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こんにちは、みやです。
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9月に大阪の実家に帰省して、ある決心が固まりました。
それは母方の祖父が開発して、父が50年間その味を守り続けてきた出汁を、私と息子で受け継ぐこと。
どんな出汁かと言いますと、両親が経営していた麺類店の関西風のうどん出汁です。
生まれた時から食べていて、私がこの世で一番おいしいと思えるうどん出汁です。
父は20年以上前にリタイヤしたのですが、その後も家で出汁を炊き続けていました。
「今度、出汁炊くけど、まだあるんか?」
私も年に数回父から出汁を送ってもらい、届くとすぐに冷凍していました。
風邪を引いた時、ちょっと元気が欲しい時、ホッとしたい時、冷凍庫から出汁を解凍してよく食べていました。
父も年越しそばの名残もあって、年末にはお世話になった方々に出汁を送り続けていました。
でも今年の4月に父が入院して、今も通院治療中なので、もう半年以上、父は出汁を炊いていません。
私も冷凍庫にある出汁がもったいなくて、どうしても手がつけられず。
父はよく玉子焼きを焼いてくれるのですが、そこにも父が炊いた出汁が当然のように使われていました。
ただ9月に父の炊いた出汁ではない出汁が入った玉子焼きを食べて、「あぁ、やっぱり違うんだ。」と痛感しました。
舌は、味の記憶は正直なもので。
「あの出汁がなくなると、私が一番困るんだ!」とようやく気づき、初めて受け継ぎたいと思いました。
何より父が今の食生活に満足しておらず、自分の炊いた出汁を一番食べたいはずで。
縁起でもない話ですが、私は両親がこの世を旅立つ時に、出汁を持たせてあげたいと思っているんです。
実は私は母方の祖母が亡くなった時に、手元にあった出汁を斎場に持って行きました。
それを見つけた母は、「あんた、持ってきたん?」ととても驚いていました。
「うん、持ってきた。おじいちゃんが作った出汁やから、おばあちゃんに持たせてあげたいねん。私が入れるんやったら、ええでしょ?」
母は姉である伯母への遠慮と、一方で一度言い出したらきかない娘に、「ほんま、困ったなぁ、、、」と言う表情を見せました。
出棺の時に私は母の横に行き、出汁を浸したティッシュの入ったビニール袋を母の手に握らせました。
母は真っ赤な目で私を見つめて、「あんたは、ほんまにもう、、、」とうなづいて、その袋を祖母の足元にそっと入れてくれました。
私は両親にも同じことをしてあげたいのです。
もちろんそれまでにたくさんの人に出汁を味わって欲しいし、その後もたくさんの人に味わって欲しい。
でも両親が旅立つその瞬間のためだけにでも、両親が全力で守り抜いてきた出汁を受け継ぐのも悪くないのではないか、そんな理由があってもいいんじゃないと、ようやく自分に素直になれたと言いますか。
幸い父も通院治療のおかげで、随分元気になってきました。
今年の年末は父、息子、私で一緒に出汁を炊こうと決めました。
今のうち、今のうち。
先日、スーパーに行った時に、ふと出汁売り場で足が止まりました。
「私は世の中で売られている出汁を知らないなぁ。よし!これから色々試してみてみよう!」
早速1本買ってきました。
今日はその出汁を使って、息子に玉子焼きを焼いてもらうことに。
玉子焼きを焼く前に、息子と一緒に出汁の味見をしたりも。
「玉子焼きは1:2だって。」
「あー、なるほどー。」
「うん、うん。」
息子と私、部員は2人だけの「だし部」発足です。
息子が慣れた手つきで焼いてくれた玉子焼きは、ふっくらと焼き上がっていました。
さすが、さすが。
9月に大阪で食べた玉子焼きよりも、父がいつも焼いてくれる玉子焼きに近かったです。
小松菜のおひたしも作ってみましたが、やはり父の出汁とは何かが違う。
自分の味の記憶とのズレを補正する技術が、今の私にはない。
出汁を取るには、変数も多すぎる。
水、削り節のブレンド、醤油、昆布、、、などなど。
ここから時間をかけて、父から受け継いで行こうと思います。
息子と一緒に。
そのためにも日々、味覚を鍛えて行こうと思います。
繊細な味覚はコーヒーにも必要ですしねー。
みなさんがおうちで使っていらっしゃる出汁のこと、お気に入りのおうどん屋さんがあれば、ぜひ教えてくださいー。
「だし部」で買ったり、行ったりしたいのでー。