古典とはなにか、というようなことを抽象的に論じるとむずかしいことになるが、逆に、例えばマルクスの『資本論』、ダンテの『神曲』、ゲーテの『ファウスト』は古典か、ときかれると、即座に、古典だ、と答えることが出来る。そういう種類の本がある。「そうだ、古典だ」とすぐ返事のできる本が、まだ沢山ある。これを読むだけでも大変な仕事だし、このような種類の本だけでも、一生のうちに読み切れないほどあるのだから、古典とは何か、というように論ずる前に、問題なく古典と考えられる本を読むがよい。断っておくが、人生、古典だけ読めばいいというわけではない。古典は、これらのいわば日常の本の土台になって人生の方向を定める本である。
 このような古典は、つねに進歩的なものである。それは、つねに歴史の進歩的な局面に進歩の役割をはたしたものであるからである。だから、その古典を人類の進歩の他の局面で、形を変えて進歩の役割を演じさせることができる。そのために、古典を読むことの意義が生ずる。このように、古典はつねにわれわれの進歩のための努力を鼓舞するように読むことのできるものである。古典は、だから、われわれの社会の進歩のための活動の精神的なエネルギーになるだけでなく、われわれ個人の進歩の心の糧である。社会なり、その中に生きている個人なりを向上させてやまぬものが、古典である。古典は、つねに、激しく社会が進歩する時代に、その場面を表現して生まれてくるもであるからである。だから、古典を読むのは、もう古びてしまって過去のよさや思い出を語るものとしてではなく、われわれの「明日」のためにするのである。われわれの今日や明日の生活の中に生きないものは、古典ではない。
 私は、『資本論』を読み、その思想の上に立って生きたことを、この上もない幸福思っている。『資本論』は、ただに経済学の書であるだけでなく、人生の書である。それは、マルクスの全世界感の根底にある弁証法的唯物論が、資本主義というわれわれの住んでいる社会として掌握された様であるからである。弁証法的唯物論とはどんなものかを、『資本論』という彼の生涯をかけた書ほどに示すものが、外にありようがない。人間の動く様が、資本主義というわれわれの生きている社会の中で示されている。人間の動く様という中には、自分自身も入っている。だから、『資本論』は、われわれ自身の理論的自伝といっていいものである。そこには、深奥に達する人間洞察がふくまれている。
 『資本論』はむろん科学の書である。しかし、そこに取扱われているものがわれわれ自身であるという事を考えると、実は、同時に、われわれの行動の書である。資本主義の中で動いている人間が意識すると否とにかかわらず、一定の統一ある運動をする。資本主義には、一定の運動法則がある。この法則は資本主義の矛盾をどう克服するかを教えるのである。例えば、小児まひを克服するためには、この麻痺をおこすウィルスの運動法則を知り、この法則にしたがいながら、ウィルスそのものをしに至らしめることを考える外ない。ウィルスの運動法則を知らないでは、これを死に至らしめる方法は発見されない。この運動法則に反していては、何もできない。りんごは何故垂直に落ちるかを知らないで、ロケットを月に向かって放つ方法がないのと同じである。
 社会をよくする方法も、これとちがわない。資本主義の基本的矛盾がどこにどうあるかを知らないで、つまり、資本主義を動かしているこの社会の根本法則を知らないでは、これを克服する行動はつねに無駄に終わる。歴史はこのことをよく教えている。
 堺利彦さんの碑が豊津の町に出来た。この人は日本の社会主義運動史上に最大の足跡をのこした人である。日本におけるマルクシズムの運動は、この人から始っている。幸徳秋水でもなく、片山潜でもなく、まさしく堺利彦から生まれている。堺さんはいわば平凡に脳溢血で亡くなった。幸徳事件の時入獄中であったため、幸徳秋水のように死刑になることを免れた。つねに国内にあって活動したため、亡命の身だ死ぬこともなかった。大杉栄のように、憲兵将校に絞め殺されることもなかった。牢獄としゃばとを往復し、いくたびか暴漢におそわれながら、幸いにもつねに難を免れた。
