あの頃の私はどうだっただろう? | みやみや珈琲日記

みやみや珈琲日記

毎日のコーヒータイムに、ちょっといいことを。

今日もブログに来ていただき、

ありがとうございます😊

 

こんにちは、みやです。

 

——-


カフェの出勤を終え

帰りのバスの中でのこと。


途中から

赤ちゃん連れの女性が乗ってきました。


片手には折り畳まれたベビーカー、

反対側には大きな荷物、

胸には赤ちゃんを抱っこして。


私はバスの奥の方に座っていたので

遠くから見ているだけになってしまいました。


前方の優先席に座っていた高齢の男性が

サッと席を譲ってあげた光景を見て

「あぁ、何て優しいんだろう。

 お孫さんがいらっしゃるのかな?

 ありがとう。」と

何とも温かい気持ちになりました。


女性は

赤ちゃんを胸に抱っこしたまま

席に座りました。


しばらくすると

赤ちゃんがぐずり始めました。


女性は赤ちゃんをあやそうと

少し立ち上がったり、

赤ちゃんの口に何か持って行ったり。


「うん、うん。

 赤ちゃんって泣いちゃうよねえ。




ふと

「あの頃の私はどうだっただろう?」と

考えてしまいました。


息子がまだ赤ちゃんの頃、

息子がまだ保育園に通っていた頃。


あんな風に

息子がぐずり出したら、

私は何を考えていただろう。


息子がうるさくしてしまっている

周りへの申し訳なさ。


それだけではない。


周りから

息子を泣き止ますことができない母親だと

思われやしないか。


周りからの評価ばかり気にしていた。


息子がなぜ泣いているのかを

考えもせずに。


泣いている息子に

苛立ちを感じながら

息子を見ようともせずに

ベクトルは

自分の評価に向いていた。


赤ちゃんを泣き止まさせることができる、

赤ちゃんをコントロールできると

思い込んでいた。


コントロールできるのは

自分自身だけなのに。


思い上がっていた。


コントロールできると思っている前提が

そもそもおかしい。


女性は

申し訳なさそうに

赤ちゃんをあやし続けていました。


もちろん

バスの中には

仕事帰りですごく疲れている人もいるだろう。


赤ちゃんの泣き声を

うるさく感じる人もいるだろう。


でも

そんなに申し訳なさそうに

しなくても大丈夫なのに。


周りの人は優しい。


自分が思っている以上に優しい。


その女性は

私と同じバス停降りたので、

思わず声をかけてしまいました。


ちょうど雨も降り始めてきて。


「荷物がいっぱいですね。

 何かお手伝いしましょうか?」


「大丈夫です。

 雨に濡れちゃうので、

 先に言ってください。」


「保育園帰りですか?」


「今日は託児所で、、、」


「そうだったんですね。

 気をつけて帰ってくださいねー。

 ではでは先に行きますねー。」


「ありがとうございます。」


ご近所のようなので

また会えるかもしれない。