふたりのの言葉

たまたま入った書店で 見かけた
1冊のでした。



棚に並べられた、たくさんの本の中で

その本📕だけが
強く眩しく を放って(そう見えて)

わたしを呼んでくれていたのです。






につづきます☆。.:*・゜



読んでくれてありがとう♡


いつもありがとう♡