『サンデーモーニング』(TBS系列)などの番組でコメンテーターも行う三輪。

その基本的なスタンスは「シリーズ 三輪記子物語」第7回でも触れました。様々な時事問題に言及する上では、「社会的強者と弱者の力関係」をとくに重視していると三輪はいいます。そうした感覚の源泉を探りました。

 

●問題の本質を提示するのが、コメンテーターの仕事

 

――三輪さんがタレント活動を始めるようになって10年近くが経ちます。今改めて、ご自身の中で「弁護士業」と「コメンテーター業」はそれぞれ、どのような位置づけにあるか、教えてください。

 主軸は、あくまでも弁護士です。弁護士として仕事をしているからこそ、日々感じる世の中の矛盾というものがある。それを言語化して表現するのが、コメンテーターとしての仕事だと思っています。

 

  ――テレビの仕事を始めた当初と比べて、コメンテーターの仕事に慣れた感じはありますか。

   「慣れた」とは思いません。例えば『サンデーモーニング』でフリージャーナリストの青木理さんと並んでお話する機会があるのですが、横で並ぶたびに、青木さんのコメントの凄みを感じます。

  青木さんに限らず、感嘆するようなコメントをする方はたくさんいる。それに対して自分はまだまだだな、と感じています。

    

  ――番組で取り上げるニュースはその都度変わると思うのですが、毎回のコメント準備はどのように進められていますか。

  そもそもTV番組などにおけるコメンテーターの役割は何か、というところが大事だと思うんですよね。

 私自身は、コメンテーターの仕事はある社会事象について問題を発見したり、視点を設定することだと思っています。世の中に対して、問題の見方を提示していくという作業です。

 

 そのために、普段から様々なニュースに目を通すようにしています。

 ある週に話題になって取り上げられるニュースは、情報を追っていれば分かりますよね。一つひとつの事件や事案について、自分だったらどのように感じるのかということは、すごく考えます。放送直前に話題を振られることも多いので、あらかじめ特定のコメントを準備したり、暗記したりはしません。  

 日頃からニュースを分析して、見方や表現の仕方を鍛えておくというイメージです。

 

 ――たとえば23年12月3日に出演された『サンデーモーニング』では、「日大アメフト部と大学運営」というテーマでお話されています。このときのコメントは、どのような手順を踏んで考えましたか。

  まずは事実関係を押さえるべく、既出の報道記事や第三者委員会の報告書をチェックし、出来事の推移や登場人物について整理しました。

   

    日大の事件であれば、アメフト部の中で大麻を使用した部員、無関係な部員、日大の学生というようにいくつかの異なる立場の人を想定する。その上で、それぞれの利害関係を整理し、手続きの適性や、大学側の姿勢について言及しました。

 

 日大の件で、学生と大学、どちらの立場が強いのかと言えば、明らかに大学です。だとすれば、大学の側がやっていることを厳しい目でチェックするべきではないか。そのように大きな視点を設定し、個別のコメントに踏み込んでいきます。

    この作業は、弁護士業とも通じています。例えば離婚でも「夫」という立場と「妻」という立場があって、それぞれに利害関係がある。それを整理する作業の延長線上、という感じですね。

   

●弱者に生まれたことは自己責任ではない

 

――他の問題に関するコメントを見ていても、三輪さんは社会的強者-弱者間の力関係に敏感だと感じます。東京大学を出て、弁護士になり、メディアにも出演されている。世間から見れば、三輪さんはある意味「強者」だと思いますが、そのような感覚は、どこで養われたんでしょうか。

 自分が強者なのは「たまたま」だと思ってるんです。教育に熱心な家庭に生まれ、東大に合格し、司法試験に受かるまで親から支援もしてもらった。それは単なる幸運に過ぎません。

 「弱者」と言われる立場に関しても、それは然りです。生まれたところの経済力とか教育についての考え方なんて自分で選べない、選んでいないことは明らかですよね。それは決して自己責任ではない。

 既存の社会的な力関係を当然のように享受することには、すごく抵抗があるんです。

      

  ――近頃では、フェミニズム的な観点からのご発言も目立ちます。学生時代から関心を持たれていたのですか。

   いやいや、全く最近です。司法浪人はしたけど相対的には勉強はできる方だし、体力にも自信があった。それまで男性と比べて、自分が劣っていると感じることはそんなになかったんです。

 

 意識が大きく変わったきっかけは、妊娠と出産ですね。妊娠してみると、趣味だったゴルフも好きなようにはできない。一方、男であれば妻が妊娠をしていても、ゴルフができる。それって何かおかしいな、と。ほんとにそんな些細なことから「あれ?」と思い始めたんです。

 

 あとは、妊娠をしたことで「妊婦さんってこんなに街にいたんだな」って思うようになったんです。妊娠するまでは意識もしていませんでしたが、自分が同じ立場に立ったことで、妊婦さんが目に入るようになった。そういうことは多かったと思います。つまり、自分にはこれまで「確かに存在しているのに見えていなかった世界がある」と気付いたんですね、ようやく。

 

――たとえ目の前にあったとしても、社会的な力関係は、誰しも同じように見えてはいない。そのことを感じるセンサーを自分の中に持ってるかどうか、ということでしょうか。

  そうですね。とても難しいけれど、目には見えにくい力関係をかぎ取るセンサーは、必要だと思います。

 一方では、自分自身にとって他者や世界のすべてが見えているわけではないということも、常に意識するようにしています。自分の感覚やセンサーはどこまで行っても個人のものだし、当然、想像が及ばない範囲もあるからです。実際、さっきも話したように、街にたくさん妊婦さんがいるということを自分は見えていなかったわけですから。

 

   そういう意味では、自分の感覚も常に自分と切り離して信用しないということも大切だと思うんです。相手の話を聞きながらコミュニケーションを取り、想像したり考えたりする。自分自身がそういう姿勢でいれば、例え傲慢な発言をして相手から反発された時にも、「確かにそうかもしれないな」と思えるようになる気がするんです。

 自分が感じたことも大切にしながら、それだけが正しいとも思わないようにする。このバランス感覚が大切なのかな、と感じています。今わたしが話していること、あくまでも「そうありたい」ということで、できているわけではないですよ。自分が「できてるんだ」とか思い始めることこそが危険、という話です。

 

(続く)

 

【取材・構成=松岡瑛理

 

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