YUさんのブログを拝見して、どんな人生でも、最後には「これで良かった」と思えるように人生を送るということを、気付かせてくれています。
私も今年73歳になりました。
天命を全うするまでに、後12年となりました。
残りの12年をどのように過ごすのかが重要です。
思い起こせば、この73年はいっぱい色々な事がありました。
人様に後ろ指さされるような事も数多くしてきました。
様々な失敗と挫折も体験出来ました。人様の何十倍も多くの体験出来ました。でも、こんな人生でも良かったなあと思うことは、思いっきりオムニバスな事を詰め込んだ人生でした。
物心ついた時から、放し飼い状態でした。いわゆる「ネグレクト」状態で育った訳です。
ネグレクトを受けているこどもの心理的・精神的(発達面や行動面)の特徴
- ・発達(とくにことば)の遅れがある・授業中じっとしていられない・急に教室や学校を飛び出してしまう・先生や生徒に攻撃的で喧嘩が絶えない・言葉より先に手が出てしまう
- ・学習が身につけない・自信が極端に低い
- ・協調性がなく友人関係を築けない
でも、ネグレクトされたお陰で、幼少期から自由奔放に生きてきました。
親が敷いたくれたレール何なんて、何もありません。
「余分な存在」として産まれた訳ですから、邪魔者扱いでした。
少なくとも親父はそのように私に接していました。
昔は、親父が一家の主ですから、他の家族はすべて親父に従うしきたりです。だから親父にネグレクトされたら大変です。
お袋が私をかばったり、可愛がろうとすると、親父は「甘やかしてる」と怒り出したものです。
母親やお爺さんが、親父に隠れて私に食べ物や菓子を隠して施してくれる状態ですが、それを食べる時には親父に見付からないように、家の裏手に行って食べるのです。
三度の食事の時も、お袋は茶碗の底に特別のおかず(ハムやソーセージ)を密かに入れて、その上にご飯を盛ってくれました。
ご飯を食べる時には親父に見付からないように、親父の目線を常に気にしながら、茶碗の底の特別なおかずを少しずつ食べるのです。もし、茶碗の底の特別なおかずを親父に見付けられたら、多分えらい剣幕で起こられたでしょう。
幸い、一度も見付かることなく大人になれました。
世間の子供のように、たくさん色々食べれた訳ではないので、栄養失調状態でした。小学校に行くようになっても、「通信簿」にいつも「栄養失調・虚弱体質」と考察欄に書かれていました。
暖かい家庭で、全てに恵まれ、至れり尽くせりの家庭で育った人には想像の付かない世界ですが、でも、そのお陰で、何でも全てを自分でやるという「自立」が身に付きました。
自分でやらなきゃ誰もやってくれません。
そして、何かをやるにしても誰かの許可を得るということも、必要無かったのです。
その代わり、すべて自己責任です。
とんでもない事が起こっても「お前が悪い」となります。
しかし、このように育ったので、自由ということが身に付きました。何をやるにしても自由です。その代わり問題を起こせば罰せられることは覚悟しなければ成りません。
そういうことも幼少期にすでに学びました。
高校三年生の進路を決める時も、親父は一切口出しをしません。
ただ、進学はさせないと言いました。それは貧乏だからです。
同級生の大半は大学進学を決めました。
私の場合は、もし進学したかったら、自分で働き、自分で学費を稼ぎ、そして夜間制の大学に行くしかなかったのです。
でも、私は勉強大嫌いだし、頭も悪かったから、早々に就職先を自分で決めて進路指導の先生に報告しました。
進路指導の先生は、私が唐突に就職先を決めたものだから、「宮﨑、就職先を両親に相談したのか?」と心配してくれました。
私は「お父さんは、知らん、お前の好きなようにしろと言ってます」と言うと。
「でもな、この会社でいいのか?」と先生は両親よりも真剣に心配してくれました。
私はあまり深く物事を考えていなかったので、何でもいいや、と簡単に将来を決めてしまいました。
家に帰って、夕飯の時に「俺、今日さあ、進路指導の先生に、何処に就職するのか両親と相談して来いって言われたけど。俺は、〇×△会社に就職を決めてきたよ」と両親に話しました。