 そのために、今日若い人々の注意をひくことも少ないのかもしれないが、堺利彦さんの重要さは案外知られていない、しかし、最近になって、堺さんの研究が盛んになり、再認識が行われはじめたようである。豊津における堺さんの健碑式は、盛大であった。
 堺さんは日本で最初にマルクス=エンゲルスの『共産党宣言』やエンゲルスの『空想的社会主義から科学的社会主義へ』を翻訳された人である。堺さんが明治三十九年に出され、五号まで続いた『社会主義研究』には、数多くのマルクスに関する論文や記事がのせられている。貧乏と弾圧に耐えてきた堺さんの文章は、軽妙で、暗いところのないものだが、しかし、痛烈な皮肉に富んでいる。この痛烈な皮肉は、よく風雪に耐えた人の面影を伝えている。
 私は、学生時代から、堺さんの論文や随想に親しんできた。大正八、九年頃の堺さんの随想の一つに『火事と半鐘』というのがある。半鐘が鳴るから火事があるのでなく、火事があるから半鐘が鳴るのであるということを、軽妙な筆でのべたもので、今日でも私に深い印象をとどめている。いかにも、非難と弾圧の中から生まれてきた皮肉な言葉である。その頃の言論の自由を奪われた社会主義が、何かというと、彼らがつまらんことをいうから社会が悪くなる、と非難された。今日の社会の矛盾を蔽うて、それを社会主義者のせいにした。
 火事と半鐘にたとえて見るとよく分かることが、社会についてはなかなか分かってくれない。家事の事実を見きわめないと、これを消す方法も大火に至らしめない方法も見つからない。今日でも、まだまだ火事を半鐘のせいだという人が沢山ある。もっとも、そんなことをいってごま化す男は、救いようはない。
 『資本論』は、半鐘は火事があるからであるとして、火事の現場を認識して、同時にこの火事を消す男たちが、資本主義の中で消す準備をしていることまで示している。『資本論』は、資本主義の中に、その基本的矛盾を除く階級が成長していることを明らかにし、その人たちが、この社会の中から矛盾を除く手段も発見していることを示す。
 今日の社会の基本的矛盾の運動法則を知らないでも、資本主義の矛盾に気がついた人々は沢山いた。マルクス以前の社会主義者は、みなしかりであるといってよい。しかし、この矛盾は、これらの人の考えたように何か人間が過ちをおかしたから生まれているのではなく、社会の発展の一段階として必然的に生まれている。この資本主義の発展は、同時にこの矛盾を発展させながらでなくては、不可能である。この矛盾は労働者階級に資本主義そのものをもっと進んだ社会に押し上げさせる。この発見が社会主義を科学にした。ところで、火事は酸素を送らないという方法以外では消すことはできないのに、他の方法をあれこれと論ずるのは本当は無駄であるし、時として火を消すことを妨げることにすらなる。
 『資本論』は、資本主義の運動法則を発見して、本当に火を消すことの出来る方法を教えている。『資本論』は、われわれに今日の社会をどうするかを教えている。歴史は人間がつくるのであるから実際にやるのはわれわれの仕事である。そして、そのやり方も示している。だから『資本論』はまず経済学の書であるだけではなく、行動の指針の書ともなっている。『資本論』が人生の書である、というのはこの意味である。
 この書は、額に汗して働く人々の書である。この人々のみが今日の社会を高めて行くということを教えているからである。ただせまい意味で労働者階級の書であるだけでなく、農民も小経営者も知識階級も、この社会でそれぞれに位置を与えられている以上、この人々が何をなすかも看取している書である。
 だから、私は労働者、サラリーマン、若いまたは老いたる学究たち、農民、小経営者の誰とでも『資本論』を一緒に勉強する。そして、四十いく年の座右にあって、私の人生の指針となってきたこの書が、私の数多くの友人たちにも、生涯の友となることをのぞんでおり、そして必ずそうなると思って、いつも社会の前途に希望をつないでいる。