今日もブログに来ていただき、ありがとうございます😊
こんにちは、みやです。
——-
先週は実家のある大阪に帰省していました。
ブログの更新が止まっていましたが、元気でしたよー。
認知症の母も施設から一時帰宅をしていて、今回も両親が一緒にいる様子を見ることができて嬉しかったです。
父が病気になって5ヶ月。
10月からは母も実家で暮らすことになるので、父が病気になる前とは別の新しい日常が整いつつある感じがしました。
これからもきっと想定外のことが起こるとは思うのですが、「まぁ、あるよねー。初めてだしわからないことだらけだなー。」とフラットに受け止めてやっていけたらと思います。
実家に着いた時間はちょうど夕飯時。
「ちょっと食べるか?」
父が食事を出してくれました。
夕飯は要らないと言っていたけれど、ちょうどお腹も空いていて。
要らないと言ったのに、用意してくれるところが何とも父らしいと言うか。
メニューは玉子焼きと小松菜の炊いたん(煮浸し)。
「ありがとう。」
玉子焼きを一口食べてみて箸が止まる。
「これじゃないんだよなぁ、、、」
真っ先に感じたけれど、口に出せるはずもなく。
「まぁ、出汁はスーパーで売ってた粉末のんなんやけどな。」と父。
そうだろう、そうだろう。
退院して3ヶ月、まだまだ通院治療も続けているので、出汁を炊けるはずもなく。
玉子焼きには、炊き物には、いつも父が炊く出汁が当たり前のように使われていて、考えてみると私は生まれた時からその出汁で育っていて。
見た目は父の玉子焼きなんだけど、慣れ親しんだ器で出されたけれど、目の前には父がいるんだけど、味の記憶と味覚が一致しなくて、脳が混乱すると言うか。
おいしいけれど、おいしくなくて、これじゃなくて。
さすがにその場では「おいしくない。」とは言えなくて、玉子焼きは全部食べました。
以前、夫に言われた言葉を思い出しました。
「お父さんの出汁がなくなって、一番困るのは君でしょ?」
ああ、こうゆうことか。
困る。
本当に困る。
これは受け継がないと、受け継ぎたい。
初めて「受け継ぎたい」と言う思いが湧いてきました。
失いかけて初めてわかったと言うか。
今ならまだ間に合うから。
父は前回帰省した時に、新しい出汁を濾す布を見せてくれました。
「これがネルになってて、ええ布なんや。」
真っ白な布をさわりながら話してくれる父は、年末にはまた出汁を炊きたいと話していました。
お世話になった人においしい出汁を食べて欲しい。
「年末、K(息子)も一緒に炊こうね。」
目標ができました。
「これじゃない玉子焼き」を食べた翌日、両親と夕飯を食べながら話しました。
「昨日の玉子焼きね、おいしなかった。おいしないは言い過ぎやな。おいしないと言うよりも、これやないって思った。」
「そうか、、、」
「やっぱりおいしい出汁を受け継ぎたいと思った。それで稼ぐとかどうこうやなくて。」
「そうやな。趣味でもええから、おいしい出汁を食べてもらえたらええな。」
「うん。」
何より父と母に、あのおいしい出汁をもう一度食べさせてあげたい。
全く同じとはいかないかもしれないけれど、すぐにはできないかもしれないけれど。
現役時代に30年、リタイヤしてから20年、祖父が開発してその味を父が50年以上守り続けてきてくれた。
その出汁を、周りの人にも食べて欲しい。
実は私の家の冷凍庫には父が作って送ってくれた出汁があるんです。
もう食べられないかもしれないと思うと、もったいなくて使えなくて。
それほどまでに大事な出汁を、ようやく受け継ぐ決心がつきました。
ようやく自分事化できました。
出汁を炊くことは、父の活力になるはず。
出汁を炊くことは、料理の道に進むかもしれない息子の武器になるはず。
一口飲むとホッとする。
一口飲むと店で働いていた両親の姿が浮かんでくる。
出汁を炊くことは、何より私の癒しになる。
偶然両親の店のあった駅を通る機会があり、思い切って20年振りに降りてみました。
両親の店があった場所も見てきました。
もう別の店になっていましたが、やっぱり両親の店はセンスがよくてかっこよかったなって改めて思いました。
「うん、稼ぐどうこうの前に、味を受け継ごう。しっかりと。」
スーッと一本筋が通りました。
「ああ、やっぱりこっちだな。」
フッと肩が軽くなりました。
堺筋本町駅のスタンプを手帳に押したら、コーヒーの柄でした。
何だかすごく縁を感じました。
おいしいものは人と人をつないでくれる。
コーヒーもそう。
出汁もそう。
私は食を通して人と人を繋ぎたいのだ。