何が起こったのか? <第二運 15歳~24歳> | 紫微斗数 欽天四化 占い 宮 立命 

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何が起こったのか? <第二運 15歳~24歳>

 

命盤での第二運は、私の場合は「兄弟宮」の宮が、この期間の運勢の中心(命宮)になります。

本命盤の「兄弟宮」を命宮として観る(宮位転換、活盤)ことになります。

三合派には「身宮」という見方がありますが、これは後半生以降の人生を、命盤の上で「身宮」の宮を命宮として観たりする方法ですが、非常に大雑把です。「身宮」の宮が何の宮であるかで、後半生のテーマを観たりしますが、これも大雑把です。

鑑定時に「身宮」についてご質問を受けることがありますが、基本的に「身宮」というものは、別の鑑定法がある現在では意味が無いとお伝えしています。

 

「宮位転換」してみる方法ならば、10年単位で命盤を正確に分析出来ます。これまで三合派の教室では、星の吉凶とその星の組み合わせで運勢を観るように学びますが、非常に曖昧でその判断には難しいものがあります。霊感でも無いと無理と感じます。

私の処にレッスンで来られる占い師さんも多いですが、三合派の方はこれまで鑑定で悩み抜いて来たことを観るとお気の毒に思います。

私も最初の数年間は三合派をみっちり学びましたが、判断は難しいという感想です。

三合派は霊感でも強くないと難しい占いのかなあと実感しています。

私の大限、年月の運勢の判断は「新・飛星派」です。

これは、芦屋の田中先生から2013年頃、教授戴いた方法です。これまでの日本には無い飛星法で大限、年月の吉凶を鋭く判断できます。

 

 

さて前置きが長くなりましたが、私の<第二運>は、どんな人生だったのか。

第二運の命宮を「兄弟宮」に置くと、重要な三合宮(大限の命宮・財帛宮・官禄宮+遷移宮)に特別に生年四化が入る訳ではない、ちょっと見では平運な大限(10年運)ですが、結構いろいろな事があった時期です。

 

■この10年間に起こった主な事を挙げると

数え歳15歳~24歳ですから、まず中学校から高等学校に入学です。

私は中学三年生の成績は極めて悪く、担任の先生からこのままでは公立高校への入学は難しいと言われていました。

私自身も勉強は本当に嫌いで入学試験に合格出来るとは思っていませんでした。実際に試験解答用紙に答えが書けない科目が多かったのを覚えています。

 

しかし、この大限の官禄宮(学業、仕事)の運勢は中吉で悪くはないです。

三合派で観ると、この大限の官禄宮(本田宅宮)には【地劫】ですから凶と観るかも知れませんが、この場合の星の吉凶などあまり重要でないです。

では、この受験時期の中学三年生の時の年運で学業運を調べて観ますと、それは1966年(午)で学業運は「大凶・中吉」でした。つまり得意な科目は、そこそこ成績が良いけれど苦手な科目は0点でも不思議ない運勢です。

高校の試験は、当時は確か五科目での試験でした。

 

五科目とは、国語、英語、数学、理科、社会ではなかったかと記憶しています。このうち、国語と社会、理科は何とかなりましたが、数学と英語はチンプンカンプンです。もともと発達障害で「算数障害」の持ち主ですから最悪です。国語も漢字が書けない特性を持っていましたから、高校合格は私自身諦めていました。

 

ところが入学試験のあった翌年の学業運は「中吉」でした。こういう場合は、まさに運が良かったと言って良いでしょう。運勢に助けられたのですね。改めて検証してホッとします。多分、合格ラインすれすれだったのでしょう。

しかし、高校二年生の学業運は大凶です。特に英語、数学は滅茶滅茶でした。

何回も追試験を受けましたし、特例で夏休みに登校して校庭の石拾いなどをして授業日数の不足を補いました。実は勉強が大嫌いで何回も授業をサボっていたのです。

学校の先生も一人ばかり落第生が有ったのでは困るのでしょう。

 

高校三年生では、ますます学業の好き嫌いが激しく、学業運も「大吉・大凶」の組み合わせで推移しています。

得意な科目は100点満点でも、嫌いな科目は0点という具合です。

これには、先生も参ったのでしょう。私の家まではるばる1時間もかけて、山の部落の中まで訪ねて来ました。

「お宅の孝宏くんは、いったいどうなっているのですか?」と母親に訪ねていました。

私は、当時は無線やオーディオに凝っていたので、関心の無い勉強の教科書は学校のロッカーに卒業まで入れっぱなしでした。

家に持って帰る教科書は電気系の物ばかりです。

 

