正法明如来さまって | osamuのブログ

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HPが変更になったので
移動してますがないページも多数。父母を亡くして
供養に興味を持って色々調べて、お寺さんお参り時に
真言いえたらいいなぁと
始めました。
後,興味を持った事を調べて
メモ替わりに書いています。
間違いや誤字脱字はすみません。

観音さまの表白に
正法明如来さまと云う仏さまが出てくるので
調べてみた。
密教大辞典等でー調べたが記載なく

ネットで調べて、 みると下記の記載があり。

メモした。


http://www.evam.ne.jp/evam/evam/faq/basic/sutra/kannongyou1.html 

観音経講話(かんのんぎょうこうわ)

(Lectures on Avalokitasvara Sutra)



渡辺 海旭(Watanabe Kaigyoku)(1872-1932)講述
(和田健次編纂、京文社書店1933発行)

Retoled by Ryoshu KOUDA 

に出てきた。








資料としてゆきたいと願うしだいである。

知的欲求だけで、いたづらに仏書を読みあさったからといって、

決して信仰は得られるものではないからである。

さて、そこで最初に戻って、観世音菩薩というお方の御経歴について説くことにする。

このことに関しては、それぞれ経文上から伝説的事実に依拠して考えてみることもできるし、

また一方、歴史的な事実によっても明らかにすることができるが、

例えば、「荘厳経(しょうごんきょう)」であるとか「思益経(しやくきょう)」であるとか

「悲華経(ひけきょう)」であるとか、あるいは「大悲心陀羅尼経(だいひしんだらにきょう)」等によって大概その御出所(ごしゅっしょ)を知ることができるのである。

こうして、だんだん考察してゆくと


「金光明経(こんこうみょうきょう)」に出てくる

「正法明如来(しょうほうみょうにょらい)」という仏様が、この観世音菩薩であられるということがわかるのである。


ではどうして、正法明如来という高い位(くらい)にある方が、それより低い菩薩の位にわざわざ身を下られておられるのか、如来という高い位があるならば、それにとどまっていられたならば結構ではないか、と人々は疑われることであろう。

ここに菩薩乗の功力(くりき)ということが考えられるのである。

すなわち高い如来の位置におられたのでは、もれなく一切衆生を済度(さいど)することは不可能であるから、自ら下化衆生(げけしゅじょう:利他の行として衆生を救済すること)のために謙遜(けんそん)して、

その位を降りて、それより低い位の菩薩の位につかれたのである。観世音菩薩という御名前はこの時についたのである。

このようにしてこの世に観音は現れたと経文に出ている。