今日(日付変わって昨日)、
神社の境内の清掃奉仕(ボランティア)に行って来ました。
写真はその神社です。
神主さんが常駐していない無人の神社です。
境内の落ち葉を竹箒で掃き清めて
集めて燃やしてます(焚き火)。
焼き芋焼けそうでしょ?!
ところで、
心にイライラやくよくよが溜まってるのは、
この神社の境内の落ち葉と同じです。
その心の中は、
掃除もしていない部屋の中と同じです。
で、心もお掃除しましょ、ということになるのです。
ところが心のお掃除は「竹箒」でするんじゃないんですよ~
心の掃除は「感謝」でするんだって、
斉藤茂太さんはおっしゃってました。
斉藤茂太さんのお話の、
「お辞儀おばさん」とよばれていた女性のことです。
このご婦人は、
「どんな物でもそこにあるための立派な理由があるはず。
何かの役に立っているはず。
だから、
自然と頭が下がってしまう」と、おっしゃって、
神社仏閣やお地蔵さんは勿論、
ご飯や橋、大樹にまでもお辞儀をなさいました。
(90歳まで生きて大往生されたそうですが)
道端の小さな石や、
空き地の隅に咲く雑草の花や、
夜空にまたたく星にも、
どんな物にも、存在する理由があります。
私達が、ただ、その理由を知らないだけなのです。
存在理由を知らないからと言って、
おろそかにしていいわけがありません。
自分が、今、こうして生かされているということが、
ただ、もうそれだけで十分にありがたいことなんです。
そう思うと、「感謝」の気持ちが湧いてきます。
この感謝という名の竹箒で、
心のお部屋を時々きれいに掃除してると
たいていのものが、
自分に味方してくれるように思えてくるのです。
誰もいない無人の神社の境内をお掃除していて
心が少しきれいになったような気がしました。