そして、自宅の自分の部屋には足の踏み場もないほど、無線機の部品や半田ゴテやニッパーなどの工具などが山ほど散らかって、作業場と呈していました。

それを見た先生は勉強が出来るように成るまで、無線機などを預かって持ち帰ると脅されました。

部屋の中の無線機やガラクタを見られるのは構わないけど、サントリーやらハイライトを見られるのは絶対困るのでした。

 

   

 

私は平謝り、「これからは勉強します」と、誓約書を母親の居る前で書いた記憶があります。

しかし、生活態度は改められなかったのです。

 

 

■この大限では

高校二年生の夏休みに私は、ヒッチハイクをした兄に憧れて、単独の「原付バイク東北一周」を企てました。

親父の原付バイクに地図と寝袋とブルーシートだけ持って出掛けました。

もちろん、道路地図で入念に経路を調べて日程の計画を立てました。

費用は、当時で1日 1,000円、ガソリンと飲食代です。

5日間の予定でした。

当時は物価が今とは違って安かったのです。

 

 

 

そして母親に、5,000円貰って準備して居たら、次男の兄貴が「万が一何かが有ったら困るから」と、1万円をくれました。

兄貴いわく、「もしバイクが壊れたりしたら、バイクは捨てて電車で帰って来い」というのです。そのために、「1万円は使わないようにして持って居ろ」、と言いました。今、思えば何と心優しい兄貴でしょう。長男とは真逆です。

(いずれ兄弟の命盤も分析してみます)

そして5日間のバイク野宿の旅で1万円は手着けずで、日本海側から太平洋側を回り戻ってきました。

 

この「原付バイク東北一人旅」は、機会があったらブログに旅行記として書いてみたいと思います。

5日間、雨の日も風の日も有りましたが、すべて寝袋とブルーシートで道路脇や田んぼ、あぜ道で野宿を通した、17歳の超サバイバルな旅でした。

 

5日間には、様々な出来事が起こりました。真夜中の真っ暗な林道の山越えで、バイクが壊れて動けなくなり困り果てたことなど・・・。

今では大金を貰っても、体力があっても、同じことをする勇気は有りません。

でも、過ぎてみれば良い思い出です。よい体験が出来たと、当時の私に感謝します。

怖いもの知らずの17歳でした。やっぱり私は「化権の人」なのでしょうね。

 

 

■そして、やっとのことで、高等学校を這い出すようにして卒業した私は、集団就職はぜずに、地元の企業に就職しました。卒業した年は、官禄宮は凶運期でしたので、期末試験も単位を落としてしまい、卒業は出来ない、落第だと脅されましたが、落第されても学校も困るのでしょう。

無事に卒業は出来ましたが、新卒で入社した会社では入社早々に、一人の先輩に思いっきりイジメに遭い始め、半年もしない内に転勤希望を願い出ました。

(【化権の人】も悩みはしますが解決のために行動します)

 

同級生や同僚との人間関係は「奴僕宮」で観ますが、私の「奴僕宮」の運勢は0歳~44歳まで凶運期でした。大限の奴僕宮に【化忌】ですが、これは一概に凶ではありません。

(飛星派で観れば15歳~34歳は凶意が少ない)

 

小学校も中学校も、高校生の時もあまり同級生とは付き合いも無く、関わり合いが有りませんでした。付き合いが有ったのは一人か二人の親友でした。

そのためか虐めということには、あまり遭遇しませんでした。

 

高校一年生に入学した当時、学校のテリトリーを仕切っていた不良グループに、「この高校に通う奴からは上納金を収めてもらうから」とバス停で脅されましたが、私は「家が貧乏で自分の小遣いさえも無いのに上納金など出せない」と頑固に断ったら、「そうか、じゃお前は別の高校に通っている事にしておく」と勘弁して貰えました。

他の同級生は一様に「上納金」を収めたようです。しかし半年程して、この不良グループは摘発されて事態は収まりました。

 

 

■高校卒業⇒下宿暮らし(社会人一年生)

高校を卒業して山梨県甲府市郊外の家電販売会社に勤務が決まりましたが、明野村(現在の北斗市明野町)からの通勤は遠距離で難しいので、甲府市内に会社の総務課の斡旋で下宿生活が始まりました。母娘二人暮らしの二階の部屋を間借りすることになりました。

