本と本屋さんとは切りはなしては考えられない。私がここで本屋さんという中には、出版をする人、本を直接に売る店などを含めていっている。古本屋さんはむろんのことである。私は本屋さんとは、どういうことかすぐ仲良くなる。本を可愛がる人間は、本屋さんに頻繁に行くからであろう。
 今でも自分の資力に比べると、比較にならぬくらい本を買う。四十年つれそった家の大蔵大臣が、時々悲鳴をあげるくらいに、不均衡に本への支出がかさむ。
 私が本を買いすぎるといって父から叱られたのは、私の少年時代、中学一年生のころである。私はそのころ小樽に住んでいた。住まいからあまり遠くない所に、新本屋さんと古本屋さんがあった。明治末年のころのことである。
 私は、そのころ学校の勉強などはしなかったが、学校以外の本を読むくせは、少しあったらしい。父の貧弱な書棚の中にまじっていた寄越与三郎『二千五百年史』を手にとって見たが、むろん面白味などわからなかった。馬琴の『八犬伝』は大変面白く、繰り返し読んだ。もっとも七むずかしい理屈の部分は、とばして読んだ。いちばん愛読したのは、押川春浪の『海底軍艦』『武侠の日本』『空中飛行艇』等であった。春浪の作品は、ほとんど読んだのではあるまいか。
 憂国の志士たちが危険をおかして活動する舞台が、東洋という広い場面であり、それに空中船とか、海面に浮かぶと同時に、海底をも陸をも走りうる軍艦とか、少年の空想を奇想天外ともいうべき構想でかき立てたようである。私に与えられた三畳の室いっぱいに、近所の小学生たちが集まってきて、私は、それにこれらの本を読んできかせたり、話してきかせたりした。後年の私の『資本論』の「寺子屋」は、押川春浪からはじまっていたと思うと、いつまでもつい顔がほころびる。
 それらの本を掛けで新本屋さんから買ってきた。しかし、父を激怒させたのは、このことではなかった。
 私は、そのころ複製を集めた。というと少々大げさだが、田舎の少年のやることだからたいしたことではない。つまり、そのころの大人の雑誌にでる「泰西名画」や日本の大家や新進の絵かきの絵の複製を切りぬいて、「らしゃ紙」と呼んだもので台紙をつくり、これに貼り付けて集めたのである。「白樺」派などというものは知らなかったが、雑誌「白樺」は、この収集のために買った。
 そのころ水彩画雑誌であつた「みずゑ」を毎月買いはじめたのも、そのためであった。
 これら雑誌は、多くは古本屋さんであさったのである。父母からもらう小遣いでは足りなくて、古本屋さんから月末払いで買いはじめた。これがたまり出した。本屋さんは、少し不安になって、たまった分を母に直接請求した。むろん母はこれを支払ったが、心配になって、父に告げた。父は私をよびつけて「今から借金をするような者は、ろくな人間にはならん」といってつよく叱った。俸給生活者の父母は、本気で心配したのだろう。
 父のいうように、たしかに、「ろくな者」にはならなかった。本屋さんと仲良くなることと、つい本屋さんに借金をためることは、連綿として、いまに続いている。