関西では、今日も暑い一日でした。
私の部屋は2階ですので、
小さな窓をいくら開けても
外の気温よりさらに高い室内温度になってしまいます。
テレビでは関西電力が
節電のお願いのメッセージを流していました
節電に協力しなければ・・・
という気持ちはもちろんあります
しかし自分の健康を害してまでの協力は
できないかもしれません…
そんなわけで
エアコン、つけました…
ふっと、考えてみたんです
水道の蛇口をひねれば
水が出るのが当たり前…、
暑ければエアコンのスイッチを当然のように入れる…
暗くなれば照明器具のスイッチをオンにすれば
明るくなるのが当たり前…
停電と断水の経験から
水道と電気のありがたさを
今更ながらに痛感したって報道記事も
沢山目にしました
けど、更にもう一歩踏み込んで考えてみれば
夜になるば暗くなるのが当たり前で
人工の光で明るくすることが不自然なんじゃないの
夏になれば暑いのが当たり前で
それを人工の力で無理やり寒いくらいに
涼しくすることの方が不自然じゃないの
冬は寒いもの
夏は暑いもの
夜は暗いもの
それが自然じゃないのか?
不自然なことを
当たり前だと勘違いしてないのか
そう考えたら、何か違うような気がしてきました…
新聞のコメントの中で
富良野塾を開いた脚本家の倉本聰さんの
言葉が紹介されていました。
≪夜は暗く、夏は暑く、
冬は寒い”あたりまえのこと”を
〈敵にし征服しようという
敵意に満ちた挑戦〉は、
もうやめにしよう≫
けれども、もう今更、
電気も水道もなかった
江戸時代の昔には戻れません
”今”の時代の中で生きていかねばなりません
台風や地震も「自然」ですが
けど、夕焼けやそよ風も「自然」です
今年の夏は
この「自然」とどうやって共生していけばいいのか
それを考えてみたいと思いました。
もちろん答えのあるようなお話ではありませんが…