ここでの生活でもいろいろと破天荒なことが有りました。

その結果、数カ月で別の下宿先へ引っ越しさせられました。

 

■下宿暮らし撤退⇒実家へ

数カ月余りの下宿生活をしましたが、安給料で給料日前は食うや食わずの生活になっているのを見かねた兄(二男)が、私に普通車を購入してくれたのです。その自家用車で明野町の実家から通勤出来るようにしてくれたのです。

これは有難かったのです。二男の命盤の「兄弟宮」には、【化忌】が有ります。兄弟のことが常に気になり面倒を看たのでしょう。

この次男は長男のことも常に心配していました。長男は兄弟三人の中で一番に為体(ていたらく)でしたから。

 

 

■新卒で入った家電販売会社での仕事は、修理サービスに伴う補修部品の管理でした。ちなみに初任給は19,000円でした。下宿生活では給料日までお金がもたずに絶食を余儀なくされたことは頻繁でした。

 

新卒で入社した家電販売会社は一年ほどで辞(第一次オイルショック)めて、別の会社に転職しました。

 

転職先の会社では6年間勤務して「勤続功労賞」ということで、市から銅賞を受賞しました。

この会社は6年ほどで倒産状態になりましたが、入社早々に19歳で主任に昇格し品質管理課の管理者に成れました。もっとも品質管理課の社員は私一人でしたが、自由に振舞えてやり甲斐のある時期でした。品質管理課と云っても、納品先などでトラブルを起こした製品の現地調査、原因究明と修復、そして会社に戻ってトラブル改善の設計や組み立て、製造工程への品質改善フィードバックが主な仕事でした。

この時期の年運では仕事運は大吉でした。

 

新卒から、ここまでの仕事は修理や品質改善の仕事ですから、欽天四化の媒介論でいう「BD」の仕事ですね。つまり「トラブルを扱う仕事」です。

私の適職は「BD」ですから、適職に最初から就いていたことには成ります。

思い起こせば幼少期に目覚まし時計を二つも分解してしまうのも「トラブルを扱う」ことに興味が有ったのかも知れません。

 

 

■では、この大限での財運は如何だったかと云いますと、命盤では大限の「財帛宮」(本疾厄宮)に【自化D】ですから中凶に等しい訳です。

貯めるより出費が上回る運勢です。

この大限では、大阪や神戸などにも頻繁に出張して収入は相当に良かったのですが、田舎の親父に田植え機や稲刈り器などを、買ってあげたので貯金はあまり有りませんでした。そういう意味では親孝行はしていたことに成りますが。

不思議です。ネグレクトの父親に、この時期には農業を手伝い、農機具まで買い揃えて親孝行をしていたのです。

もしかして、これも「福徳宮」の【化禄】と「財帛宮」の【化科】の作用でしょう。

「生年四化」の作用は、このように理解すると鑑定は正確で現実的、具体的になります。

 

大限の父母宮に【化権】です、そして大限の父母宮と大限命宮が【自化B】で串聯していますので、仕事(農業)を親と一緒にやると云う意味合いに成るのでしょう。実際に日曜の度に田舎に行っては百姓を手伝っていました。

私は、手作業での農作業にうんざりして、自分の貯金を叩いて農機具を買い揃えたのです。

そして大限が変わる25歳ごろに、勤務先の倒産からの転職となり苦労が始まりました。

 

 

■この大限では、私は結婚をしました。彼女と出会ったのは19歳です。

そして結婚は、私が20歳の誕生日を過ぎて入籍でした。

この大限の結婚運は、「大吉+中凶」ですが、結婚に関しては仕事や財運とは別です。

 

つまり、大吉というけれど、飛星で大限命宮に【化禄】が入るだけですので、出会いという意味だけで大吉と判断するのが良いでしょう。

出会う相手が吉とは言えないのです。それは飛星で大限夫妻宮には【化忌】が入るからです。

飛星派の事を言葉で表現するは難しいので、読者の方は意味不明でしょう。

分かりやすく端的に言えば、「出会いの確率は物凄く高いけれど、その相手とは問題が起こりやすい」という事です。

 

このように、飛星した【化禄】と【化忌】が同時に巡る時は悪い相手との出会いが一般的です。

結婚しても、この「大限」中に別れることも多いです。

私の場合も、まさにその通りでした。

19歳で出会い、1年ほどで結婚まで至りましたが、そもそも出会いが問題の相手でした。

 