すると、お袋は「そうか、お母ちゃんは孝宏が良ければ、それでいいよ」と言ってくれました。
親父は同じちゃぶ台に座っているのに、さも無関心で良いにも悪いにも一言も口を開きませんでした。
私が、何処に就職しようが出かけようが、一切お咎め無しでした。高校時代に、家に何の連絡もしないで同級生の家に外泊しても両親は気にも留めていませんでした。
次の日、学校から家に帰ると、母親は「昨日は家に帰ってこなかったけど、何処に泊まっただ?」と聞くぐらいで、親父は無関心でした。
高校2年生の時の夏休みに自分で勝手に、バイクで東北地方一人ツーリングを決めた時も、親父は知らん顔でした。
親父のボロバイクを拝借しての一人野宿の旅ですが、親父のバイクを乗り出すことに一言も文句を言わなかったのは、今になってみれば「凄いなあ~」と私は感心しています。
太っ腹? それとも事前にお袋から話を聞いていたのかも知れません。
17歳の息子が一人で東北地方に野宿しながら出かけるなら、普通の親は猛反対でしょうけど。お袋だけが、「気を付けて行ってこいよ」と心配してくれました。
反対はしないで、出掛ける朝には昼飯用に、握り飯を用意してくれました。
■東北独り旅
悪い言い方をすれば「問題が起っても親は関知しない、自分で始末しろ」ということです。
その代わり自由です。自分で計画し、失敗しても親に泣きついたりしません。失敗しても黙って自分で反省するのです。
そのお陰で、私は人様の何倍も多くの体験が出来ました。
多くの失敗と挫折も味わいました。
でも、多くの経験と知恵がついたのです。
もし、私が裕福な家庭に育って、何不自由なく大人になったのなら、きっと軟弱な人間になっていたのかも知れません。
※私の命盤では恵まれた家に生まれても、やりたいことをする人でしょう。命盤がそう物語っています。
田舎の貧乏な家庭に生まれ、食べ物もキチンと食べれなかった幼少期、親の敷いたレールも一切なかったので、自分で生きて行くしか無かったのです。
でも、そのお陰でどんな時でも自分で決めて、行動するという習慣が身に付きました。
ネグレクトされたお陰で、私には多くの知恵が授かりました。
とんでもない家庭でしたが、今になれば「ありがとう」と感謝しています。
私はすでに「ああ、これで良かったんだ」と思っています。
どんな人生でも最後には「ああ、これで良かったんだ」と思える生き方をしたいです。
残された年数は後12年。たっぷり有ります。
最後を、どう締め括るか、今年73歳、人生の総仕上げをする段階です。
65歳で、それまでと全く人生を歩み始めました。
そうです、占いの世界に入ったのです。
65歳から第二の人生スタートでした。まったく未経験の世界でしたが、基本の理論を覚えたら、後は多くの散々の失敗と挫折が情報の山となったのです。
自分の命盤で多くの事を検証出来ました。
今となってみれば、占い師に成るために、この人生が有ったのかもと思えてしまいます。
奈落からスタートしてる人に言いたいです。
どん底からのスタートなら、これ以下に堕ちることは無いのです。
失う物が何も無い人は強いです。もともと無いのですから失う物は、これ以上は無いのです。そして、後は何しても上を目指すことになります。
では、頂点からスタートしたなら、どっちへ行っても下降するばかりです。剣岳の頂上に立ってみてください。360度、どの方向にでも一歩踏み出せば下降するばかりです。
運勢とはそういう物です。良い時があれば、必ず落ちるのです。
若い頃に成功した人は、そのままでは堕ちるのみです。
有名人にもそういう人は結構居ますよね。
若い頃に名声を得た人、プロゴルファーの石川遼さんなど、20歳代で世界一になりました。今はめっきり噂を聞かなくなりました。
挫折と失敗の経験が無いと、晩年に堕ちても失敗の経験が無いので対処の方法も知らないのです。
些細な問題が起きてもすべて「想定外」なのです。
幼少期から散々の失敗経験を重ねた人は、多くの経験があります。晩年には何が起きても「想定内」なのです。
さあ、どちらが良いと思いますか?
私は、今になってみれば、後者の「奈落からのスタート」で良かったとしみじみ思います。