肩の荷が下りる、とは | みやみや珈琲日記

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毎日のコーヒータイムに、ちょっといいことを。

今日もブログに来ていただき、

ありがとうございます😊


こんにちは、みやです。


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先週は大阪に帰省していたので、
カフェの仕事はお休みをいただいていました。

一昨日、
10日振りに出勤したのですが、
まぁ、動けないのなんの💦

物は落とすし、
体はあちこちにぶつけるし💦

信じられないようなミスもあって
情けなくなるし、
長時間の立ち仕事が
辛く感じるし。

「あぁ、
 今日の私は顔が上がってなかったなぁ。
 もう年齢的に
 立ち仕事も限界なのかなぁ。」

思わず「年齢」と言う二文字で
全て片付けようとしたりも。

とにかく
珍しく凹みながら布団に入りました。

ただ
凹む間もなくバタンキューで
気づけばもう朝(笑)

ぐっすり眠れちゃいました。

そして
昨日は一転。

前日よりも周りがよく見えて
テキパキ働くことができました。

「あぁ、大丈夫だ。
 久しぶりの出勤だったから
 キツかっただけだな。」

自分への信頼が戻ってきました。

よかった、よかった。




カフェに出勤する時は
いつもリュックサックを背負っています。

一昨日も
いつものように
仕事に必要なものを入れて
いつもように
背負ってみて
ビックリしました。

「あれ?
 こんなに軽かったっけ?」

同時に
「あぁ、
 ”肩の荷が下りる”って
 きっとこうゆう感じなんだ。」
とも。

先週大阪に帰省した一番の目的は
昨年11月に亡くなった
父の納骨でした。

去年の春に
入退院を繰り返す生活になから
帰省する機会が増えました。

毎回
数日分の着替えを
リュックに詰めて
新幹線に乗り込みました。

荷物が多い時は
小さなスーツケースも持って。

「お父さん、あと数日やって。」

父との別れが近いと
姉から連絡をもらって
リュックに荷物を
どうやってまとめたかも覚えていなくて
気づけば大阪に向かうべく
東京駅の新幹線のホームにいて。

自分が背負っている
そのリュックの「重さ」を
考えたことすらなくて。

でも
この1年、
守りたいもののために
自ら背負うと覚悟したものがあって。

特に
父が亡くなってからのこの半年は
背負わざる得なくなったものが
一気に押し寄せてきて。

姉と共に背負いながら、
周りに人達に助けてもらいながら
何とかやってきて。

ようやく父の納骨が終わって、
大きな大きな区切りがついて。

一昨日背負った
リュックの軽さが
逆に
これまで背負っていたものの
大きさや重さを
物語っていて。

まさに「肩の荷が下りる」を
心と体で感じました。





やり切った気持ち、
ちょっと寂しい気持ち、
母を穏やかに過ごさせてやりたい気持ち、
姉を応援したい気持ち。

色んな気持ちはありますが、
しばらくは
自分のこと、
夫と息子のことに
心と時間をたっぷり使おうと思います。

見守ってくださり
本当にありがとうございました。