出会って間もない頃に、私は家出しようとした彼女に付き添って、遠くへ着いて行ってしまったのです。会社にも親にも何も告げずに行方知れずになったのです。

それは、給料を貰ってレストランで彼女に夕食をご馳走した後でした。

彼女を家まで送ろうとしましたが、彼女は家に帰りたくないと言い出したのです。

私は家に帰りたくないという彼女に、その理由を尋ねましたが理由は一言も話しません。まだキスすらもしてない関係ですから、ホテルへ行く訳にも行きません。何処かで彼女の気分が回復するまでコーヒーでも飲もうかと言いましたが、彼女は私に「あなたは家に帰って」と言うのです。

私は「君を置いて、俺だけ家に帰る訳にはいかない、だってここから君の家までは歩いたら2時間も掛かる場所だよ。もう夜の10時過ぎだよ、物騒で君を置いては帰れないよ」と説得しましたが、彼女の意思は固く、置き去りにして帰れと、一点張りです。

 

夜も更けてきました。結局、私は彼女を車に乗せて、彼女の行きたいという場所へ一緒に行くことにしたのです。

 

彼女の行きたいその場所は、行き着いてみれば、なんと山梨からは4~5時間以上もの場所でした。(当時は、中央高速道路は建設されていませんでしたから)

国道20号線をトコトコ4~5時間かけて行き着いたのは、神奈川県川崎市の古びたアパートが建て混んだ場所の裏路地でした。道路案内は彼女がしてくれました。当時はカーナビも有りません。私は道路地図も持っていませんでしたし、川崎市なんてチンプンカンプンでした。しかも真っ暗な深夜です。

 

川崎市の裏路地の暗い場所に、彼女は車を停めるように言うと、自分は私を車に残して降りたのです。

彼女は「私、用事が有るので、ここで暫く待っていて」と言い残すと暗がりに姿を消してしまいました。

 

私は待つこと1時間は過ぎたでしょうか、私がウトウトしていたら彼女は誰か連れをつれて帰ってきました。

私の知らない人ですが、とても親しそうでした。

 

 

それから、仮の住まいを探して、翌日には私名義でアパートも借りました。保証人は彼女の知り合いが成ってくれましたが、何が何だか訳が分からないまま、貰ったばかりの給与を全部使い果たして、主任の立場にあったのにも係わらず無断欠勤を何日もして奇妙な生活が始まりました。

このような状態なら懲戒解雇されても不思議はありません。

私は、もう自棄になっていました。仕事は首に成る覚悟です。仕事より彼女を選んだのです。

彼女の両親も捜索を始めるのではと思いました。当時は携帯電話も無い時代です。

彼女の家では娘は傷物になったと思っているのだろうと思いましたが、実際には、彼女は私に指一本すら触れさせず、頑なに私を拒みました。私も初心(うぶ)ですから無理強いはせず、大人しく従っていたのです。

そして、数日が過ぎた頃に、思わぬ展開となるのです。

 

 

彼女の個人情報にも成りますので、これ以上の詳細は書けませんが、このような出会いは結婚まで行かずに、別れることの方が普通でしょう。

 

何故、そのような事情が彼女にあったのに結婚してしまったのでしょうか?

それは、私の「福徳宮」に原因が有ります。

自分で云うのも如何なものかと思いますが、福徳宮に【化禄】や【化科】の人は同情心、慈悲の心が強いのです。

相手のことを気の毒に感じてしまい、放って置けないのです。

そのために、サッサと止めれば良いものを深みにハマってしまうのです。

しかも私の福徳宮は「W破格」ですから、こんな事をやってしまうのでしょう。

私の友人は「そんな関係なら結婚なんて止めろ、お前は馬鹿だ」とも言われましたが、馬鹿な私はズルズルとしてしまったのです。

 

このような出会いであったのに、結婚はしたのです。しかし、彼女の秘められた過去の事情は、結婚三年目に意外な人から暴露され、私は冷や水を浴びせられる思いになりました。

 

 

 

■そして、

この大限の終わりに勤めていた会社の業績が悪くなり、会社は自主退職を募り、私はそれに応じて退職し脱サラを果たしました。

しかし、翌年は大限が「D25」に変わり「官禄宮」が凶運になり、自営業も大変な時期に突入です。

 

D25歳の大限の官禄宮は、元の「福徳宮」の宮になります。来因宮で多重破格です。本来ならこんな時期に脱サラはするべきではないのですが、運命の悪いシナリオを全うするためには、わざわざ悪く成る時に起業したくなるのです。

 

《次回は、25歳からの10年運の期間です》